22.過去を呪う
血を流すアルス、それへと迫るカリティ、その背後にいる自分。
当然、その状況にあれば誰もがアルスが危機であると察知し、それを助けられるのは自分だと思うはずだ。
ヒカリもそう思ってしまった。故に聖剣を振るった。まさか、欠片もダメージを与えられないなど想像できまい。
「一応、二人とも一命を取り留めたそうだ。アルスの方は直に目覚めるだろうさ。フランは、ちょっとわからないらしいけど。」
ヘルメスはそう話しながら、教会前の階段に座るヒカリの隣へ座り込む。
あれから半日が経った。取り敢えず二人は、最寄りの教会に移動して今でもデメテルが見張っている。
被害としては相手にしては軽微なものだった。街が破壊されなかっただけ、良かったとも言える。
「……良かった、です。」
「そう気に留めるなよ。アルスだって、フランだって誰も責めやしない。」
ヘルメスはいつもの軽い調子でそう言う。つい昨夜にあんな殺し合いがあったとは思えないほどだ。
「結局、誰も死ななかった。それが結果だ。」
「もし、私があの時何もしていなければ、先輩もフランさんも、ティルーナさんだって、こんな事には……」
「そうかい? 僕はそうは思わないなあ。もしも君が攻撃しなかったら、二人とも死んでいたかもしれない。」
「そんなの、こじつけです。」
「そうだ。君のと同じぐらいこじつけさ。」
ヘルメスは立ち上がって階段を降り、そしてヒカリの目の前に立つ。
「僕だって、過去に何度失敗したかなんて覚えていないさ。きっと、いや確かにもっと良い選択もあったのは事実だろう。」
「それなら――」
「だけど僕が選んだのは違う選択肢だ。もしもこうであれば、なんて死ぬほど僕は考えたし、恨んできた。自分の選択を、運命を呪い続けてた時期だってあったさ。」
その言葉はヘルメスのその陽気な雰囲気と語り口からは信憑性がなくて、だけどそれでも何故かヒカリは聞き入っていた。
ヘルメスはヒカリの瞳の奥底を、深く覗き込むように顔を寄せる。
「いいかい。だからこそ、前を向くしかない。どれだけ過去を呪っても、今を歩き続けるしかないんだ。だってこの選択を選んでしまったんだから。」
「何の、ために?」
「幸せになるためさ。どんな自殺志願者だって、どんな殺人者だって、幸せになりたくない奴なんていない。」
両手でヒカリの頬をヘルメスが掴む。
「確かに困難があるだろう。前を向くのがつらい時も、その意味が分からなくなる時も、苦しみから逃げたい時だってきっとある。そりゃ人生だ。程度の差はあれ、ない奴の方が珍しい。」
下を向けば、そこには人々が築いた文明の跡がある。上を向けば、そこには世界が生み出した美しい青空がある。前を向けば、そこには人がいる。
この世の中には絶望と同じ数だけ希望に満ちている。
「だからこそ、今考えるのはこれ以上、何も失わない事だ。ティルーナちゃんも助けて、カリティも倒す。それをするために、頭を動かし続けろ。」
「だけど私には、何も、できない。」
「何も君一人で戦うわけじゃないさ。僕たちはどれだけ苦しくても戦い続ける。だから君も、どれだけ苦しくても、目を背けたくとも、戦い続けてくれ。君には幸運な事に、頼りになる仲間がいるじゃないか。」
人には目の前が真っ暗になるときがある。頭で現在を処理しきれず、全てを拒絶したくなるのは人として当然の本能だ。
その最中に前を向くには才能か、仲間が必要だ。前者をヒカリは持っていなかったが、後者をヒカリは持っていた。
「だから過去に逃げるな。何よりも恐ろしい未来と、みんなで戦うんだ。過去なんか向いている暇なんて、一秒もないだろう?」
「……はい。」
ヒカリは涙を流し、嗚咽が混じり始める。ヘルメスは手を離して教会の中へと戻って行った。
まだ、アルスもフランも死んではいない。ティルーナだってさらわれたが、取り戻すチャンスはある。ヘルメスにはまだ希望があった。
例えそれが、今にも千切れそうなか細い糸を手繰り寄せるような行為であったとしても。
「随分とキザなのね、お前。」
教会の入口の、その横から聞こえたカラディラの声でヘルメスは止まる。
「いやあ、君ほどじゃないさ。」
「……あっそ。それで、策はあるのかしら?」
「ないに決まってるだろ。」
それはカラディラにとっては衝撃だった。あんなに自信満々にいたのだ、何かしらの策があるのだと思い込んでいたのだ。
「だから今から、考えるんだよ。誰もこれ以上失う事はなく、全員が生きて帰れる策をね。」
「お前は存外に強いのね。私はあの男を食い散らかす事しか考えられないわ。
そう言ってその鋭く獣らしい眼がキラリと光り、残虐的にその口元を歪めた。
竜は数が少なく、そして個として完成している以上、孤独を好み群れるのを嫌う。しかし行動を共にはせずとも、他の種より遥かに仲間意識は強い。それこそ、仲間の傷を自分の傷と思うほどに。
カリティは逆鱗に触れた。カラディラが認め、そして己が敗北した男に重傷を負わせたのだ。それは両腕をもがれたのに等しい。
「じゃ、必要になったら呼んで頂戴。」
カラディラは翼を広げ、そのまま空へと飛んで行った。その影はもうそこにはない。
それを見て、ヘルメスは再び教会内へと進んでいく。その顔はいつもと変わりがなかった。いつも通りにその顔には笑顔が貼り付いている。
「……お前が、ヘルメスか?」
教会内には鬼人族の兵士の姿があって、後ろに司祭を連れていた。その鬼人の様子は穏やかではない。
「皇帝陛下がお呼びである。着いてこい。」
ヘルメスの笑顔は絶えない。
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