26.冠は貴く

 賢者の塔第48階、神秘科本部。

 賢者の塔に大きな横穴があいてから既に数十分、魔物の軍勢はここにまで辿り着いていた。賢者の塔は外側からの攻撃には強いが、内側からは壊せる程度のものだ。一度横穴を開けられた時点でこうなる事は決まり切っていた。

 ただ、王選時のファルクラム領での一件とは異なり、今回は戦力は余りうる程に存在した。


「ふむ……何が狙いなんだ、これは。」


 ワイバーン、ハーピー、グリフォン、その他多数。それらの屍の中でミステアは佇んていた。辺りでも神秘科の魔法使い達が次々と魔物を落としている。

 きっと疲弊はするだろう。しかし負ける事は決してない。魔法の一撃で災害を生み出すことのできる魔法使いが、どうやってただの魔物に負ける事ができようか。


 だからこそ重要なのは狙いだった。確かに賢者の塔に傷をつけたのには驚いた。しかし驚いただけだ。これならば賢者の塔ではなく街に攻撃された方が被害は甚大であっただろう。

 だから目的は人を殺す事や国を揺らす事でもない。大量の魔物を犠牲にしてでも得れるメリットとは何か。


「――お、いたいた。ねえお前がミステアだろ。神秘科冠位代理、だっけか?」


 軍服を着込んだ黄色い髪の女だ。腰には短刀と拳銃をぶら下げていて、不敵な笑みをミステアへと向けていた。

 ミステアは考える事をやめた。目的は目の前の敵を全て片付けてからゆっくりと考察すればいい。目の前の女にミステアは意識を集中させる。


「血の匂いがする。ここに来るまでに何人か殺したか。」

「邪魔だったからね。弱かったし。」


 女に疲弊した様子はない。つまり賢神数人を大した苦労もせずに殺せる程の人物であるという事だ。ミステアは警戒度を一段階あげる。


「私の仕事はお前を抑え込む事なんだけど……別に殺しても構わないって言われてるから、殺すね。」


 女は短刀を抜く。虹色の刀身が鈍く光る。


「随分と、舐められたものだな。」


 どこからともなく、ミステアは白く細長い杖を取り出して手に持った。






 賢者の塔第11階、戦闘科本部。


「だ、誰かあいつを止めろ!」

「止めろって、どうやったら止まるんだよ!」


 暴れているのは魔物ではない。たった一人のそいつに、何十人もの魔法使いが蹴散らされていた。

 鋭い牙がもう屍となって動かない魔法使いの肉を削いで、それを強靭な顎で咀嚼し、喉奥まで肉を送り込む。十数人の魔法使いに囲まれていながら、そいつは汚く肉を食い漁っていた。

 骨も、内臓も、何もかも全て噛み砕き飲み込み、そして再び生きている魔法使いへと目を向ける。次々と放たれる強力な魔法は当たる直前で夢のように消えてなくなってしまう。


「ああ、お腹空いたなあ。」


 魔法使い達が真価を発揮できないのも当然の事だ。そいつの周囲だけ、魔力が圧倒的に薄いのだ。近付く魔力は全てそいつの体に吸い込まれて消えていく。魔法使いの天敵とも言えるような相手である。

 そいつは地面を蹴って飛び出して、一人の魔法使いの目の前に迫る。周囲の魔力が急速に薄くなり、咄嗟に魔法を発現させる事すらできない。いつもなら防げたはずのその攻撃も、魔法だけしか使えない彼には防ぐ術がない。


「――遅くなったわね。」


 彼女が、ヴィリデニアが来なければ、きっと死んでいただろう。

 そいつの開いた大口はヴィリデニアの右腕を食らいついていた。が、噛み切る事ができていなかった。魔法を使う事ができないはずなのに、骨すら砕くその顎の力に抗っていた。


「あんた達、ここはアタシがやるわ。他の所に行ってきなさい。」


 蜘蛛の子を散らすように魔法使い達はこの場からいなくなる。いても役に立たないのもある。しかしそれよりも、ヴィリデニアがやるなら絶対に勝つ。全員がそう信じていたからだ。

 冠位魔導戦闘科ロード・オブ・ウォーにして第4席、魔法使いの中でも彼女は五本の指に入る実力者であるのだ。

 そいつは一度ヴィリデニアから離れて、首を傾げながらヴィリデニアを見る。ヴィリデニアは他の人が離れていくのを確認した後に、そいつに視点を合わせた。


「……さて、あんたは一体どこの誰なのかしら?」

「ラル。『食欲』の、ラル。」


 ヴィリデニアの予想と違って、そいつは素直に答えた。獣のようであったが、質問に答えられる程度の知能はあったらしい。

 欲望の名を冠するのならば、きっと組織の幹部である七つの欲望であろう。


「どうもありがとう。私はヴィリデニア・ガトーツィア。帰るなら今の内よ。」

「お腹、減った。」

「そう……無理そうね。」


 ヴィリデニアは拳を構えた。






 賢者の塔第30階、開発局。

 ここでも魔物が暴れ回っていた。必然的にアローニアはその対応に迫られていた。いくらアローニアであってもこの広い開発局を一人で監視し続ける事はできない。

 だから魔物にまぎれて一人ぐらい侵入者が紛れこんでいても気付く事はないのだ。


「はい、出なよ。」


 黒いローブを羽織った茶髪の女、先代冠位魔導生命科ロード・オブ・ソウルであるロロスがそこにいた。ロロスは牢の鍵を開け、その中にいる男の枷も外した。

 その男、オルトロスは上機嫌な様子で肩を回す。


「急いで逃げた方がいいよ、オルトロス。今ならどさくさに紛れて逃げられる。」

「……何で、俺を助けてくれたわけだ?」

「戦力になると思ったからね。組織はずっと働き手を求めているんだ。」


 オルトロスは頭の上に疑問符を浮かべる。

 組織と言われれば、今の世では間違いなく名も無き組織を思い浮かべる。しかし何年も前に牢獄に入れられたオルトロスは名も無き組織なんて知らないし、ロロスが冠位になった事だって知らない。今起きていることだって把握できていなかった。

 それでも、やりたい事はある。非常に単純な性格のオルトロスが、ずっとここで耐え続けてきたのはその為だ。


「いや、俺は逃げねえぜ。アローニアの奴をぶち殺すまではな。」

「……自殺させる為に助けたわけじゃないんだけど?」

「いいや、負けるはずがねえ! ここにいる奴ら全員でかかれば、敵にすらならねえよ!」


 オルトロスがそう吠えると、他の牢獄からも声が響いてくる。ここから出せと、あいつを殺させろと。

 大きな大きな溜息を吐き、ロロスは頭を手でおさえる。


「それじゃあ好きにやりなよ。私は言ったからね。」

「ああ、好きにさせてもらうさ。」


 ロロスは呆れたようにここを去っていった。

 薄汚れていて目立たないが、オルトロスには犬の耳と尻尾が生えている。それは常人より強力な身体能力を持つ獣人の特徴だった。体を縛る鎖さえなければ、簡単に牢屋を引きちぎる事ぐらいできる。

 オルトロスは辺りの牢屋を片っ端から壊していく。しかしここまで目立つように動けば、必ず誰かの目に留まる。


「――何をしているんだ、お前さんら。」


 ある牢屋の上にイーグルの姿があった。当然、死刑囚達の視線はそこに集まる。


「今は相手をしている暇がない。大人しく牢屋に戻りな。」

「はぁ? いつまで上にいるつもりだイーグル。お前が偉そうにできていたのは、俺が牢に繋がれていたからだ。枷が俺の力を奪っていたからだ。調子に乗るんじゃねえぞ!」


 イーグルは返事をせずに、懐からゴーグルを取り出してそれを目につけた。会話はもう必要なかった。


「じゃあ、俺に殺されるんだな。」

「テメエがな! イーグル!」


 魔物が未だに暴れ回り、アローニアも不在の中、戦いは始まる。

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