医療の旅

 二人の人間が、街道を歩いていた。だが二人旅にしては荷物の量は少なく、恐らくは魔法袋を使っているのだろうと予想がつく。


「いいですか、ティルーナ。人を救う為の旅とは、危険と隣り合わせです。そこで必要なのは医療の腕だけではありません。分かりますね?」


 その内の背の高い、白衣を着ている女性。聖人デメテルが、言い聞かせるようにそう言った。

 しかしそれを聞いても、赤い髪の毛で片目を隠した少女、ティルーナは疑問符を浮かべるだけであった。


「……ええと、それはつまり、どういうことですか?」

「そこらの冒険者ならば、殴り殺せるぐらいの実力が必要です。少し荒れている現場では、私を女と見て襲いかかってくる輩もいます。」


 ここ数週間は、まともに医療的な知識を教わっていた。というよりは、今までの学問としての知識ではなく、実践的な知識としての摺り合わせを行っていた。

 それがひと段落ついて、やっとより深い内容をやると思った矢先のこの一言である。

 ティルーナが疑問符を浮かべるのも無理はない。癒し手とはいわゆる医者であって、腕っ節が要求されるなどと考える方がおかしい。


「幸い、私たちは人体の構造を熟知しています。どこが危険で、どこが安全で、どこがその場において有効か。それを活かした武術をあなたに伝授しましょう。」

「武術、ですか。癒し手なのにですか?」

「当然です。優秀な癒し手であればあるほど強いというのは、私達の共通認識です。」

「魔法じゃ駄目なんですか?」

「私達が医療で使う魔法は、実戦ではありえないほど出力が低いです。戦闘と医療で頭を切り替えるのは難易度が高いので、武術を使った方が早いというだけです。」


 デメテルは淡々とそう答える。嘘をついている様子もないし、本当のことではあるようだ。


「それに、料理人は包丁で人を切らないでしょう?私達にとっての包丁は魔法というだけなのですよ。」

「それとは何か違う気もしますが……」

「七星にも数えられる英雄、『剣姫』シルフェードは高度の回復魔法と剣術を同時に使っていたそうですよ。」

「それを言ったら、七代目勇者は医療の発展に貢献しましたが、戦闘はできなかったそうじゃないですか。」


 デメテルはそこで、足を止めた。ティルーナもよくは分からないが、足を止める。


「そんなに武術は嫌いですか?」

「ああ、いえ、そういうことではないんですけど。」

「いえ、私自身、多少の自覚はあります。同業者や弟子入りに来た人にそれを言うと、距離を置かれる事もありますので。」

「それ、やっぱりデメテル様が珍しいのでは?」


 そう言われると、デメテルは首を傾げる。

 デメテルは自分のことを客観視できない。だが、人に言われた不備は直そうと努力する面もあるぐらいには、偏屈なわけではない。

 しかし、こと武術を教えるという事に関しては、何故かどうも曲げたくないようだった。


「……若い頃は、話を聞かない患者は力付くで聞かせていたので。思い入れが深いのかもしれません。」

「聖人が、ですか……」

「最も効率的に人が話を聞くのは恐怖です。今でも、騒いでいると手元が狂うかもしれない、と脅しをかけることがあります。」


 おおよそ、人を救う側に立つ者の言う言葉ではない。これを言うのがデメテルだからこそ、信憑性が出る言葉である。


「それに、そうですね。元よりあなたがどう思っても、私には私が得た知識の全てを教えることしかできません。大人しく武術をやる他ありませんね。」


 デメテルがそう結論付けると、今度はティルーナが不満そうな表情を浮かべる。

 当然、それにはデメテルも気付く。


「立ち止まるのが、怖いですか?」

「……正直に言えば、そうです。もっと、回復魔法の技量を高めたいと、そう思っています。」

「それは別に悪いことではありません。ただ、強力な力には責任が伴います。一部の例外はいますが。」


 デメテルが思い起こすのは、自分が所属するオリュンポスの面々である。

 ディオも、ゼウスも、ふてぶてしく、一種達観しているが故に、責任を負うことはない。いや、放棄していると言ってもいい。

 普通の人が持つ、道徳や社会意識を欠如しているからこそ、彼らはその強さの中でも自由でいられるのだ。それが良いか悪いかは別として。


「きっとあなたは、想像よりずっと早く私の領域に辿り着ける。ですが早く辿り着けば、きっとその力を得るまでに必要な経験を落としてしまいます。」

「それは、駄目な事なのですか?」

「私も駄目だとは思っていませんでした。数年前までは、ですが。」


 人は失敗や挫折、その他にも様々な経験を経て辿り着く。その時には無駄かと思えた回り道や寄り道が、思わぬ所で役に立つものだ。

 人はそれを、経験と呼ぶ。

 何の滞りなくそこに辿り着いた時に、その経験の差が、優劣を分けることだってある。


「才能に溺れてしまった人を、私は見たことがあります。何でもできたが故に過信し、一歩足らずに足を滑らせた人がいたのです。今でもそれは、私の人生を通した後悔の一つなのですよ。」


 その言葉が嘘か本当かは、その目を、その言葉を間近で感じたティルーナにはわかった。

 そうであれば――元より断るつもりもなかったが――少しは吹っ切れもつく。


「……というわけで、次の街に着いたら早速始めましょうか。」

「はい、わかりました。」

「人に何かを教えるというのは、やった事がありますが、弟子は勝手が違うものですね。やはり私もまた、未熟なのでしょう。」


 そう言って再び、二人は歩き始めた。


「それで武術といっても、何をやるのですか。」

「私が修めるグローリー流は、武芸百般を教訓とします。道端に落ちる砂や石、枝すらも武器にし、どんな状況でも戦えるようにするものです。」


 例えば、と言いながらデメテルは手元から一枚の硬貨を取り出した。


「このようなありふれた物でも、高速で放てば銃弾と大差はありません。日常にありふれた物から、どんな武器でも取り敢えず戦えるようにする。特性上、真剣勝負では勝てませんが、癒し手が真剣勝負をする事などありませんからね。」

「……あまり、ピンときませんね。」

「そういうものだという意識だけあれば、それで十分ですよ。」


 デメテルは硬貨をティルーナへ放る。

 突然と投げられたせいで少し体勢を崩したが、なんとかティルーナもキャッチできた。


「今月の給料です。」

「……今まではなかったじゃないですか。それに、弟子に給料は払うものじゃありませんよ。」

「やっと労働力になるようになった、という事です。そうでなくては武術を教えようとは思いません。」


 そう言われて、思わずティルーナは頬を緩ませる。

 あの聖人デメテルに認められた、というのは一生誇れるほどの栄誉である。ティルーナが自分の表情を抑えられないのは、おかしな事ではなかった。


「私、もっと頑張ります。」

「体を壊さない範囲でやってくださいね。癒し手が体を壊すなんて笑い話にもなりません。」

「はい!」


 旅は続く。それはつまり、まだティルーナは成長できるという事だった。

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