35.日は上る

 ふわりと、体が浮かぶ。

 翼をはためかせ、空を飛ぶ感覚とは違う。無重力と言うべきだろうか、だがそれとも違う気がする。

 とにかく俺の体は、落ちていくテルムとアテナさんとは逆に前に進んでいた。


「師匠ッ!」

「ああ、まかせろ。」


 弟子が命がけで、魂を込めて作ったチャンスを、無駄にするわけにはいくまい。

 テルムの手は間違いなく届いた。それを俺が証明してやらなくてはならない。

 俺は真っすぐと、バハムートに進みながら魔力を練る。


「開け、『無題の魔法書』。」


 宙には一冊の本。親父の魔法がいくつも込められた一冊であるが、俺が使いこなせるのは一つだけ。


「『巨神炎剣レーヴァテイン』」


 俺の手から炎が溢れる。それは剣というには不定のものであり、炎が剣の形を模しているようである。

 神経を研ぎ澄ます。

 あの時、あの獣人と戦った時の感覚をよく思い出して、炎を完全に自分のものとしろ。親父を越えるのに、親父の魔法の一つも使いこなせなくて、どうやって越えれると言うのだ。


「『■■■現ロスト・ファンタジー』」


 炎が白く染まる。俺の中にある神の力を、剣に込めた。

 前回は不完全だった。本当に俺が神の力を使いこなせていたのなら、獣人など跡形も残るまい。

 神の力は不定にして万能。魔法と同じで、イメージを実現させる力がある。俺が込めるのは切断、全てを一太刀で斬るイメージ。


 ありえない魔力量を圧縮した炎の剣と、荒れ狂う神の力を同時に制御し、尚且それを一つのものとする必要がある。

 確かに難しいし、今までできた事もない。だけど弟子があそこまでやったんだ。俺もここは格好良く決めてやらなくちゃあ、面目が立たないなんてものじゃない。


「――全身全霊を、この一撃に。」


 狙うは風を受け、バランスを保つ役割を担うヒレ。本体に比べ重要器官の集まらない、ここの装甲は薄い。


「『最後の一撃ラスト・カノン』」






 テルムは落ちる。重力に縛られ、鎖に引っ張られるような感覚で大地へと落ち続ける。

 だけど不思議と悔しくも辛くもなかった。むしろ晴れ晴れとした、達成感だけがテルムの中にあった。


 その目には少し眩しいくらいの炎が輝き、そしてバハムートの右のヒレが確かに分離し斬り落ちた姿が映っていた。

 バハムートはバランスを崩してテルムと同じように、地面へとただ落ちていく。

 このまま落ちたら死ぬなと思いながらも、テルムは浮遊の魔法を使う気にはなれなかった。いや、アルスが全ての魔力を使い切ったが故にもう使える魔力などないのだが、あっても使うことはなかったろう。


 テルムは満足をしていた。感動にも近い感情であった。

 目の前の景色を自分が生み出したかと思うとにやけが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて仕方がない。生存欲を上回るほどの多幸感と達成感がテルムの中で渦巻いていたのだ。

 ただ、流石にここで死んでしまってはバッドエンド。それはそれで面白味がないし、美しくもない。


「人器シリーズ159『獄縛』」


 同じく落ち行くアテナがテルムを縛り付け、手元に手繰り寄せ、抱き締める。


「決して離れないように、そして動かないようにお願いします。」


 上空数百メートルから落ちれば、普通なら死ぬだろう。それはアテナであっても例外ではない。

 だからこそアテナは全身と、特に足に闘気を込めて衝撃に備える。テルムは大人しく動かずに抱かれていた。


「かなり強い衝撃です、ご覚悟を。」


 ドォン、と大きな音と共に街の外の平原へ二人は落ちた。アテナの両足が地面に突き刺さるが、二人に怪我自体はなかった。少し衝撃で痺れはしているようだが。

 テルムはアテナの手から離れて降りる。そしてその少し後にまた、空から人が落ちた。

 落ちた部分からは土煙が立ち、少し心配そうにテルムは視線を向ける。魔力は尽きているのだから、死んでいてもおかしくないからだ。


「……クソ、痛いなこんちくしょうが。」


 だが割と平然に、アルスは土煙の中から出てきた。辛そうな顔こそしているが、怪我すらも大して無かった。


「師匠、無事だったんだな。」

「人の終端速度ぐらいなら耐えれるように訓練してるからな。流石にそんな向こう見ずに魔法は使わない。」


 それよりも、とアルスが言ってバハムートが落ちる方を見る。

 バハムートは近くに真っ直ぐ墜落し、爆弾が爆発したような大きな音が響いた。


「アレをスクラップにしなくちゃな。」


 あくまでパーツを一つ落としただけ。壊したわけではない。完全に機能を停止させるには中に入り込んで、中枢機関を破壊する必要がある。

 アルスはバハムートの方へ足を進める。歩きながら懐にある魔石を取り出して、そして魔力を吸い取った。

 これでまた、魔法が使える。地面に落ちたバハムートを相手とするのなら、これで十分と判断しての事であった。


「いえ、お待ち下さいアルス様。まだ動きそうです。」


 アテナはアルスを手で止め、そしてピクリとも動かないバハムートを睨む。

 それを臆病と笑うやつはいない。アレが如何に恐ろしいかは、ここにいる全員が知っていた。


「……水?」


 テルムがそうポツリと溢した。

 事実、目の前の兵器は体から水を出していた。恐らくは魔法で作った水なのだろう。 

 それは一瞬にして地面の許容量を超え、溜まり、そしてバハムートの体を浸し始める。


「アテナさんっ!」

「――了解しました。」


 アテナは弓を構え、雷の矢を引き絞る。あんなデカブツを相手に狙いを定める必要もなく即座に矢は放たれた。が、溢れ出す水が矢から体を守る。

 バハムートは一瞬にしてこの地の土を抉り、そして自分が戦えるように小さな池を作り出したのだ。思えば鯨を象るのだから、空を飛ぶ今までの方がおかしかった。水がアレの主戦場とした方が発想としては普通である。


「まだ、動くのかよ……!」

「テルム、アテナさん、逃げるぞ! 直ぐにここも沈む!」

「あんなに頑張って落としたのに、何でまだ!」

「うるせえ、テルム! 弱音は自分の命を守り切ってから言いやがれ!」


 アルスはテルムを脇に抱え、走り始めた。アテナもそれに追従する。


「……すみません、アルス様。今が何時か分かりますか?」

「そんなの知ってどうするんだよ! ギリギリまで浮遊魔法の練習をやらせたし、流石に日付は変わってるとは思うけどな!」

「そうですか。では、夜が明けるのにどれぐらいかかるでしょうか?」

「さっきから何の話してるんだよ! 別に朝になったからってアレは弱くならないだろうが!」


 そうこう言い合いながら走る内に、東の空が赤くなる。どうやら色々と準備したり、バハムートに近付く間に夜を過ぎてしまったようだった。

 アテナはそれを見て、足を止める。アルスもそれを不審に思って足を止めた。


「アテナさん?」

「空には雲一つ見えない快晴です。昨日と違って、陽の光を遮るものは何もない。そして夜は明けました。直に太陽が上ってくるでしょう。」

「一体、何を言ってるんだ?」

「ご安心くださいませ、テルム様、アルス様。」


 アルスの肌に汗がつたう。疲れからの汗ではなかった。気温からの、汗だった。


「師匠、なんか暑くねえか?」

「奇遇だな、俺もだ。早朝の、しかも直ぐそこに水場がある暑さじゃない。」


 ついさっきまでとは打って変わった気温の変化。確かにアルスのレーヴァテインも凄まじい熱量があるが、一帯の温度を変えるほどの熱量はない。

 そんなもの、もはや人の魔法ではない。神の領域にさえ届いてしまう代物だ。


。」


 アテナがそう言った瞬間に、一気に一帯が明るくなった。

 遥か上空を見上げてみれば、人が火の服をまとってそこにいた。その服はまるで神がまとうような、ギリシャ神話のようなオーラを感じさせるものである。


「よく耐えた、よく戦った。よくもここまで、世界最大の兵器であるバハムートを追い詰めた。よくも朝まで、街を守り通した。」


 その何故か異様に響く声は、知らない声ではなく、いや、むしろ自分の記憶を疑いたくなるような人物の声であった。


「もう大丈夫だとも。」


 赤き髪に目、それは間違いなく何度も会った相手。女の尻を追いかけ、人の心も分からないだらしない男。


「太陽は上った、オレの時間だ。」


 『太陽の子』アポロンがそこにいた。

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