4.城下町

 朝日が上るその少し前、未だ光が差し込むことのない時間に俺は目を覚ました。

 体を伸ばし、水魔法で喉だけを潤して、そして服を着替える。服は大して豪華なものではないが、アースからそこそこ高めの服を貰っていた。国からの使者が平民と同じ服装では、面子が立たないからだろう。

 顔を洗うのも髪の毛を整えるのも、魔法があれば直ぐにできる。身だしなみを整えるレベルの緻密な魔法は、そこらの魔法使いには使えないから、これも修練の成果と言えよう。


 俺は窓を開け、そして体を風に変えて外に出る。

 朝の散歩だ。ついでに言うのであれば、ちょっとばかし向かいたい所がある。


「……どうしようか。」


 俺は欠伸をしながらそう呟く。昨日はよく眠れなかった。突然と、今まで会ったことのない祖父と会う事になったからだ。

 家族に会えたのだ。それは無条件に嬉しい。家族と一緒に幸せに暮らせるのなら、それ以上に嬉しい事などそうない。

 だが、前評判があまりにも悪過ぎた。

 国王代理であるストルトスの悪評は他国にも届くほどだ。血族を重視する独裁体制の悪い例であるとして、非難の対象となっている。そんな人が自分の祖父であるという事が、正直ショックだった。


「まだどこも店は開いてないか。」


 俺は街に降り、どこも店が開いていない商店街を歩いていく。

 しかしそんな中、ランプを使って暗闇を照らし、ある店の前で体を伸ばしている人がいた。歳は50代ほどの男で、かなり厳つい顔をしている。


「ぉお?こんな朝っぱらから何をやってんだい?」

「それはお互い様だろ。」

「俺ァ店の準備だよ。これぐらいから仕込みをしておかなきゃあ、開店に間に合わないんだ。」

「ここ、何屋なんだ?」

「パン屋だよ。」


 その顔でパン屋かよ。てっきり鍛冶屋かと思ってたわ。


「兄ちゃんは……旅人かい?ここら辺じゃあ見ねえ顔をしてるがよ。」

「まあ、そんな感じだ。」

「じゃあ、丁度焼き上がったし、うちのパンを食っていくか?勿論金は頂くけどよ。」

「タダじゃねえのか。いや、食うけど。」

「毎度あり!」


 そう言って店の奥に引っ込んでいった。

 確かに良い匂いがする。パン独特の匂いだ。学園時代から騎士としての給金はもらっていたから、金なら幸いに沢山あるし、パンを食うのもいいだろう。


「ほらよ、出来立てだから熱いぞ。」

「ありがと。」

「値段はこれぐらいだ。」


 パン屋の男はトングで掴んだロールパンを俺の手に置き、値段が書かれた紙を俺に見せた。

 ちょっと高い気がする。いや、別に大した金額ではないが、相場より少し高いような気がしなくもない。


「どうせ金持ってんだろ。これぐらい、いいじゃねえか。」

「商魂逞しいな。出来立てだし、普通に美味そうだから文句はないけど。」


 俺は懐から金を手渡す。パンは熱いが、変身魔法が使える関係で、生憎とそういうのには耐性があった。熱いけれども火傷はしない。


「あんた、この店の店主か。」

「その通り。唯一の従業員でもある。」

「かなり大きな店に見えるが、従業員は雇わないのか?」

「雇う意味がねえんだよ。客はそんなに来ねえ。」


 俺はパン食いながら店長の話を聞く。折角人に会ったのだから、この国の事を聞いておきたい。


「知ってるか、兄ちゃん。この国の人口、最近になって極端に減りやがったんだ。」

「それは、どうして?」

「税金が増えたからだよ。幸いにも隣にある国、ロギアはいい国だ。みんなそっちに逃げて行ったんだ。人が減って更に税金は増えて、余計に人は逃げて。ここ数年はずっとそれなんだよ。」


 そこまで人が動くほど、税金が重いのか。これは想像以上に酷いかもしれない。


「そんで、最近になってやっと、国が人材の流出を防ぐために移住にストップをかけ始めてな。今いるのは逃げ遅れた、もしくはここから離れたくなかった奴らだけだ。」

「ちなみに店主はどっちなんだ?」

「俺ァ当然ここから離れたくなかったのさ。この国には愛着がある。思い出がある。いくら今の国王が腐っていようが、ここは俺の故郷だからな。」


 民が政に口を出せる辺り、数年前までは良い国であった事には違いがないのだろう。余裕がなければ政治に目などいかない。

 反乱が起きないのは、それ程までに絶大な権力を国が有しているからか。


「……悪い事は言わねえ。さっさとこの国から出て行きな。長居してる内に、旅行客にも制限をかけ始めるかもしれねえ。何やるかわかんねえんだ、今の国王代理は。」


 俺もできる事ならそうしたい。だが、依頼は依頼だ。それにその国王代理は俺の祖父なのだ。責任を感じずにはいられない。

 いや、関係ないのはわかっている。それでも家族だ。俺の家族なのだ。放ってはおくなど、選択肢には最初からなかった。


「わかった、ありがとよ店主。パンも美味かった。」


 そう言ってパンを食い切り、その場を後にする。


「おうよ。もし、この国が良くなったらまた来てくれよ、兄ちゃん。」

「その前に潰れないようにな。」

「三十年は潰させねえよ。うちのパンは絶品だからな!」


 腐ってはいなかった。人は大勢逃げたかもしれない。だけどそれでも、残りたい奴が残った。

 まだ、彼らには見えているのだ。過去のリクラブリア王国が。百年前に植民地状態から自由を勝ち取った、気高いリクラブリアの魂が。

 そして、この国をそうさせてしまったのは、他ならぬ俺の祖父である。


「……気持ち悪い。」


 俺は再び街の中を歩いていく。複雑な感情を抱えたまま、街の景色を見て、動き始める街を見ながら歩いていく。

 理性では分かっている。きっと俺とストルトスは分かり合えないだろう。しかしみっともなく、まだ改心できるかもしれない、まだ仲良くできるかもしれない。そんな淡い期待を追っている自分もいる。


「別に争う必要性もないはずだ。今のところ、あの人は俺に何もしてきていない。話せば案外、分かってくれる人かもしれない。」


 俺は自分に言い聞かせるようにして街の中を歩く。いつの間にか太陽の光が差し込み始めていた。

 そろそろ城に戻らなければと思い、変身魔法を使っても目立たない、路地裏の方へと足を進める。まだ早朝な方なので、人の数は少なく、誰もいない道を見つけるのは簡単だった。


「待て!」


 帰ろうと魔法を使おうとした瞬間、男にしては高い声で呼び止められる。振り返ればそこには、黒髪の青年がそこには立っていた。

 昨日会った青年だ。確か名前をイデアと言っていた。

 手には一本の筒を持っていて、それを俺の方へと向けている。多少の魔力を帯びていることから、恐らくは魔道具だろう。


「こっちに来い。これは魔力弾を放てる魔道具だ。おかしな行動をすれば撃つ。」

「オイオイ、昨日助けなかったか。恩知らずにもほどがあるだろ。」

「それについては感謝してる。だけど僕には、手段を選ぶ余裕も、時間もない。」


 俺は分かりやすく溜息を吐く。元よりこっちから会いに行くつもりだったが、まさかこんな風に会う事になるとは思っていなかったのだ。


「だから、大人し、く――」

「よっし、捕まえた。」


 地面の下を通っていた蔦が、イデアの足へ絡みつき、そして体全体を縛るようにして宙吊りの状態にさせる。

 魔法使いでもなさそうだ。火魔法で燃やそうとする気配もないし。


「やった! イデアを つかまえたぞ!」

「な、何言ってるの?」

「図鑑に登録しなくちゃ。」

「何言ってるの!?」


 襲われたら正当防衛だよね。ちょっと話を聞くだけのつもりだったが、こうなっては仕方あるまい。しっかりと話を聞こうじゃないか。


「離せ! 何だ、これ!」

「異世界は便利だけど、ゲームがないのがつまらないな。ボードゲームも楽しいには楽しいけど。」

「話聞いてる!?」


 俺は蔦でイデアを引きずりながら、街を歩いて行った。城へ戻るのは少々遅くなりそうだ。

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