24.勇者は審問される

 森の中にある綺麗なログハウス。それはここが魔界であることを忘れれば、とても素敵なものとしてヒカリの目に映った。

 付近に人影もない。家からは物音一つせず、中に誰かいるかも疑わしい。とにかくヒカリはその家に近付いてみた。そのログハウスは2階なんてものは当然なく、中も広そうには見えない。しかし手入れはされているのか外観はとても綺麗だ。

 近付いて家の窓から中を見るが、やはり誰もいない。ヒカリは念の為にドアをノックする。


「あのー、すみません。」


 返事はない。ヒカリは恐る恐る、ドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。ゆっくりとそのドアを開け、ヒカリは中を覗く。

 その中は至って普通だった。テーブルクロスがかけられた木のテーブルと4つの椅子、綺麗に整頓された木目調のキッチン。どれも暖かな雰囲気を感じる、人の世界にあるべきはずのものがあった。

 リビングには違う部屋に通じる扉が2つあった。その内の一つにヒカリは足を進める。


「――そこは入っちゃ駄目よ。無事に帰せなくなるから。」


 ヒカリは足を止める。さっきまで誰も座っていなかったはずの椅子に、一人の女性が腰掛けていた。黒い肌に黒い髪、金色の眼と長い耳。まるで闇を纏ったかのように妖艶な女性がそこにいた。

 見逃していたわけがない。いや、ここまで目立つ人を見逃せるはずがない。確かにさっきまで彼女はそこにいなかった。


「思いの外早かったから遅れちゃったわ。」


 彼女はどこからともなく灰皿と煙管を取り出し、魔法で火をつけて煙を吸う。その臭いは普通とは違って少し甘かった。


「私は序列第三十二位『色欲の黒魔』アスモデウス。あなたと話がしたかったの。大切な話を、ね。」


 予想通り、と言えた。つまり取り敢えずはヒカリの考えは当たっていたと言える。

 しかしまだわからない事が多い。ヒカリはそれをアスモデウスから聞き出さなくてはならなかった。この幻惑の森の主から。


「……フィルラーナさんと、プラジュさんは無事ですか?」

「どうでしょうね。それもあなたの対応次第かしら。」

「そらなら、どうして私だけここに連れてきたんですか?」

「落ち着いて落ち着いて。あなたの想像する通り、害をなす気はないわ。そんなに質問しないでも私から教えてあげる。」


 だからとりあえず座って、とアスモデウスは対面の椅子を指さす。ヒカリは大人しく椅子に座った。


「この森は私が静かに暮らす為に作ったの。さっきも言った通り、入られたくない部屋があるから。簡単に抜け出せないようにしたのもそっちの方が寄り付かないからよ。不思議な場所より危険な場所の方が恐ろしいでしょう?」


 それは道理だ。それにしても少々やり過ぎな気はするが、悪魔に人の価値観を説いても仕方がない。

 それにしても疑問は残る。恐れられたいなら即死トラップのようなものを仕掛ければ良い。そうすれば本当に誰も寄り付かなくなる。こんな面倒な森を作るより百倍簡単だ。

 そんなヒカリの疑問に答えるようにアスモデウスは口を開く。


「私だって、中には会いたい人だっているわ。あなたみたいにね。だからそれを見定める為に、この森は迷うようにできている。」

「それじゃあ、あの霧は何だったんですか?」

「アレは、あの赤毛の子がここに一直線に向かってくるんだから怖くなって退かしたの。どうせ私が話したいのはあなただけだったから、あなただけをここの近くに飛ばしてね。」


 そう言ってアスモデウスは上品に口元を隠して笑う。


「幻惑の森は私にとって庭のようなもの。私は……そうねえ、2階の窓から誰が入っているか確認して、気に入ったら家にあげている家の主人ってところ。どう、納得した?」


 まあ、納得はいく。一人だけにしたという事は、ヒカリにだけ用があるはずというヒカリの予想とも合致する。実際、走ればどうやってもここにつくようになっていたわけだし。


「それじゃあ、本題に入ってもいい?」


 アスモデウスはそう尋ねてきて、ここまで話してもらった後にヒカリはそれを断ることができない。

 ヒカリは相手が悪人だろうが、道理や仁義を重んじる人間であった。


「ありがと。頭を空っぽにして、深呼吸をして、力を抜いて、ただ思うままに答えてくれればそれでいいから。」


 そうは言われても緊張感は抜けない。ヒカリの視点では人質が取られているようなものだ。自分の発言一つで仲間と自分の未来が変わるかもしれないと考えると、思わず力んでしまう。


「あなたはいつも、周りの様子を伺ってる。周りに嫌われないように自分を作ろうとしている。あなたには勇者の力があるのに、それを誇示しようとも思わない。それはどうして?」

「……半分、癖みたいなものですよ。強いて理由をあげるとするなら、それで周りの人が幸せなら得だって思うからです。私がちょっと苦労するだけで他の皆が幸せになれるならそっちの方がずっと良いんです。」


 これは嘘偽りのない本心だ。それにヒカリは自己を犠牲にしているつもりはない。本心からそっちの方が楽しいからそうしているだけだ。


「でもあなたが人の為に何かをしたって、返ってくるとは限らないわ。それにその分だけあなたができる事は減るでしょうね。それでも、本当にそれは価値があるの?」


 ある選択をするということは、ある選択をしないという事だ。もし他の人に気を使わないで、自分だけに集中できていたなら、もっとヒカリは力を手に入れられるはずだ。

 幸いにも聖剣はそれに応えてくれる。ヒカリはそれを直感的に理解はしていた。それでも――


「価値はあります。人は共感する生き物です。特に女性はそういうものだと聞きました。一人の幸せの量なんて高が知れています。私は強欲なので、他人の幸せまで欲しいんです。」


 アスモデウスは笑みを浮かべ、うんうんと頷く。ヒカリはそれがどこか恐ろしかった。


「それなら、私と契約を結んでみない?」

「……え?」

「私があなたを魔界を出してあげる。」


 その言葉に驚いてヒカリは立ち上がってテーブルの上に身を乗り出す。


「本当ですか!?」

「――ただし、あなただけ。他の二人はここに置いていってもらうわ。」


 ヒカリの希望は目の前で潰える。それではヒカリにとって意味がない。逆なら受けたかもしれないが、自分だけが助かろうなんて考えがヒカリは大嫌いだ。

 その事はアスモデウスもさっきの話でよく理解している。


「このまま私の幻惑の森を迷い続けて、そして辿り着けるかもわからない悪魔王のもとを目指すぐらいなら、あなただけが魔界を出て助けを呼んだ方がいいんじゃない?」

「それは――」

「どうせ、あなたが同行してもしなくてもこの旅の結果は変わらない。それならあなたが今できる選択をした方が、皆の幸せに繋がるんじゃないの?」


 直観はそれを拒絶している。しかしアスモデウスの考えも理解できなくはない。それが余計にヒカリの心を惑わす。


「このまま三人で森をさまよい、そして方角もわからない悪魔王の城を目指すか、それとも私の考えに乗って皆を助けるために魔界を出るか。どっちがいい?」

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