19.二人の来客
内乱が起きるとは聞いても、王都では平和そのものである。
いつも通りに人々が行き交い、話したり商いをして、至って普通に過ごしているように俺は見えた。
だが、争い事というのはそういうものなのだろう。
皆があることを分かっていたとしても、普段通りの生活を続けるしかない。それを打ち壊すように、それが起きるのだから。
ヴァルトニアとの内乱を、クラウン国王陛下が抑えようとしていないとは思えない。わざわざ、そのために金を払ってオリュンポスに依頼するような人だ。そのまま王城において、周辺警備をさせていた方が、自分は安全だったろうに、それをしなかった。
その時点で俺の中では信用に値する人物である。
「明日の昼に王城を発つ予定ですので、そのご挨拶にきました。」
朝、仕事に行く前にアテナさんが部屋に訪ねてきた。こういうのをわざわざ言いにくる辺りからして、やはり見た目通り几帳面な性格なのだろう。
「それは、前にも言っていた内乱の件か。」
「ええ。今すぐに始まるというわけではないでしょうが、いつ始まるかは分かったものではありません。」
「……そうか。」
戦争を止めたいという気持ちは、ある。そしてその力が、自分にある事を理解している。
しかしこれに加わったとして、一体何が変わるだろう。一度、戦争を止めてもその次が必ずある。その次を防げなくては、意味がない。
それにリクラブリアみたいな小国とはわけが違う。俺が戦争を止めるにはヴァルトニアの兵士を殺して回る他ない。何せ、相手にも賢神クラスの敵が必ずいるはずだからだ。
それに、何の意味があるのだろうか。暴力を鎮めるために暴力を使って、結局誰が救われる。
一時的に救うだけなら、そう難しい話ではない。難しいのは、救い続ける事である。
俺が本当に内乱を止めたければ、ヴァルトニアに出向いて内乱を止めるように交渉するしかない。それができないと分かっているから、どうしようもない事なのだ。
「……アルス様は、お優しい方ですね。」
「俺が、か?」
「はい。見ず知らずの他人のために、そこまで悩み、そこまで辛そうな顔をする人はそういません。」
どうやら顔に出ていたらしい。最近分かった事だが、俺は表情を隠すのが苦手らしい。会う人全員に心の底を見抜かれる。
「少なくとも、私は人が死のうが構いません。特に世の中には、死んだ方が良い人がいるとも考えています。」
「それが、普通だと思うよ。結局気になるのは自分の身近な命だ。新聞で誰が死んでも、殆どの人が多少心を痛めるだけで終わる。その全てを自分のことのように苦しむ俺が、きっとおかしいんだ。」
俺は普通の人ではない。魔力が見えるという特異性、神をこの身に宿すという異常性、異世界を転移したという希少性。どれを見れば俺が普通となろうか。
自分にも分からない内に、俺はどこかで普通の人の生き方を外れている。
「私は、できるだけの多くの命を救う事を約束しましょう。それで少しでもあなたの心が和らぐのなら。」
「俺のことなんて、そんなに気にかけなくていいのに。」
「私にとってオリュンポスのメンバーは、全員が家族です。その家族の一人であるヘルメスが、気にかけるというのですから、私だって気にかけたくなるというものですよ。」
それでは、と言って深くお辞儀をしてアテナさんはその場を去った。
「今の、誰ッスか?」
「アテナさんだよ。子供の頃にお世話になった人だ。」
扉を閉めながら、ヒカリへとそう返した。
「先輩、割と交友関係が広いんスね。」
「色々とあったからな、この世界に来てから。」
良い出会いもあった。当然、その分だけ悪い事も沢山あったけど、それも含めて人生というものだろう。
もうこれ以上、嫌な事を体験しない為に、俺はここまで強くなったのだ。俺は俺の、守るべきものを守る。絶対に誰一人死なせてなるものか。
「それじゃあヒカリ、俺はもう行くから。」
「ぁ、ええ、はい。」
返事がぎこちない。嫌悪や羞恥の類ではなく、微妙な表情を浮かべていて、何を思っているかもはかることができない。
「どうした?」
「いや、何でもないッス。未だに下の名前で呼ばれると、こう、少し気持ち悪いだけで。」
「もう呼び始めて数週間経ってるだろ。」
「数年ずっと、天野って呼ばれてたんスから、なれないッスよ。」
そういうものだろうか。いや、そうだったのかもしれない。あまりにも昔過ぎて、地球だった頃の感覚は失われつつある。
事実、記憶に引っ張られていただけで、ヒカリと呼び始めるのに大した抵抗はなかった。
しかしこればかりはどうしようもない。むしろ家名で呼ぶ方が悪目立ちをしてしまうし、得がない事だ。
「頑張って慣れてくれ。これから先、むしろ天野と呼ばれる方が珍しいし……ああ、また来客か。」
話していると、ノックの音が部屋に鳴り響いた。
今日は来客が多いなと思いつつ、ヒカリとの会話を中断して、再び扉の方へ足を向ける。
「何だ、ヴァダーか。」
「姫様からの伝言を伝えにまいりました。」
扉を開けた先にはヴァダーが立っていた。
テルムからの伝言と言っているが、生憎と見当がつかない。何かあったのだろうかと頭を巡らせながら、ヴァダーの言葉を待った。
「『今日は休みにしろ。』、だそうです。」
「……なぜ?」
「疲れただとか、今日はやる気が起きないだとか、気持ち悪いとかおっしゃていました。」
なるほど、ズル休みか。合点がいった。きっと上手くいかなくて嫌になったのだろう。
その経験は、俺にもある。俺とテルムの違いは、仲間がいたかどうかだけだ。アースが、フランが、ベルセルクが、俺の背中を押してくれた。
テルムにはそんな人はいない。心を許せる人物なんて、この王城にきっと一人もいないのだ。辛い時に分かち合う人も、一緒にいてくれる奴も、励ましてくれる奴もいない。
俺はあくまで、魔法の師であって、テルムの友人ではない。その役割をこなすには、あまりにも位置が遠すぎる。
「まあ、分かった。それでいいと伝えてくれ。」
「いいのですか?」
「今日はいい。その代わりに、明日は必ずやるとも伝えてくれ。」
無理矢理やっても、どうしようもない事だ。制限付きで折れてやるのが大人の対応というものだろう。
「了解しました。それではそのように、必ずお伝えします。」
「ああ、頼む。」
ヴァダーは部屋の前を去った。
俺はドアを閉めて、話を後ろで聞いていただろうヒカリをチラリと見て、適当な椅子に腰掛けた。
「今日は休みなんスね。」
「そうだ。一昨日の休みでやる事を粗方消化してるから、やる事が完全になくなったな。」
必要な道具とかも作り終えているし、報告書はマメに書いてあるから今日は特段付け足す事もないし、買う物もないし、本当にやる事がない。
俺は天井を眺めながら、何かやる事はないかと頭を巡らせるが、何も出てきはしない。
「それなら、私の剣の稽古を見学しないッスか?先輩に私がどれだけ剣ができるようになったか見てもらいたいッス!」
「まだ一ヶ月も経ってないだろ。それに、俺は剣は専門じゃないから分からんぞ。」
「いいんスよ。成果は人に見せるべきッス。」
少し悩み、特段断る理由もないなと、頭の中で結論がつく。
「よし、それじゃあ今日はお前の剣を見てるよ。」
「ふっふっふ、見ててくださいッスよ。結構、最近は調子がいいッスからね。」
ヒカリはやけに機嫌が良さそうに、笑った。
俺は師匠から返信魔法を活かした剣術は教わっていたが、本格的な剣術がどんなものかはわからない。一体どんなものなのだろうと思うと、少し楽しみであった。
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