12.ほんの少しの会話

 魔界には昼夜など存在しない。強いて言うならずっと夜、というのが正しい。

 空には永遠に浮かぶ満月だけがある。決して満ち欠けする事はなく、沈むことも上る事もない。ただそこにあり続けるだけの月だ。だからこそこの魔界において朝や夜の概念は存在しないのである。

 それは眠らない悪魔にとっては構わないが、日光を浴びてバランスを整える人類種には悪影響である。旅慣れているプラジュや、強靭な精神を持つフィルラーナは寝ることができたが、ヒカリはどうも違和感があって大人しく眠ることができなかった。

 普段の環境と異なるのも大きいだろう。運命神がついているフィルラーナとは違って、ヒカリは自分の安全を確信できていないというのもある。とにかく色んな理由が重なって、ヒカリは上手く寝付く事ができなかった。


 城の中を案内された時に、屋上の方に辺りを一望できるバルコニーがあるとヒカリは聞いていた。どうせ眠れないならと、ヒカリはそこへ足を運んでいた。

 魔界では滅多に風が吹かない。だからこそ余計に夜は静かで、それが逆に眠れない理由になっていた。


「……もっと、私が強かったらな。」


 口から零れるのはそんな事ばかりだ。異世界に来てから数年、ヒカリの実力は冒険者や騎士と比べても遜色ないレベルになっている。それでも、遭遇するのはヒカリの実力を遥かに超える敵ばかりだ。

 ヒカリにとって地球に帰りたいという思いはあれど、それはもう最大の目的ではない。もう諦めかけているというのもある。だからこの世界で何をしたいかというのがヒカリにとって重要な事で、答えは既にもう見つかっている。

 後はその夢に手を伸ばすだけ――それが一番難しいわけだが。


 いつだって人は夢に憧れて焦がれて、その夢を叶える為にどれだけの時間がかかり、苦痛を味わうのかを知って諦める。最終的には妥協点を見つけてゲームエンド、無事に社会の歯車へとなる。

 ただ普通に生きるだけでも難しい世の中で、夢を叶えられるのは一握りの特別な人たちだけだ。才能があったのか、運があったのか、それとも単に諦められなかっただけか。ヒカリは随分と前に諦めてしまったのだ。孤独に耐えられなくなって、人と違う事が恥ずかしくて。

 だから夢を叶える難しさはよく知っている。少なくとも一朝一夕で手に入るものではなく、それまでの間、どれだけの無力感に苛まれる事になるのかも。


「それでも、私は――」


 風が吹いた。今まで、魔界にいて一度も感じなかった風が。


「……何か、来る?」


 ヒカリはその異様な雰囲気を感じ取って、黒い聖剣を抜いた。あの夜、吸血鬼の体を切り裂いた聖剣を。その早い判断がヒカリの命運を分けた。

 空を切り裂いて、闇の黒に紛れて鴉が飛ぶ。月を覆い隠すように大きな翼を広げて一直線にここへ。それはヒカリの体より少し大きい鴉だった。


 大口を開けて飲み込もうとするその嘴へ迷うことなく剣を振り下ろすと、それに怯んで鴉は少し距離を取って上からヒカリを見る。

 言葉を発せぬ悪魔のなりそこない、魔界に住む獣である魔獣だ。人の匂いに釣られて遥か遠くからここまで飛んで来たらしい。


「不殺生、不偸盗……二つだけ。」


 聖剣は真の力を発揮していない。しかし飢えた獣を殺すには、数年かけて磨き上げてきたヒカリの実力さえあれば十分だ。

 もはや理性を失ったその魔獣は本能のまま、再びその翼を広げてヒカリの方へと飛び込んでくる。その単調な嘴による攻撃を横に飛びのいてかわし、そのまま大きな翼へとヒカリは剣を走らせた。片翼を失った鴉はそのまま地面まで落ちていく。

 鴉は地面に落ちると黒い霧のように溶けて、そのままいなくなってしまった。


「おお、流石は異邦の勇者。私の助けは必要なかったようだ。」


 ヒカリの後ろから声がした。階段を上る音も、廊下を歩く音も聞こえなかったが、気付いたらパイモンはそこに立っていた。


「それが聖剣か。できれば十全の状態を見たかったが贅沢は言わない事にしよう。それはまた今度、再び会う時に。」


 パイモンはヒカリの隣まで来て、バルコニーの柵に寄りかかる。ヒカリは聖剣を消して同じようにバルコニーから外を見た。


「何もないだろう、魔界には。それに比べて人の世界はどれも無駄に溢れていて美しい。それを再現しようとしたんだが、この城を作り終えた時に諦めた。結局は中身がないと気付いたからな。」


 そうだろう、と問いかけられるがヒカリは何も言えずに笑って誤魔化した。

 それを気にも留めず、饒舌にパイモンは話し続ける。最初に話した時よりは声が小さくて、今度はちゃんと聞き取る事ができた。


「そう言えば、名前を聞いていなかったな。教えてくれるか?」

「……分からないんスか?」

「ん、ああ。あの貴族の名前を知っていたのに、という事だな。私は決して全てを知れるわけではない。私がお前について知っていることは案外多くないぞ。異世界から来る者はいつも見えにくい。」


 口ぶりからして、パイモンは以前にも異世界人に会った事があるようだ。実は異世界人なんて珍しくないのかもしれない、とヒカリは少し思った。


「私は天野光と言います。好きに呼んでください。」

「ヒカリか、良い名前だ。意味は分からんが響きが良い。」


 こう話していると、見た目もあってただの人のように見えてしまう。少なくともヒカリはパイモンが魔界を統べる王の一柱には見えなかった。

 それを知ってか知らずか、パイモンは一度もヒカリの方を見ないまま話し続ける。


「そうだ、さっきの魔獣の話をしてやろう。この魔界に住む生物は魔力が実体を得た魔力生命体しかいない。となれば、生き延びるには栄養ではなく魔力が必要だ。だからこそ弱そうなお前を狙ったのだ。その弱さが故の代償を払うことになったがな。」


 ヒカリが難なく魔獣を倒せたのは、魔力がなく死にかけであった事が大きい。まあ死にかけでなかったのなら、そもそも悪魔の王の塒に飛び込むなどありえないのだがそれはそれ。


「魔界とはそういう場所で、悪魔とはそういう存在だ。ああ、ちなみに七十二柱は例外だぞ。七十二柱は放っておけば魔力が回復するし、それぞれの目的が別にある。だから私にはお前たちから魂を奪うメリットがないし、出て行ってもらえるならばそれを観察して暇潰しもできる。お前たちは面白そうだったからな。」


 そうこう話しているうちに、ヒカリはまぶたが重くなっているのを感じた。一瞬だったが聖剣を振ったので疲れているのだろう。


「……すみません、私はもう寝るッス。」

「ああ、そうするといい。お前たちは明日からが大変だからな。私にとっては明日から楽しいわけだが。」


 前言撤回、やはり悪魔だとヒカリは思った。普通の人は苦しんでいる人を見て喜んだりしない。

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