6.賢者の塔

 賢者の塔は頂上が下から見えないほど高い建築物である。にも関わらず、実は賢者の塔には階段がない。ならばどうやって上の階へ上がるというのなら、転移魔法を利用するのだ。

 転移魔法の維持には膨大な魔力量が必要だが、ここには腐るほどの、しかも一流の魔法使いが揃いに揃っている。全員から魔力を徴収すれば、半永続的に転移魔法を維持することなど容易い。


 そして今も、賢者の塔は増築が為されている。

 信じられない事だが、最初はこんなに大きくなかったらしい。しかし魔法使いの数が増え、魔法使いの手によって勝手に増築が繰り返され、これ程の高さになったそうだ。

 その成り立ち上、下の階の方が初期に作られており、重要な階である場合が多い。


「ここ、二階が賢神魔導会の本部だ。賢神の登録は基本、ここで行われる。」


 そんなわけで、塔の元よりの目的である賢神魔導会本部は、二階に設置されているわけだ。

 だがここにはあまり人はいなさそうだ。幾人かの係員の姿が見えるだけで、魔法使いがいるようにはあまり見えない。


「ここは事務、つまりはデスクワークを行う所だ。魔法使いはそういう事が絶望的にできないのが常でもある。故に、そもそも近付きたがらないのだよ。依頼をやれとか、金を寄越せと言われるだけだからな。」

「……賢神って、結構だらしないんですね。」

「魔法しかやって来なかった奴が、大抵ここにいる。基本的には魔法狂いしかここにはいないとも。」


 アルドール先生が迷いなく歩いていく後ろから、俺とエルディナはついて行っていた。

 程なくして、とある一室の前へと辿り着いた。


「応接室、ですか。」

「君は兎も角、ヴェルザード嬢は公爵令嬢だ。必然的に適当な対応はできないのだよ。」

「私は別に普通でも構いませんけど。」

「世間体というものだよ、ヴェルザード嬢。公爵家を継ぐなら、しっかり把握しておきたまえ。」

「うぐ……すみません。」


 思わぬ所で注意され、エルディナは気勢を下げる。

 ファルクラム公爵家の前当主であったからか、アルドール先生に言われると途端にエルディナは大人しくなる。

 それに規律を体現したようなアルドール先生と、自由奔放なエルディナの相性も悪いのだろう。


「ヴェルザード嬢はいくつかのテストをこなして、書類を書けば終わりだ。」

「……俺は違うんですか?」

「君は違う。別会場であるし、審査方式も大きく異なる。」


 審査方式も違うって、人によって違うものなのだろうか。公平を期す為にも同一にするのが普通だと思うのだが。


「……突然の要請でな。許してくれ。」

「いえ、別に気にはしないので構いませんけど。」

「そう言ってもらえると助かる。」


 そもそも賢神になるのは試験ではなく、以前からの実績で決まる場合が多い。俺とエルディナで言うなら、学内大会の決勝がそれに当たる。

 試験というのは一応の確認であり、試験内容が違ってもどうでも良いのは確かだ。


「四階が君の行く会場だ。案内は……」

「それは僕がやろうじゃないか。」


 突然と背後から声が聞こえるのと同時に、肩を組まれ、頭を引っ張られる。


「何せ可愛い弟子の為に、わざわざ久しぶりに賢者の塔へ来たんだ。任せたまえよ。」

「師匠、何でここにいるんですか?」

「僕は世界のどこにでもいると同時に、どこにもいないのさ。なんせ精霊王だからね。」


 黒く長い髪に、完成された容姿。声や話し方など、どれをとってもそれは間違いなく師匠、レイ・アルカッセルであった。

 精霊王だからか行動が制限されているらしく、こうやってしっかりとした実体もって現れる事は稀で、事実山以外で実体を持つ師匠に会うのはこれが初めてだ。初めて会った時も幻であったらしいし。

 あと、単純にこの人めんどくさいから、魔法を教わる山以外じゃ会いたくない。


「……それでは、任せて良いですか?」

「当然。あの常識知らずの連中の中に愛弟子は放り込めないとも。」

「そう、ですか。ではお願いします。」


 アルドール先生は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、なんとかそう言った。

 常識知らずなんて言葉が、師匠から出てくるとは思わなかったのだろう。一番常識知らず、というか常識破りな人がこの人だからな。


「あなたが、賢神第一席なの?」


 そのまま俺を連れ去って行こうとするレイを、エルディナが呼び止める。アルドール先生は憂鬱そうにため息を吐くが、エルディナを止めはしない。


「いかにも。僕こそが、全ての魔法使いの頂点である賢神第一席にして、全精霊の頂点に立つ精霊王さ。」


 師匠はやけに芝居かかった様子でそう名乗る。

 事実、何度もこの名乗りをした事があるのだろう。学園長もそうであったが、師匠もかなり長い時間を生きている。


「それでこの僕に、何か用かい。」

「私といつか、戦って。世界最強の魔法使いがどんなものか見てみたいの。」


 師匠は一瞬キョトンとし、静寂がこの場に流れる。

 相変わらずエルディナは突拍子がない。しかも戦いを挑む相手が、前魔法使いの頂点である師匠だぞ。常識からは大きく外れている。


「……おい、アルドール。中々良い生徒じゃないか! 僕に挑戦状を叩きつけたのは、ラウロ以来だ。」

「嬉しそうですね。」

「僕に勝負を挑んだのは、この塔でも片手で数えられるぐらいしかいない。例えそれが蛮勇だとしても、愉快な事には違いないだろう?」


 何がおかしいのか分からないが、師匠は大きな声でひとしきり笑った後に、やっとエルディナの方へ向き直った。


「ああ、面白い。面白い、が、それは今じゃないさ。」

「逃げるの?」

「確かに逃げるとも。君をボコボコにした所で、僕は何にも楽しくない。嫌な気分になるだけだよ。」


 師匠が言ったそれは、冗談でも虚勢でもありはしない。純然たる事実として、そう述べたのだ。

 というか師匠は絶対に嘘はつかないし、冗談も言わない。

 師匠にとってこの戦いは、獅子と人の赤子が戦いに等しいのだ。最強の称号は、生憎と安くない。


「だが、最強の魔法使いが逃げたと言われるのも聞こえが悪い。君がもし、冠位の魔法使いになれば、勝負を受けてあげるよ。僕はいつもそうしている。」


 そう言って、俺を引きずりながら師匠はこの場を去る。直ぐに俺は師匠の手を振り解き、自分で歩き始める。


「いやあ、元気な子だね。僕に挑んで来たのは君の父親以来だ。」

「向こう見ずなだけだと思いますけど。」

「子供の特権だとも。相手の実力を量れないのはマイナスポイントだけどね。」


 まあ、そりゃそうだ。いくら賢神になったとはいえ、頂点と戦うには差があり過ぎる。

 俺自身、未だに底すら見えねえし。


「僕の全力と戦えるのは、今の魔法使いだとたった三人程度だ。」

「逆に言えば、三人もいるんですね。」

「戦ったら僕が勝つけどね。何だったら三人がかりで、やっとイーブンだ。」


 きっと、師匠もスキルを持っているのだろう。

 エルディナですら『賢将の青眼』なんていうチートスキル持ってるんだ。師匠が持っていないはずがない。

 だけどそれ抜きにしても、魔法だけで他を圧倒してしまうってのが師匠のヤバい所なんだが。


「よし、それじゃあ4階に行こうか。」


 移動用の魔法陣の上に立ち、師匠はそう言った。

 そう言えば結局聞けていない。俺はどんな試験を行うのだろうか。


「師匠、4階って何があるんですか?」

「ん、知らないのか。なら教えてあげよう。」


 魔法陣は仄かな光を浮かべ、一瞬にして景色が切り替わる。

 そこには円卓があった。十の席が用意されており、座っているのは四人。6席は空席であった。


「冠位会議場。各部門の冠位が集い、議会を行う場所だよ。」


 魔力は感じない。だというのに、いや、だからこそ、俺は全身が震えるのを感じた。

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