19.仰せのままに

 テントの中で、ヒカリはふと目を覚ました。

 隣ではまだ疲労が残っているフィルラーナが寝ているものの、プラジュの姿が見当たらなかった。フィルラーナを起こさないようにヒカリはゆっくりテントから出た。


 外には予想通りプラジュがいた。いつも通り運動には適していないだろうだぶついた服を着ているが、今日は少し印象が異なった。いつもは地面についている杖を上に向けていたからだ。

 上段からの切り下ろし、それから横への薙ぎ払い、脇構えからの切り上げ、中弾から正面喉元への突き。止まる時はピタリと止まり、叩く時は先端が見えないほどに速く。流れるように行うそれは正に剣舞と言えた。

 一通りそれを終えると、プラジュは手に持つ杖を下ろしてヒカリの方を見た。


「見物料は金貨一枚、懐は寂しないやろね?」

「……え?」

「はっはは、冗談や。生きて帰れるかもわからへんのに、お金なんて持っててもなあ。」


 さっきまでの美しさが嘘のように、プラジュはいつも通りのどこにでもいるような老婆に戻っていた。

 称賛の言葉が喉まで出かかっていただけに、ヒカリはどこかむず痒い感覚に陥る。そして、その気まずさを誤魔化すように口を開く。


「これでいつもお金を稼いでるんスか?」

「旅にはお金が入り用やからなあ。短時間でぎょうさんお金を落としてくれはるから、これが楽でええんよ。」


 確かにプラジュは汗一つかいていない。彼女にとってこの美しい剣舞は特別なものではないらしい。


「旅には目的がある。せやけど、たまには気を緩めんと逆に目的を見失う。一歩引くのが長く続けるコツやよ。」


 だからこのような状態でも落ち着いていられるのだろうか、とヒカリは思った。きっと長い旅の間、プラジュは色々な経験をしてきたに違いない。

 だから気にならずにはいられなかった。プラジュの旅の目的を。


「私は、人を助けるのが旅の目的ッス。プラジュさんはどうして旅をするんスか?」


 その質問にプラジュは直ぐに答えなかった。


「……うちは、子供の頃からずっと探してるものがあってな。」


 重々しくその口は開かれる。古い記憶を思い起こすように、それでいて通り慣れた近所の道を通るかのように口は動いた。


「何がかは恥ずかしくて言えへん。妖精を探すような、子供みたいな夢やからなあ。」

「私は気にしないッスよ。」

「うちが気にするねん。ヒカリちゃんは乙女心がわからんのやなあ。」


 そう言われてヒカリは過去の古傷が蘇り口を閉ざす。女の子らしい遊びとは無縁で、友人の一人も禄にできなかった事を思い出す。

 どうせ幼い頃の友人とはほとんど会わなくものだが、それはそれ。幼少期の苦い記憶というのはそのまま残るものだ。


「ともかく、うちはそれをいつからかずっと探しとる。もう諦めかけた惰性の旅やけど、目的といえばそれやね。」

「……見つかるといいッスね。」

「おおきに。折角やし、死ぬまで探させてもらうわ。」


 話しているとテントの方から物音が聞こえてくる。フィルラーナが目を覚ましたのだろう。もしかしたら二人の話し声に起こされたのかもしれない。


「ああ、そうや。最後に年長者からの助言を一つ。」


 テントの方へ向かおうとするヒカリをプラジュは呼び止める。


「人は本を読んでいる時、自分が本を読んでいることを忘れる。人は歩く時、向かう先の事を考えて自分が歩いていることを意識しなくなる。剣もそうや。」


 プラジュは言葉を続ける。


「剣を一度持てば、その剣で何を為すかだけを考えなさい。剣を持っていた事を忘れる程に。」


 それだけ言って、プラジュはヒカリを追い越し先にテントの方へと足を進めた。






 再び三人は移動を始めた。一度休んだからか、その足取りは眠る前より軽やかだ。しかしいくら歩いても森の終端は見えない。

 それどころか――


「これって……」


 三人の行く先には横に向く線があった。それはプラジュが杖で引いた線に違いない。風が吹かないこの魔界において、線は未だにハッキリと残っていた。

 真っ直ぐ進んでいるのなら、線がこうやって交差するはずかない。それはつまり、三人の進む道が誤っていた事を指し示していた。


「どこかでズレてしまったようね。一度引き返しましょう。これだけ歩いて勿体ないけど、道がわかる内に森から出るべきよ。遭難なんかしたら目も当てられないわ。」


 フィルラーナが判断をくだすのは早かった。だが、もう遅い。


「そういうわけにもいかへんようや。フィルラーナちゃん、もう後ろの線は消えとる。」


 振り返ると、確かにプラジュの言う通り線は途中で途切れていた。森の木々が揺れざわめく。まるで一つの生物であるかのように。


「……そういうこと。もうアスモデウスに見つかっていたのね。この森を抜けさせる気はないみたい。」


 これは森林の主、アスモデウスの仕業だ。わざわざ姿を現さずに様子を観察しているのだろう。ここまで来れば、もはや人の知恵でどうにかなる範疇ではない。

 フィルラーナは諦めた。このまま普通に歩いていても意味がないと判断した。


「それならこっちに行きましょう。どこかには辿り着けるわ。」


 そう言って道なき道をフィルラーナは先頭を切って歩き始める。


「道がわかるんか、フィルラーナちゃん。」

「全ては運命神様の御心のままに。私が知らなくても神なら知っているわ。」


 三人は森の奥深くへと進んでいく。もう確かな頼りはそこになかった。

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