39.太陽の休み
アルス達がいる所から少し離れた位置にある隣の街、その宿屋にアポロンの姿があった。
街を救った、それどころか国を救った英雄である者が、普通なら決して泊まらない安宿であり、部屋も狭くベッドも硬い。ただ、いつもなら喚き散らすアポロンは、この時に限ってはやけに大人しかった。
「ようやっと、体も動くようになりましたか?」
ベッドに腰掛けるアポロンにそうやって、アテナは声をかける。
「ぁあ、何か今回は大丈夫だと思ったんだけどな。結局、いつもと同じだ。」
外見上ではアポロンに変化はない。だが、問題なのは外側ではなく内側の方であった。
太陽神からの寵愛によって与えられた力は、人の身には過ぎたものである。だからこそ自然と制限がついた。一度使えば、一週間は戦えなくなる。
ここまでの強さを以てしてアポロンの名前が有名でない理由である。
「……何故、直ぐに街を去ったのですか。あの街で治療を受ければ、もう少し回復も早かったはずです。」
「こうやって代償を払ってでしか力を振るえない冒険者を、誰が頼れるんだ。頼るのに躊躇するような人は、『英雄』にはなれない。」
それは維持と見栄の集積である。自己顕示と自己愛が故に、自分を犠牲にしてでも己が名声を高める。
だが、ここまでに肥大化した自己愛は、名前を別の形に変えるのだ。即ち、英雄願望という
「それにあいつ、アルスの前でそんな姿見せられるかよ。」
「それは何故?」
「年下の魔法使いには、負けたくないじゃないか。オレが血管も内臓もボロボロになってることなんて知ったら、付け入る隙を与えちまう。」
アポロンにとって、気を使われる事は最も嫌いな事である。どれだけ辛い事があっても、その全てを隠し尽くして笑うのだ。
気を使われるというのは、彼にとって下に見られるという事。それに苛立つというのは、彼の幼稚で負けず嫌いな部分を端的に表していた。
「あなたの努力はオリュンポスの全員が知っています。暴発を恐れ、夜中にしか鍛錬を積まないにも関わらず、大精霊との契約に成功し、あそこまで神の力を制御できるのはたゆまぬ努力の成果です。アルス様も尊敬こそすれ、下に見ることはしません。」
アテナのその思考は正しい。アポロンの身体的な事情と努力を知れば、同情をするかもしれないが、アルスはそれ以上に強い尊敬の念をもつはずだ。
だがそれを聞いてもアポロンは不服そうな顔をしたままだった。
「……何もしてない、みたいな感じでいる癖に裏で努力してたってのが一番恥ずかしいんだ。男の意地ってやつがわからないのか。」
「そうですか。」
「絶対に分かってないような返事じゃないか。」
だが、兎にも角にもこれで一件落着である。多少のわだかまりが残ったとしても、終わりが良ければおおよそは流しておけば良い。
「――邪魔するぜ。」
ただ、こいつが来るとなれば話は別である。
「とんでもねえ魔力を感じたんだが、もう俺が来る頃には終わってたからよ。お前の面を見に来たぞ。」
オリュンポスがクランマスター。最強の冒険者にして最強の人間、『放浪の王』ゼウスがそこにいた。
自信満々に胸を張り、少し見下すような顔の角度で、しっかりとアポロンと目を合わせていた。
「……何の用だ、親父。」
「相変わらず嫌われてるな。反抗期ってのは辛いもんだぜ。」
「茶化すんじゃねえよ。オレをこの依頼にねじ込んだのは親父だろ。こんな事が起こるって、分かってて送ったんじゃないのか。」
アポロンはそうやってゼウスを問い詰める。
いつもの冗談交じりのような雰囲気とは違い、むしろ落ち着いていて、ただその目を片時もゼウスから離さない。
「俺は確かに最強だが未来までは見えない。バハムートまで出てくるとは思わなかったさ。」
「どうだか。」
「どっちにせよ、俺が出るまでもなかった。お前にアテナまで付けて解決できない問題を探す方が難しい。お前らが負けたら俺がやってやるよ。」
無数の人器を操るアテナ、制限付きではあるが、神の力の一部を行使できるアポロン。それすらも子供のようにゼウスは見下す。
それは傲慢が故か、それとも圧倒的な自分への自信が故か。
不敵な笑みを浮かべるゼウスの表情から、その真意を窺い知る事はできない。
「そんな過去の事はどうでもいい。俺が気になるのは、アルスがどんな奴だったかだ。」
「……まさか、それがオレを依頼に同行させた理由なのか?」
「その通り。それで、あいつはどんな奴だった? ディオやハデスの話じゃよく分からねえんだよ。」
アポロンには分からなかった。何故そこまでゼウスがアルスに執着と興味を持っているのか。
彼の知っているゼウスは、自分以外を塵芥とみなし、歯牙にもかけない。故に頂点に立ち、その背中を見せるだけで王となったのだ。
少なくとも、彼はここまで人に執着を見せるゼウスを初めて見た。
「……変な奴だったよ。一見、普通で地味な奴に見えたけど、なんて言うんだろうな。普通の奴になりたがっているって感じがした。」
「そうか、お前はそう見えたか。ならアテナ、お前はどうだ?」
部屋の隅で口を閉ざしていたアテナに、ゼウスが声をかける。
「人を寄せ付ける人だと思っております。アルス様の周りには常に味方がいて、そして同時にどうしようもない悪人もいる。奇妙な悪縁を抱えているのでしょう。」
「確かにあいつの周りには不自然なぐらいに名も無き組織が集まってくる。ここまで来れば、もはや呪われてるって言っても良いだろうな。」
だが、とゼウスは言葉を区切る。
「それも全てあいつの体質が原因だ。あいつは人間じゃない。悪魔でも天使でも、精霊ですらありはしない紛い物だ。一つの体に魂を二つ宿すなんて、本来なら有り得ない事があの体内で起こっているんだからよ。」
「魂が二つ宿る? 一体何の事だ?」
「分からないならいいぜ、アポロン。いつか分かる。いつかあれは表面に出てきて、厄災を振り撒く。必死に制御しようとしているらしいが、限界は必ず来るからな。」
アポロンは首をかしげるが、その答えをゼウスが与える事はない。ゼウスは昔からそうだ。自分で勝手に解決をして、納得をして、そして誰にも話さずにその場を去る。
誰にもゼウスの思惑は掴めない。そもそも思惑すらあるかも分からない。故に彼は、『放浪の王』と呼ばれるのだ。
「それじゃあ、俺はそろそろ旅に戻るぜ。ヘラが文句垂れる前にな。」
「お袋にそんなに気を回すんだったら、息子のオレにも回してくれよ。具体的には金を寄越せ。」
「馬鹿が。可愛い子は谷底に突き落として、魔物の餌にするのがうちの家訓だ。」
「それもう殺してんじゃねえか!」
アポロンは文句を言おうと立ち上がろうとするが、体が痛みそれには至らない。その姿を見てゼウスは笑い、何も言わずに部屋を出た。
「何だよあいつ、意味深な事を言うだけ言って出ていきやがって。だから嫌いなんだ。」
「あまりそう言ってはいけませんよ。ゼウス様も忙しいのですから。」
「忙しいからって育児放棄をしていい理由にはならないだろ! あのクソ親父どもは本当に嫌いだ!」
アポロンは疲れ切った声で、振り絞るようにそう叫んだ。
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