箱庭の中から全てを
グレゼリオン王国が四大公爵家が一つ、ヴェルザード家。管轄するヴェルザード領は最北に位置する貿易の拠点であり、様々な物がヴェルザードを通じて入ってくる。よってヴェルザードは、商業の街とも呼ばれていた。
そんな大きな街を管理するのだから、その屋敷も巨大で優雅なものである。警護も強く、重要拠点であることに違いはない。
ただ、結局は中に住むのは人である。そして子供がいるのなら、親にもなる。
「それでぇ、エルディナはまんまと逃げ出しちゃったわけだねぇ。」
「……申し訳ありません。一度のみならず、何度も。」
「君が気に負うことはないさぁ。それに、今回は七日も逃げ出さなかった。これは最高記録だしねぇ。」
家庭教師から報告を聞いても、特に驚かずに緑の髪の男、オーロラ・フォン・ヴェルザードはおおらかに笑った。
「それに、むしろ逃げ出さなくちゃ、わざわざ依頼を出した甲斐がなくなるってものさぁ。」
軽く変装をした状態で、エルディナは隠れる事もなく堂々と街道を歩く。
子供の頃から警備を掻い潜り抜け出すというのはよくやっていた。その過程でエルディナの魔法は育ったと言っても過言ではない。
対策は講じられているが賢神であるエルディナを止めるのが難しい以上、あえて逃がさせて護衛をつかせるという手段で落ち着いていた。
「やっぱり、頭を使うのは私には向いてないわ! 体を動かさなくちゃ!」
体を伸ばしながら、エルディナは辺りを見渡す。そこら辺は高級住宅街がある、いわゆる一等地の辺りで、どこか洒落た店が多かった。
気質上、食いなれた高い食べ物より、健康に悪い安い食べ物をエルディナは好んだ。だからこそ、直ぐに人通りの多い商店街に行こうと思うのは当然のことである。
「おや、君は一人か。なら僕とお茶でもしないかい?」
そこに、胡散臭い男が一人。
帽子を被った緑の目と髪の男であり、少し猫背で不誠実な印象を与える。更に張り付いたような笑顔がよりその印象を増加させた。
「あなた、パパに雇われた冒険者でしょ?」
「……ありゃ、バレちゃったか。」
「おかしいと思ったの。今日は騎士が追いかけて来ないなって。そうしたら、覚えのない魔力が私を追っていたから。」
エルディナの空間把握能力は賢神の中でも上位に位置する。
空気の流れからあらゆ物体の形、構造を瞬時に把握する。言うのは簡単だが、止まってもそれができない人がいる中、歩きながらそれを行うのは常人のそれではない。
事実、アルスには決してできない芸当であった。
「流石は賢神だ。月のような美しさと、太陽のように強い魔法。君はまるで輝く星空のように綺麗だね。」
「気持ち悪いからやめて。よくそんな台詞平然と言えるわね。」
「本当のことしか言ってないからね! むしろ、君の美しさを表現しきれないこの口が恨めしいよ。」
「取り敢えず、さっさと名乗りなさい。名前もわからない奴と話すのは気持ち悪いわ。」
そう言われて男は、やってしまった、という風な顔をして佇まいを正す。
「名乗り遅れて申し訳ない。世界最強のクラン、オリュンポスが一人。
「嘘ね。こんな胡散臭い奴はオリュンポスにいないわ。」
「失敬だな! 言われ慣れてるから、気にはしないけどね!」
オリュンポスというクランは一般にも認知は深い。だが、主に知られているのはたった3人程度である。
一人は『放浪の王』ゼウス、もう一人は『黒海』セイド、最後に『術式王』ハデス。冒険者の中ではヘルメスは有名ではあるが、一般に知られているわけではないのだ。
だからこそ、王族ですら依頼を出すオリュンポスに、ヘルメスのような奴がいると思わないのも、おかしな事ではない。
「だけど、本当のことさ。僕はリラーティナ嬢の護衛もしたことがある。」
「フィルラーナの?」
「そうそう。僕は護衛だとかそういうのが一番得意だから、そういうのによく駆り出されるのさ。」
エルディナはまだ怪しんではいたが、悪い奴でないことは分かった。昔から鋭い、悪人への自分の嗅覚を信じたのである。
「それで、何でわざわざ私の前に現れたの。まさか、私を連れ返すつもりじゃないでしょう?」
「いや、僕も姿を出すつもりはなかったんだ。だけど君があまりにも美してつい……」
「――いや、それはないわ。嘘でしょ、それ。」
ヘルメスの表情が固まる。そして、対面に立つエルディナの眼が青く、薄っすらと輝いているのを視界に捉えた。
賢将の青眼は精霊を呼び出すというシンプルで強力な効果を持っている。そして精霊は、魔力の揺らぎにより多少の嘘が分かる。
表情がいくら自然でも、眼を誤魔化す事はできない。
「……いやぁ、はは。別に騙すつもりはなかったんだけどね。」
「それは分かるわ。精霊はあなたに悪意を感じていない。むしろ、好感も覚えているもの。」
「ま、僕も精霊と契約していた時期があったからね。精霊に好かれやすい自覚はある。」
ヘルメスはやりづらそうに、話す。嘘と真実を織り交ぜ、相手を混乱させるように話すヘルメスにとって、エルディナは話しづらい相手だった。
「なら、本当のことだけを言おうか。ぶっちゃけてしまえば、今アルスはどうしてるのかなって気になっただけさ。」
「……アルスの事を知ってるのね。」
「ああ、そりゃあ王都のあの決勝はあまりにも有名で――いや、嘘はバレるんだったか。単純に知り合いなのさ、アルスとは。」
「息を吐くように嘘をつこうとするのね。」
「本当のことを言わない方が、会話が滞りなく進むことの方が多いのさ。これは僕なりの処世術だよ。」
ヘルメスの顔から笑みは消えない。張り付いた笑顔は、彼の生き方を示してると言っていい。
エルディナはそれをただ、生き辛そうとだけ思った。
「アルスが今何をやっているかは、知らないわ。というか知っていても教えられない。アルスは国に仕える賢神だから。」
「随分と偉くなったもんだね。僕の見込みは間違ってなかったわけだ。」
アルスには、何かを寄せ付ける力がある。
必ず災禍の中心にいて、その代わりにそれを乗り越えれるだけの仲間を作ってきた。ヘルメスも、その一人であると言えるだろう。
ダンジョンでの出来事は、互いにとっても忘れられない事だった。
「ならきっと、会えるだろうね。近い内に。」
ヘルメスは、意外と根に持つタイプの人間である。よっぽどの事がない限り、人を嫌いになる事はないが、嫌いになればとことん追い詰める。
アルスに最後に会った日から、ヘルメスが何もしていないはずもなかった。
「……ねえ、ヘルメス。ちょっと聞いてもいいかしら。」
「美少女のお願いなら大体何でも聞こうとも。どんな事だい?」
「あなたって、アルスより強いの?」
それはヘルメスには答えづらい質問だった。
「……まあ、勝てないかなあ。」
それは、端的な言葉であり、ヘルメスの最大限の譲歩だった。
エルディナはその言葉に嘘があると、そう感じた。しかし嘘であると判断したというのに、ヘルメスが勝てるわけがないと理性は言っている。
事実ヘルメスは、魔力は人並みより少し多い程度であり、武術もそこまで卓越してるようには見えなかった。
「私、知ってるでしょうけど次期公爵なの。」
だからこそ、チャンスだと思った。これから先、きっと彼女は誰かに教えを請うことなどできない。賢神である彼女の成長は、普通のやり方では叶わない。
ならばこそ、気になった。何故ヘルメスが、オリュンポスの一員として立てるのか。
「だから、魔法に専念することはできない。それじゃあいつか、私はアルスに取り残される。」
嫌だった。負けるのはいい。同じ目線で負けるのなら、それはいい。
だが、取り残されて、その他大勢として括られるのは嫌だった。ただ、それだけの事であった。
「私と戦ってくれないかしら、ヘルメス。きっと私に必要なのは、貴方が得意そうな小細工だから。」
天才に小細工は要らない。あるがまま、正攻法で勝てるから。
故に知らない。意地汚く勝利を狙う策を、下と上をひっくり返して勝利を掴み取る方法を。
「いいね、面白そうだ。アルスに会うのが余計楽しみになる。」
躊躇いもなく、ヘルメスも受けた。賢神相手のその態度は、傲慢ではなく、自信だった。
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