33.愛は伝播する

 フランが操られている。それは一番最初に考え、そして否定した事だった。

 フランの体内に宿す闘気は常人の比ではない。魔法であってもスキルであっても、直接干渉する類のものは弾かれてしまう。何よりフラン程の手練れであれば、近付かれる前にその存在を察知できるはずである。

 しかし、相手がもし名も無き組織の幹部ならば、話は大きく異なる。


「……一体どういう事だ? 状況がサッパリわからねーが。」


 重苦しい空気の中、真っ先に口を開いたのはアースだった。


「フランがお前の言う事を聞いているのも、ここの領民が一切動かないのも、全部お前の仕業って事でいいのか?」


 フランが操られていると仮定するのなら、自然にここにいる人全員があの女に操られているという事になる。

 それが本当ならば、この女が名も無き組織の幹部である事に疑いはない。それだけの規模の強力なスキルを持っているのは、幹部級でなくてはむしろ有り得ない。


「仕業なんて、人聞きの悪い言い方はやめてください。彼らは私を愛してくれたんです。そして皆が進んで私のお願いを聞いてくれる。素晴らしい愛だと、そうは思いませんか。」


 彼女、ニレアにとってこれは愛と言うらしい。人々が盲目に自分の言葉に従い、その命令を聞くのが愛だと。

 理解できない。いや、理解できないからこそ彼女はあの組織の幹部をやっているのだ。この世界の表側と決して相容れない狂人だからこそ、裏の世界では輝ける。


「だから貴方達も、私を愛して欲しいんです。そして死んで欲しいんです。私を愛したまま、いなくなって欲しいんです。そうすれば、私も『感楽欲』とのお約束を果たせます。」


 言っている意味は分からないが、敵だという事は考えるまでもなくわかる。

 俺はいつフランが襲いかかってきてもいいように、魔力を練り始める。恐らくだが、ニレアは単体の戦闘力自体は高くないのだ。だからこそフランを盾にするようにして話している。洗脳のスキルの発動条件がわかるまでは警戒を解けないが、それでもより意識を割くべきはフランであるに違いない。

 この距離はフランが強い間合いだ。それにただ戦うだけなら兎も角、ヒカリやアースを守りながらでは苦しい。


「……エルディナ、飛行魔法で逃げれるか?」

「できなくはないけど、この人数で飛べば確実にフランに落とされるわよ。」


 飛んで逃げれるんじゃないかという希望は早々に潰える。

 そう言えばそうだった。あいつ、剣士のくせに飛び道具が使えるんだ。斬撃を飛ばすとかなんかで。最速と謳われるあいつの剣から逃げようなんてのが、そもそも甘い考えだったのかもしれない。


「それではご返答を。私はあまり、気が長い方ではありませんので。」


 その視線の先にいるのはアースだ。その目にはまだ、闘志は消えていない。


「却下だ。俺様に利益がない。」


 そう言ってアースは笛を取り出す。王国総騎士団長オルグラーを呼び出す笛だ。アースは奥の手を使うことを躊躇わなかった。

 その瞬間に、付近にいる騎士の一人が突然その手に持つ剣をアースに向けた。


「私を、愛してくれないのね。それなら仕方がないわ。ええ、仕方がない。」


 笛を鳴らすより早くにその騎士はアースの下へ突進する。アースは慌てて逃げようとして、思わずその手から笛を手放してしまった。俺が騎士の体を掴んで取り押さえても、もう遅い。

 笛は乾いた音を立てて地面を転がり、それをいつの間にか近くに移動していたフランが拾った。


「殺して、フラン。いらないわ、そいつら。」


 フランは手で笛を折り、地面に捨てる。周囲の二人の騎士が同時にフランへと襲いかかった。両側から、一切のズレもなく剣が振るわれる。流石のフランも一つの剣で二つの剣を防ぐことはできない。

 フランは一歩下がり、そして間合いをはかった。


「アルス、来るわよ!」


 エルディナが叫ぶ。何が、とは聞かなくてもわかった。周囲に人達が一斉にここへ向かって走り出す。狙いは恐らく、アースだ。


「聖剣解放、『如意輪』」


 それを見てからの、ヒカリの判断も早かった。片側にだけ刃がついた直剣がヒカリの手に握られ、そして白く半透明な障壁をちょうど壊れた馬車を覆う程度の大きさで展開した。その壁は全方位を覆うように作られており、人々がそれに魔法を放っても、剣を振るっても壊れることはない。

 俺は岩で押さえつける騎士の体を固める。いくら洗脳されていたとしても王国の騎士は殺せない。


「全員結界の中に入れ!」


 俺はそう言いながら逆に結界の外へ出た。ただ結界の中に逃げていくのを、フランが見過ごすはずがないからだ。

 騎士達は迫る人々から逃げるように結界の中へ入った。反対に他の人は中へ入れない。ヒカリが許可したものしか、この結界の中へは入る事はできない。


「二人とも、結界の中へ入れ。フランは俺が何とかする。」

「……助かります!」


 フランを相手取っていた騎士は俺が着くと同時に結界の中へ走って行った。当然、フランは背を向けた騎士を斬ろうと前に出るが、俺は真正面に立ち塞がった。


「『雷皇戦鎚ミョルニル』」


 雷のハンマーがフランの剣と正面からぶつかり、根元から剣は折れ、その刀身は宙を舞った。

 柔らかい。やはり、持っている剣はフランが使っていた剣ではない。出来の悪いなまくらだ。何故そんなものを使っているのかは気になるが、今回ばかりは幸運だと思うしかない。

 俺は剣を失ったフランから距離を取って、結界の中へ入った。フランは刀身を失って持ち手だけとなったそれを結界へと投げつける。しかし、その程度で結界を破れるはずがない。


 取り敢えず、結界の中へ逃げる事に成功した。それでも結界の外にはまるでゾンビ映画のように人々が群がり、何よりフランがジッとこっちを見ていた。

 ヒカリの聖剣による結界がいつまで保つかもわからない。だがここにいる人を倒すのは、できない。彼らは洗脳されているだけの一般人だ。だが、ここから的確にニレアを倒すことも困難を極める。何よりフランが邪魔をするだろう。

 俺がそう思い悩んでいるとアースがヒカリに話しかける。


「よくやった、ヒカリ。この結界はいつまで保つ?」

「ああ、えーと……多分、10分ぐらいは。」

「わかった。それなら勝負は10分だ。」


 アースはエルディナの方へと視線を移す。


「エルディナ、転移魔法は使えるな。用意できるか?」

「……できない、なんてこの状況では言えないわよ。やってみる。」


 エルディナは目を青くして、辺りに無数の精霊達が集まり始める。

 転移は入口と出口、それを事前に用意する事によって使うのが普通だ。入口だけ作って、遠隔で出口を作るなんて普通は安全じゃないからしない。それでも、精霊の力を借りれるエルディナなら、できなくはない。難易度が高い事には変わりないが。


「他の奴らは外を警戒しておけ。一体どんな事をしてるくるかわからねーからな。」


 アースにそう声かけをされたが、俺はつい力が抜けてしまっていた。ヒカリの結界はカリティの攻撃さえも防いだ超一級のものだ。フランだって容易には破れないだろう。

 取り敢えず今は、エルディナの手伝いをしよう。一人でやるよりは二人でやった方が簡単である。


「そう言えばフランはどこに……」


 一応、俺はフランが今どこにいるのかと結界の外へ視線を巡らす。さっきまでの場所にはもういない。

 黒い髪は目立つ。ここから少し離れた場所、とある家の屋根の上にフランは立っていた。剣はまだ持っていない。それでも、フランはまるで剣を持っているように構えていた。

 フランはないはずの剣を、振りかぶる。

 まさかと、そう思っても止められない。止められないように、あそこまでの距離を取ったのだと、そう気付くのが限界だった。


「『絶剣』」


 フランは見えない剣を振るった。結界は、斬られた。光の障壁は泡のように消えてなくなる。


「『遮断シャットアウト』」


 反射的にエルディナは結界を張った。精霊達が魔力を操り、精巧な結界を張り直した。確かにそれは民衆が迫り来る事を防げた。

 だがその一瞬に、一人に入られてしまった。人々の中に紛れて、気付けばそいつはそこにいた。フランに気を取られたせいで、近付かれている事に気が付かなかった。


「ねえ、エルディナ。私を愛して――!」


 エルディナの腕を掴んで、ニレアはエルディナの眼を覗き込んだ。

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