6.情けは人の為ならず

 日が沈みかけ、人数も減りゆく街道をヒカリとフィルラーナは歩いていた。当然、その後ろには2人の騎士がついて来ている。

 前はアルスがいたから護衛も必要なかったが、いないとなれば護衛は必要不可欠だ。街中であるため防具はつけていないが、それでも騎士が二人いれば大抵の事は何とかなる。


「今日の料理は満足いただけたかしら?」

「勿論ッス。この世界に来てから一番美味しかったッスよ。」

「あらそう、それなら連れて来た甲斐があったわね。」


 お世辞でも何でもなく、それはヒカリの本音だ。外観や内装からして高級料理店である事は直ぐに分かったが、実際に食べてみれば予想以上に美味しかった。

 貴族が足繁く通う理由も分かるというものだ。あんなに美味しいなら何度だって食べてみたい。


「王選の時、五大都市を回ったでしょう。その中でも、リラーティナも引けを取らないと思わない?」


 ヒカリは頷いた。

 ヴェルザード、ファルクラム、アグラードル、王都バース、そしてここリラーティナ。五大都市と呼ばれるだけあって、そのどれもが美しく素晴らしい。

 リラーティナはその中でも、素朴な美しさがあった。派手な建物や名所はなく、ただ街の人々が作り上げた美食や文化、工芸品が積み重なっている

 それが何よりもフィルラーナにとっては大切なものだった。


「貴族はその身分で生まれたからには、その権利を行使して義務を果たさなくてはならない。逆に言えば、貴方はこの世界で生まれたわけではないのだから、義務なんて何もないわ。」

「……それでも、私は戦いたいッス。それが正義なら。」

「それなら忘れないで。逃げる事は悪い事じゃないわ。大事なのは最後に勝つこと。必要なら逃げたって構わないの。」


 その言葉の意味や意図を理解できなくて、ヒカリは返事ができなかった。それでも取り敢えず頷こうとしたところで、目の前に人影が走る。


「――ああ、おっと。ごめんなさい。ぶつかってもうたわ。」


 その急に目の前に出てきた老婆はフィルラーナとぶつかって、倒れそうになるのを右手の杖を使って堪えた。

 その赤い肌を見ればその老婆が鬼人であることは直ぐに分かる。しかし種族の代名詞たる角はその頭にはついていなかった。

 二人の騎士は直ぐにフィルラーナを守るように前へ出た。この街でフィルラーナを知らない者など早々いない。知らなかったとしても、後ろに帯剣した騎士2人を連れる者にぶつかるなどおかしい。そう思っての事だった。


「下がって良いわ、二人とも。ただぶつかっただけよ。」

「……しかし、安全な者である保証はありません。」

「嫌な予感はしない。それ以上の理由は必要かしら?」


 運命神の祝福を受けるフィルラーナの予感は、ほぼ未来予知と大差ない。故にこそ二人は引き下がった。


「失礼したわね。ただ、前には気をつけて歩かないと危ないわよ。」

「そやなあ、お嬢ちゃんの言う通りや。何が起きるかわからんからなあ。」


 老婆は杖を使って、背筋を伸ばして立つ。杖こそ持ってはいるが杖に頼って歩いているようではなさそうだった。むしろそこら辺の若者よりも体幹がしっかりしている。


「ちょっと道に迷ってしもうてな。旅をして回ってるもんやから、土地勘がなくて困っとったんや。」

「それなら案内するわよ。どこに行きたいのかしら?」

「本当かい。それならこの地図の印の所に連れてってもらえんか?」


 そう言って老婆は左手に持つ地図をフィルラーナに見せる。


「ここは……そう遠くないわね。歩いて直ぐの所よ。」

「おお、それは良かったわあ。流石に歩き回ってくたびれたところやってん。」


 ふぅ、と少々わざとらしく老婆は息を吐いた。

 フィルラーナは方角を指差し、先導して歩き始める。ヒカリと老婆、そして護衛の騎士2人はその後ろに続いた。


「あそこは刀剣を売っているところだったと思うのだけれど、剣を買うつもりなの?」

「せやなぁ。前に使ってた剣を失くしてもうたから、新しい剣を探しとってん。」


 剣術をやるのか、とヒカリは少し驚いた。このような小柄でお年寄りの女性が、武術をするなんて思えなかったからだ。

 しかしこの世界の住民にとって、それは驚くべき事ではない。男女で体格の差は多少あるが、最後にものをいうのは闘気と魔力の差だ。そこに男女や年齢の差はあまり出ない。

 故にフィルラーナもその事実を平然と受け止めていた。


「ああ、そうや。親切にしてくれたし、何かうちにできる事があるなら言うてや。できる範囲で手伝わせてもらうわ。」

「その必要はないわ。貴族は施すものよ。」


 老婆は「そうかい。」と言って、愉しげに笑う。


「着いた、ここよ。」


 辿り着いた場所は、この街にいくらでもあるような武器屋だ。冒険者が主に立ち入っており、安くて丈夫な武器が一通り揃っている。


「おおきに、この恩は忘れへんわ。」

「気にしないで。貴方の旅の幸運を祈るわ。」


 一言添えて、フィルラーナ達はこの場を離れようとする。

 もう少しで日は完全に沈んでしまう。街中であっても夜道は危険だ。特にこの世界であれば尚更。フィルラーナにとってもわざわざ危険を冒す必要もない。

 武器屋に入っていく老婆を見届けて、屋敷に戻ろうと足を向けたタイミングの事である。


「――いえ、待って。」


 というのに、フィルラーナは足を止めた。


「周囲に敵はいないかしら?」

「……私の感知できる範囲ではおりません。」


 フィルラーナの質問に騎士は簡潔に答える。

 さっきまでの雰囲気とは一変していた。フィルラーナは街の中を見渡して、そして体の魔力を動かし始める。


「どうかしたんスか、フィルラーナさん。」

「嫌な予感がしたのよ。丁度、今。こんなに頭が痛いのは久しぶりだわ。」


 頭を押さえながらフィルラーナは知恵を巡らす。

 運命神の祝福は嘘をつかない。確定した不幸、確定した災難へ向けて虫の知らせを飛ばす。それは頭痛などの体調不良という形で現れ、それが強いほどにその災難が近付いている事を示す。


「屋敷と連絡を取って。ここに人を呼べるかしら。」

「良いですが……どのような理由で呼び出しましょう?」

「私が全ての責任を取るから、とにかく腕利きの騎士を呼ぶように頼んでちょうだい。お父様ならそれだけで判断してくださる。」


 騎士はそれを聞いて懐から連絡用の、ビー玉のような魔道具を取り出した。


「――それは、困るな。」


 小さな石が飛び、騎士の手の上にある魔道具を正確に射抜く。そしてそれを成した張本人は、悠々と空に浮かんでいた。

 真っ黒なローブは暗くなりつつある空に馴染み、目深に被ったフードがその人物の顔を隠している。誰が見ても、そいつが魔法使いである事に疑いを挟む余地はない。


「運命神の祝福は面倒だな。どれだけ巧妙に隠れても、敵意を見せれば存在を察知される。」


 男が右手を上にあげると、空に魔法陣が刻まれる。ここ一帯の空を覆うように。

 街道を歩いていた人々も、それを見て悲鳴をあげて逃げ始める。攻撃は直ぐに飛んでこない。他の住民は逃げられるかもしれない。

 しかしフィルラーナは逃げられない。男の狙いは間違いなくフィルラーナだ。これ程の魔法を使う相手から逃げられるわけがない。


「あの男が始末しろと命令するのも納得だ。」


 魔法陣から無数の岩石が生み出され、それら全てがフィルラーナへと向けられる。

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