20.神

 オーディンはツクモの前へと足を進める。縛られ、結界にて隔離されたツクモは、さっきまでが嘘のように動く事ができない。


「なる、ほど。魂に機能する魔法か。」

「……お前、神じゃな。低位ではあるが、神性を感じる。」

「おや、分かるかい?」


 縛られている状況であっても、ツクモはケタケタと笑う。この状況そのものが、愉悦であるかのように。


「更に言うならこの世界の神でもない。わしが知る神は地上に落ちれば、どんな形であれ力を失う。それが適応されていない時点で、この世界の理から外れておる。」

「その通りだよ、世界最強の魔女。随分な歳の割には頭が回るね。」

「黙れ。わしはお前を殺せんのだ。あまり苛立たせるな。つい気を抜くと殺そうとしてしまう。」


 オーディン・ウァクラートにとって、自分の曾孫の体を奪い取ったツクモは憎しみの対象である。

 しかし、その肉体は他ならぬアルスの肉体。何が起こるか分からない以上、手出しはできない。


「お主は、異界から渡って来たのだな?」

「……ま、そうだね。こことは違う、地球という星で生まれた神性だよ、私は。」


 次々と出てくる事実に少しエルディナとフランは混乱していた。

 それも当然、アルスの体をいきなり奪い取ったものの正体が、異界の神であるなど想像できるはずもない。

 しかしオーディンはそれを無視して話を続ける。


「一つ解せん事がある。異界を渡るというのは途方も無いエネルギーが必要じゃ。それこそ主神クラスの力や、何人もの人間を生贄にせねば得られんほどのな。」

「それが知りたいのか。教えたら逃してくれるのかい?」

「断る。」

「じゃあ無理だ。私もみすみす交渉材料を逃すわけにはいかない。」


 その一言と同時に、結界と光の拘束を体を捻って破壊する。

 そして一瞬にしてツクモの体はオーディンの背後へと回り込む。


「それに、君も神を知っているなら分かるだろう? 人如きが、そう簡単に届く領域にいない事ぐらい。」


 ツクモの手がオーディンへと伸びる。

 ツクモがどんな力を持っているかなど、分かりはしない。ただ、触れられるのは危険である事は想像がつく。


「あら、そう。私は知らなかったわ。」


 しかし、フィルラーナの方が一枚上手だった。

 オーディンの空間魔法により現れたフィルラーナは、その手に持つお守りをツクモへと叩きつけた。

 それは、アルスが師匠から、精霊王から受け取ったお守りであった。


「な、に……これ、は!」

「忘れ物よ。ちゃんと肌見放さず持っておけば、こんな事にはならなかったのに。」


 ツクモは膝から崩れ落ちる。

 白く染まった体の部分は、皮が取れるように剥がれ落ち、元のアルスの姿に戻っていった。


「……戻った、の?」

「明言はできないわ。私はただ、そういうものがあるっていうのを何とか思い出せたから持ってきただけ。」


 エルディナの疑問にフィルラーナは簡潔に答える。

 精霊王と呼ばれる存在がアルスの魂に巣食うツクモに気付かない筈が無い。

 しかしそれでも精霊王は、良い試合になると言った。

 つまりは、それに対するカウンターを用意しているはずである。


「効能は知らないし、今、アルスの中で何が起きているかも分かりはしない。」


 フィルラーナは大きく溜息を吐いた。


「取り敢えず状況の整理は後よ。この暗闇が消える前に、エルディナ以外は出るわよ。」


 フランはそう言われて、無言で会場への通路へ向かう。オーディンは転移の魔法を使い、その場から姿を消した。

 フィルラーナは立ち去る前に、一言だけエルディナに言葉をかける。


「決勝、やりたいんでしょ?」

「……当然よ。」


 エルディナは地面に転がるアルスの姿を、心配そうに眺めていた。






 あるとあらゆるものが沈む場所にて、水の底に俺は沈んでいた。


「追い返されたみてえだな、ツクモ。」


 一言そう呟く。すると今までのように声が響くのではなく、一つの人型の何かが水の中に生まれる。

 それは白かった。不自然な程にその体は全て白く、身にまとう衣服や、その長い髪の先まで白く染まっていた。

 それは目に見えて苛立たしげにアルスの前に現れた。


「最悪だ。まさか私だけを封印する魔道具があるとは、思わなかった。」

「だろうよ。普通の魔法使いなら、体の中にある二つの魂、その内の一つ、しかもさっきの言う事が本当なら、神だけを縛りつけるなんてできるはずがねえ。」


 普通の魔法使いなら、という話だ。

 お嬢様が叩きつけたお守りは、俺が師匠から貰ったお守りだ。正真正銘、世界最強の魔法使いが作ったお守りだ。

 表面上に出てきたツクモにしか効果は発揮出来なかったのだろうが、それでも十分な程の強い効力を持っていた。


「本当に、台無しだよ。少しずつ、少しずつ君の体を侵食し、自分の物にする為に十年もかけた。だけどそれも全て、君の師匠のせいで徒労に終わってしまった。」

「……何で、そこまでして俺の体を欲しがる。神なんだろ、お前。俺の体がそこまでして必要なのか?」

「神が何でもできると思うなよ、人間。文字通り全知全能の力を使える神など、ありとあらゆる世界においてもごく僅かのみだ。私のような薄い信仰によって生まれた神では、君の中からこっそりと力を使う程度しかできない。」


 口ぶりからして、神とは信仰によって成り立つものなのだろう。少なくとも地球由来の神は。

 だが、であれば疑問が生じる。

 こいつは何に信仰されて生まれた、何の神なのだろうか。


「……いいさ。今回は負けを認めよう。君に体は返してやる。」

「随分と諦めがいいな。悔しくないのか?」

「悔しいさ、悔しいとも、悔しくないはずがない。だが、いい。」


 ツクモは俺へと近付き、俺の目を覗き込んだ。


「いつか必ず、君の体を私のものにしてみせる。地球にいた時から、君が赤子の頃からずっと、私はその為に君の中に居続けたのだから。」


 学園長によって、こいつの正体が神であることは分かった。

 しかしその先、こいつが一体どんな存在なのかが未だに分からない。

 だが、分かる事がないわけじゃない。

 こいつは俺の体を欲しい。それこそ何としてでも。そしてそれは、俺の周りの人間を傷つけるという事実に違いない。


「させるわけねえだろ。これが最後だ。もう二度と、俺の体はお前にはやらねえ。」

「君が、か? 調子に乗るなよ、アルス。君は私という存在が、五十年以上中にいる事すら分からなかったんだ。君には私は止められない。」


 それは確かにそうだ。俺一人では、できないかもしれない。


「確かにそうだろうよ。俺は、一人で生きていけるように藻掻いて、それで何にもなれなかった半端者だ。」


 誰も、俺の周りにいなかった。だから一人でも生きていけるのだと、人といる必要はないのだと無意識に自分を鼓舞していた。

 だけど結局、俺一人では何もできはしなかった。それは社会に出た時に痛烈に感じた。

 俺一人では、何も成すことはできないし、何にもなれない。


「だが、今は違う。俺の為に、集まってくれる人がいた。怒ってくれる人がいた。だから俺はあいつらの為に全力を尽くすし、その代わりに俺のミスを、あいつらが肩代わりしてくれる。」


 仲間とは、そもそも人とはそういうものだ。

 複数人でいる事によりリスクを回避し、より確実に、より完璧になる為に人は集まる。

 そして、そこに心地良さを感じるように、人はできているはずなのだ。


「俺一人だけじゃお前は止められないかもしれない。だけど、あいつらなら何とかしてくれるさ。」

「……それは、弱者の言い訳だ。」

「かもな。俺は結局、人に頼ってるだけかもしれない。お前だったら、必要ないのかもしれない。」


 ただ、俺は神にはなれない。どこまでも人だ。


「結果として、俺がここに立てている。それだけだ。」


 俺の体は水の底から浮き上がった。

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