43.王子は剣を振るう
ニレアの戦力において最も厄介だったのはエルディナとフランだった。
確かに敵はこれ以外に何人もいたが、不幸中の幸いと言うべきか、何故かその中にアグラードルで有名な強者の姿は見えなかった。
だからこそ、ディーテがエルディナを引き付けて、アルスがフランを抑え込んでいる今、ニレアはこれ以上ない程に隙を見せている状態と言える。
しかし、ここからが一番重要だった。
まず、第一にこの状態を維持できるか。例えばアルスがフランに負けてしまえば、フランは直ぐにエルディナの警護へ戻るだろう。ニレアが倒されるまで誰も負けてはいけないのだ。
加えてそもそもニレアを倒せるのか、というのが最大の問題点である。ニレアには二人の護衛がいて、人質だっている。ニレア自身も自衛の道具を持っているかもしれない。半端な戦力であれば返り討ちとなる可能性は高い。
広場から少し離れた大通りにニレアはいた。サティアは広場にいた時と同じように地面を転がっていて、護衛である二人は常に周辺を警戒している。
それを相手に気づかれないようにスカイは観察していた。武器はフランに預けられた剣だけで、何か特別な魔道具を持っているわけではない。一番肝心なのは相手の用意が不十分な最初の動きである。
「……サティアは無事か。」
人質である以上、無事である可能性が高いことは理解していたが、それでもこうやって目で確認するまでは不安なものだ。
何よりそのお喋り好きな性格を知るスカイにとっては、何か余計な事を言っていないか心配になるものである。
きっと間違えたのだろう。スカイ自身、それは理解していた。
自分の恋人たった一人の為に、ここまで大勢の人を危険にさらし、王子としてあるべき責務を放棄した。何度も後悔した。兄と父には心の中で何度謝ったかなどもはや覚えていない。
それでも、サティアを守りたいとそう思った事だけは、ただの一度も後悔した事はなかった。
「力を、貸してくれ。」
剣の持ち手を強く握る。
初めてできた友人だった。初めて家族以外で心を許して語り合えた。そして何よりも、その強い姿にスカイは惚れていた。
決意するまでの瞬間はまるで永遠のように長く感じて、だが、一歩踏み出した先からはほんの一瞬だった。
「ニレア様! お下がりください!」
三人がいた位置は大通りの真ん中だ。どこから飛び出しても不意はつけない。それでも突然襲い掛かれば、普段より対応が必ず遅れる。それこそがスカイの勝機だった。
風がスカイの背中を押す。スカイがその場所へ辿り着くのには数秒もあれば充分である。
地面から木の枝が生え、それがスカイを拘束しようと伸びる。スカイは勢いよく跳躍し、自分を追う木からその体を逃した。
しかしその着地点には既に槍を持つ男がいた。空中にいれば回避は困難であり、相手の方が武器のリーチも長い。それこそフランに並ぶほどの技量がなくてはどうしようもない状況だ。
――スカイが、ただの剣士であれば。
スカイの足が空中を踏んだ。そこにあるのは見えない空気の足場、魔法によって作られた大した強度を持たない踏めるだけのただの足場。それこそが、スカイの魔法剣術の得意技だった。
空中で更にスカイは飛び、相手が反応しきるより早くに近づいてその剣をぶつけた。風を纏うその剣は、近くの家屋までその男を弾き飛ばした。
「『
休む暇もなく、声と同時にスカイの目の前に魔力が集まる。魔法が発動されるまでに逃げることはスカイにはできない。
取られる手段は防御か、もしくは――
「――前に出る!」
それは自分を鼓舞するような一言で、目の前の魔法から逃れるのではなく、むしろその向こうへと飛び出した。そうすれば爆発が起こる地点は、スカイの前ではなく後ろになる。
背中にとんでもない衝撃と痛みが走り、思わず意識を手放しそうになるのを無理矢理に留める。闘気を背中に集中させていれば、ダメージはかなり抑えられる。死ぬほど痛いのを我慢するだけだ。死ぬより辛い事になるよりかは何億倍もマシである。
目の前にいるのは魔法使いの女だ。次の魔法を発動されるより早く、スカイはさっきと同じように剣を振るった。
「へえ、思ったより強いのね。」
そのまま迷わずニレアへと剣を振るおうとしたが、結界に阻まれた。スカイの剣はニレアまで届かない。下がらずに二度、三度と剣を振るが割れない。
「感楽欲の言った通りだわ。あなたは私へ剣を向けた。」
「スカイ君逃げて! こいつは何か隠し玉を――」
「うるさい!」
口を開いたサティアの顔をニレアが蹴る。スカイは目を見開き、剣を握る手に更に力が入る。
大振りの一撃でやっと結界が壊れた。そんなスカイの足元にコロコロと小さなビー玉のようなものが転がってきた。
「裏切るなら殺していいって言われてるの。前回みたいに逃がしてあげるとは思わない事ね。」
その玉にヒビが入り、一瞬だけ光が走って風が吹き荒れる。
血のように赤い目がスカイの体を覗き込む。銀の毛で体が覆われており、その毛は生半可な剣であれば通らない程に強固で分厚い。大地を踏み締めるその四つの足は巨大な体躯を悠々と支えられるぐらいに発達していた。
それは狼、いや、正確には狼に似た魔物だった。魔物の中でも特に上位、厄災とも呼ばれる生きる災害たる王種の一つ。
「殺して。」
たった一言、その命令だけで狼の王が従って動く。前足を少し上げて、まるでハエでも潰すかのような気軽さでスカイへと落とした。
スカイは転がり込んで間一髪でそれを避ける。だがその次、横に薙ぐように払われた足を避ける事ができなかった。
何度も地面を跳ねて転がり、かなり遠くまでスカイは飛ばされる。不幸中の幸いか、狼は警戒こそするが追撃はなかった。
それでもスカイの傷は大きい。全身が痺れていて、力が上手く入らない。剣は握っていられるが、あの狼相手に一太刀浴びせる事すら不可能だろう。
「……はは、情けないや。」
スカイがニレアを倒さない限り、この戦いに終わりは訪れない。だが、もはや勝機は限りなく薄く、スカイが生きて帰れるかすら怪しい。
この戦いは、負けになる。他ならぬスカイの責任で。
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