41.夜の支配者

 あれから半日が経った。

 二度目の攻撃がやって来ない保証はなく、賢神たちは慌ただしく防衛を整えている。また、怪我人の数が多いため大勢の魔法使いが教会へ運び込まれた。そのせいでつい先ほどまで入口は大渋滞だった。

 しかし逆に言えば、怪我人を全て運び終えて、賢神たちが賢者の塔の簡易的な修復を施している今、塔の一階である入り口に寄り付く者はいない。


「……私、何してんだろ。」


 天野光は2階への階段の一段目に座って、そんな自虐的な言葉を呟いた。他に誰もいない、一人きりのその空間で。

 この異世界に来てから、ずっと無力感を味わって生きてきた。今日もその一つだ。白く長い髪の少女を抱え、教会へ向かうアルスにヒカリは何も声をかけられなかった。

 自分を責める顔や人に怒る顔、どうしようもなくて焦る顔なら数え切れない程見た。だけどあんなに悲しそうな顔は一度も見た事がなくて――


 追いかける事もできず、せめてここで一番に帰りを待つのがヒカリにできる精一杯だった。

 それ以外には、できる事が見当たらなかった。


「本当にこれが、魔王なんて倒せるものなんスかね。」


 右手に聖剣を持ちながら、ヒカリはそう呟いた。

 聖剣『如意輪』。白い片刃の直剣で、刀身の根本にはビー玉程度の大きさの珠がついている。その効果は地面に剣を突き刺すと、決して壊れる事のない結界を作り出すというものだ。

 確かに無類の強さを持つが、聖剣にはまだ別の姿がある。何となくだがヒカリはそれを理解していた。ただ、手に入れていないならばないのと同じだ。それに希望を持てるほどヒカリは楽観的ではない。


 思い出すのはレイとの会話だ。魔王が再び現れたとして、一体どうするか。今思い起こせばこの状況を読んだような言葉だった。ヒカリの中に未だ答えは存在しない。

 何より実感がないのだ。アルスの戦いもヒカリにとっては雲の上の出来事のようで、自分がどうこうできるような気もしない。


 ――そんなヒカリの思考を遮るように、足音が響いた。


 ヒカリは反射的に聖剣を消して受付のカウンターの後ろへ隠れた。隠れたのは半ば本能的な行動で、聖剣はあまり人に見せてはいけないというアースの言葉によるものである。

 よくよく考えれば見られたとして直ぐにバレるものではないし、聖剣を消して堂々とすれば良いのだから隠れる必要はない。そう思い至ったのは既に隠れた後で、そうなれば逆に姿を出すのが恥ずかしい気がしてそのままヒカリは息を潜めた。


 足音の主は数十秒かけて顔が見える位置までやってくる。

 まるで病人のように生気のない白い顔で、まるでモデルのように長い足と整った顔立ちをしていた。この世界では珍しい黒髪と、鮮血のような紅い眼が何よりも特徴的である。服装はまるで十八世紀のヨーロッパ貴族のようで、真っ黒なコートを上に着込んでいる。

 それにヒカリが目を奪われている内に、階段の方からも足音が聞こえて来た。こちらの人は知っていた。治療の為に駆け回っていた、賢者の塔に常駐する癒し手である。


「……患者ですか?」


 その神官はその男の顔色を見て、真っ先にそう言った。どちらもヒカリに気付いていないのか、二人はちらりともヒカリの方を向かずに近付いて立ち止まる。


「ああいえ、役人の方でしたか。しかしもう日が沈んでいます。別日にした方が良いかと。」


 その服装から役人であると神官は判断したらしい。これだけの事が起きれば、役人が派遣されてくるなんて当然の事だ。そう考えた神思考は間違いではない。


「いや、今日でいい。」


 彼に非があるとするのならば、相手の実力を把握できていなかった事と運が悪かったという事だけだ。

 男はその手で神官の頬を掴み、細い腕からは信じられないぐらいの力で神官を持ち上げた。声を出そうとしても口元を掴まれているせいで上手く言葉が出ない。


「魔法を使えば直ぐに殺す。大人しく私の質問に答えるだけでいい。」


 ヒカリは一瞬、目の前で起きている光景を理解できなかった。

 戦いはもう終わったはずで、既に次へと思考を移し始めていたヒカリにとって、それは有り得てはいけない光景だった。

 黒い翼が広がる。その翼はまるで蝙蝠のようで、背中の腹部辺りから闇に紛れるように伸びていた。それは伝承に名高き吸血鬼の姿と一致する。


「二階に冠位は一人でもいるか? 肯定なら右手を、否定なら左手をあげろ。」


 神官は左手をあげた。それは嘘ではなく、二階どころか十階より下に冠位は今いない。


「ありがとう。その情報が欲しかった。」


 吸血鬼のその言葉の後に、神官は足先から順にミイラのように水分を失っていく。それは一分も経たずに心臓部までに達してしまうだろう。


「……ん?」


 だが、それよりも先にヒカリは駆け出していた。手に持つのは光をまとう聖剣、それを見て吸血鬼は両足がミイラ化した神官を投げ飛ばし、闇の中から影の剣を抜いて正面から受け止めた。


「そのまま隠れていれば死ななかったものを。あまりにも愚かだな、人間。」

「……隠れていたら、別の人が死ぬだけじゃないッスか。」

「違う。姿を現しても、死体の数が一つ増えるだけだ。それを人は蛮勇と呼ぶのだろう?」


 勝てる保証はないのに、ヒカリは飛び出してしまった。目の前の死にゆく人を前に見ているだけなんてできなかった。


「私としては構わないがな。」


 吸血鬼が軽く剣を押し出すだけで、ヒカリは踏ん張る事ができず後ろに何歩か後ずさる。

 ヒカリが剣を習い始めてまだ二年も経たない。未だその剣術は見習い剣士の域を出ない。人外の力を持つ吸血鬼に対抗するにはどう考えても力不足であった。

 いつだってそうだ。無力であるのに前に出て、迷惑をかけて、そしていつだって誰かに何とかしてもらう。それでも前に出ずにはいられないのだ。目の前の苦しんでいる人がいて、それを放置して生きていけるほど器用ではないのだ。

 例えそれが、己の死を招く事となっても。


「吸血鬼は夜を好む。何故だか分かるか。答えは単純、夜が最も己を強くすると知っているからだ。」


 闇に吸血鬼は姿を溶かす。必死にその姿を探そうとするが見つかるはずもなく、ヒカリの背後に影が集まって形を成す。


「――夜の吸血鬼に勝てる者が存在するわけがない。この世の常識だ。」


 その右手で床に向かって、ヒカリの頭を叩きつけた。

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