32.強襲

 アグラードル領を前にして馬車が止まった。恐らくいつも通り、門番に通行許可を貰いに行っているはずだ。

 いくら王子とはいえ、騎士十数名を連れた武装集団を何の確認もなしに通すわけにはいかない。積荷の検査や、本当に乗っているのがアース本人であるかも確認しておく必要がある。

 先行している騎士が基本的な手続きは終えているだろうし、ちょっと確認すれば直ぐに入れるだろう。


「早いのね。もう二、三時間ぐらいかかると思ってたけど。」

「王家の馬だからな。普通の馬だったらこんな長時間走ってられないだろーし、つくのももっと遅かっただろーぜ。」


 エルディナの言葉にアースがそう言った。

 そもそもこの旅は、スカイに比べればまだマシだが、少し無理な日程なのだ。日が昇るのに合わせて出発し、そして到着すればほとんど休憩なしで演説を始める。しかも一万以上の人の前で、だ。肉体的には大丈夫でも精神的には疲弊する。

 俺は見てるだけだから気が楽だが、アースは本当に凄いと思う。絶対に本人には言ってやらないけど。


「あ、動き出した。」


 エルディナの言葉通り、馬車は直ぐに動き始めた。このままアグラードル家の屋敷まで真っ直ぐ進むだけである。

 通りには今までの街と同じように、アースを一目見ようと沢山の人が集まっていた。この光景も、六日目ともなれば見慣れたものである。これ以上の人が演説の際には集まるのだから、つくづく王選の儀の規模の大きさを実感する。


「そう言えばアース、本当に勝算はあるんだよな?」


 俺はアースにそう尋ねる。

 今のところ、別に何か新しい事をしたり、奇抜な事をするわけでもない。ただ普通に街を回って、演説をしているだけである。しかしそれでスカイに勝てるかは疑問である。

 ファルクラムの一件でスカイの人気は勢いづいたし、普通に負ける可能性も高くなってきた。それなのに何もしないのだから心配にもなる。


「慌てるなよ、アルス。二日ある。」

「二日ないんだろうが。そんな風にしてたら本当に負けるかもしれないぞ。」

「いや、俺様の勝ちは揺るぎない。手は打った。」


 自信満々に言うアースの姿を見れば、もう言う気も失せてくる。アースが大丈夫って言ってるんだし、信じるしかないか。


「……まあ、確かに今日によって変わるってのは同意だけどな。」


 何か良くない事が起こると、みんながそう言っていた。それがどれだけ良くない事なのかまでは誰にもわかりはしない。それでも用心はしなければならない。

 それにしても、凄い人の量だ。通りに並ぶ人の数としては一番かもしれない。他の街もたくさん人がいたが、ここまでではなかった。あんまり貴族がどうとか気にしないような街だと思っていたんだけどな。イメージと違う。

 それに対して気を張っていなければならないのだから、ついてきている騎士の精神的疲労は中々だろう。敵に真っ先に当たるのは、この騎士達なのだから。本当に尊敬に値する騎士達で――


「え?」


 馬車の中から外へ視線を向けた瞬間に、隣を馬に乗って進んでいた騎士の首が刎ねられた。

 あまりにもそれは速過ぎた。賢神が二人そ王国の精鋭たる騎士が、誰一人気付かずここまでの接近を許すだけでなく、騎士が一人殺されるなど普通じゃない。

 そしてそれ程の実力を持つ者であれば、この次の瞬間にやる行動など決まっている。


「開け、無題の魔法書。」


 一歩、それだけで十分であったのか、たった一度の足音の後に俺の目前に剣が迫る。


「『巨神炎剣レーヴァテイン』」


 俺は馬車の側面を燃やしながら、眼前の敵に剣を振るった。剣と剣がぶつかり合い、そこでやっと俺は目の前の男の顔が見えた。


「フラ、ン?」


 その黒い髪、黒い目、そして洗練された剣は、違いなくフランのものであった。

 有り得ない。フランがこんな事をするわけがない。何かの間違いで、騙されてこうなっているだけなのだと、そう思わずにはいられない。

 だってそうじゃなきゃ、フランがアースを殺しに来たみたいではないか。


「一体、何が……!」


 アースのその言葉に反応したように、フランは剣を握る手に力を込める。

 よくよく見ればその手に持つ剣は、フランの剣とは違った。学園で五年も一緒だった俺にはわかる。あの丈夫で洗練された剣とは違って、そこら辺で売っていそうな安物の剣だった。

 何故そんな剣を持っているのか、何故こんな事をしているのか、疑問は尽きない。だが、フランは俺を待っていてはくれない。


「……無銘流奥義、一ノ、型」


 その声は、まるで喉を潰されているかのように苦しそうな声だった。


「『豪覇』」


 一気に闘気が集中し、俺の剣をフランが弾く。そして次の瞬間にはもう既に、その切っ先が俺の心臓へ向いていた。

 回避はできない。もはやこの距離では逃げ切れない。防御は論外だ。俺の使うどんな魔法も、フランの剣を止める事はできない。スキルを使おうにも、時間が足らな過ぎる。


「エルディナぁ!」

「任せて!」


 だから俺は任せた。俺が誰よりもその強さを知る魔法使いに。

 最速の剣が放たれるより遥かに早く、暴風を巻き起こし、空間を歪め、それはまるで空気の爆弾のように放たれる。


「『天風グランド・エア』」


 耳が壊れるほどの音を鳴らし、馬車を壊しながらもフランを吹き飛ばす。馬は逃げ出すが、どうせフランを前にして馬車での逃走は不可能である。気にしてもしょうがない。

 アースとヒカリはエルディナがしっかりと結界で守っていたから無事だった。こういう時は本当にエルディナが頼りになる。


「殿下、ご無事ですか!」


 直ぐに周辺にいた騎士が駆けつけ、そしてアースを守るように隊列を組み始める。仲間が既に一人、殺されたというのに騎士達は冷静であった。

 いや、それを考える余裕がない、という方が正しいのかもしれない。


「――ああ、惜しかったのに。」


 声が響いた。女の、不気味な魅力を感じる声だった。

 そこでようやっと気付く。辺りの様子がおかしい。こんなに派手に魔法を使って、死人も出たというのに静か過ぎる。

 ここにいる人々はまるで人形のようにこちらを眺めていた。何かがおかしい、そう思っても肝心な「何か」がわからない。


「フラン、私の前に立って。私を守って。」


 フランは剣を持ちながら走って、ある女の前に立つ。その女は金色の長い髪と、宝石のような紅い瞳をしていた。肌を大きく露出させるドレスのような服を着ていて、この重苦しい戦場にそれは似つかわしくなかった。

 何故、フランがこんな女の命令を聞いているのか。それは気にはなるが、聞く余裕がない。一体どんな力を持っているか未知数である以上、下手な行動はそのまま死に直結する。


「初めまして、皆さん。せめて御挨拶をと、そう思いまして。」


 その女は笑った。それはお嬢様のような優雅で気品のある笑い方と違って、表情を隠そうともしないだらしない笑みだった。

 強い嫌悪感が俺の体を支配する。こいつは危険だ。そう俺の体全体が警笛を鳴らす。


「私は七つの欲望が一人、『性欲』のニレア。今日は私を、愛してもらう為に来たんです。」


 その女は手を合わせて、そんな事をほざいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る