17.信じる者
俺は手に持つ砂時計が落ち切るのを見て、立ち上がった。
交代の時間だ。
「流石に、眠くなってきたな……」
俺は一度、大きな欠伸をした後に体を伸ばして、そして階段を下り始めた。
俺は階段の上の方で見張りをしていた。降りるのは簡単だけど、登るのは大変だからな。緊急時であれば上の方がいいと思ったのだ。
下に降りるとティルーナが毛布を持って寝ており、ヘルメスは顔に帽子をかけて壁にもたれかかりながら座っていた。
「おいヘルメス、起きろ。」
ヘルメスの肩を軽く揺する。
すると少したった後に右腕で帽子を掴んで取り、左手で目をこすりながら立ち上がった。
「交代かい?」
「そうだ。」
俺はヘルメスに砂時計を返す。
適当な階段に腰掛け、軽く目を閉じた。
「俺はもう寝る。」
「お疲れ様。僕もしっかり務めは果たすとするよ。」
そう言ってヘルメスは階段を上って行った。
ヘルメスが結構上に行った辺りで、沈黙を声がつついて破った。
「アルス、さん。」
「……起こしちまったか?」
声がした方を見ると、上体を少し起こしてティルーナがこっちを見ていた。
「いえ、一つ聞きたいことがあって、起きていました。」
「寝ろよ。倒れるぞ。」
「大丈夫です。聞き終わったら寝ます。」
わざわざ寝ないで待ってまでして聞きたい事、か。それにヘルメスには聞かせたくない話ときた。
皆目見当がつかないし、絶対に碌な質問じゃない気がする。
「……こんな、いつ死ぬか分からない状況で、あなたは何故そんなに前を向けるのですか?」
「死にたくねえからだろ。」
「私だって、死にたくないです。ですが、恐らく私はフィルラーナ様のためにと思わなければ、既に心が折れていたと思います。今でさえ泣き出しそうで、とてつもなく恐ろしいです。」
それは何となく察してはいた。
ティルーナは良くも悪くも純粋で、分かりやすいから。
「フィルラーナ様をお守りする。その一心だけで、私は辛うじてここに立てていると、そう思っています。」
「だから、いつも通りに見える俺が不思議だと?」
「そうです。ヘルメスさんであれば、分かります。きっといくつも死線を抜けて来たのだし、実力も私達の遥か先をいきます。なら、あなたは何なんですか?」
俺の経歴を、ティルーナも軽くは知っているはずだ。
しかし、それでも尚、いやだからこそティルーナは違和感を感じているのだ。自分と同じ子供が、そのような状況で前に進める事に。
だが、これはティルーナは気付いていないだろうが、お嬢様もそれに当て嵌まる。その矛盾をつつけば直ぐにティルーナは引くだろう。
じゃあその一言で解決していいのか、と問われるならば否だ。
「死線を越えていれば、私もそのようになれたのですか。私も、フィルラーナ様のように強くなれたのですか?」
ティルーナの中で、お嬢様は特別だ。だからこそ対等に見えない、見れていない。お嬢様の事を自分と同い年で、貴族の令嬢であるなんて思考の内にありはしないのだ。
だからこそ、そういうものだから、という薄っぺらく、そして無意味な返答は許されない。
何より偶然にも、俺はその質問に対する返答を持ち合わせていた。
「ティルーナ。お前は死線を越えれば、修羅場を抜ければ強くなれると、そう俺に聞いたな?」
「……そうです、早く答えてください。」
「なら言ってやる。
確かに死線を越えれば、修羅の先を進めば間違いなくそれは変え難い経験となり、力となるだろう。
しかし、それで強くなれるかと言われるのならば、違うとしか言いようがない。
「俺が何故、ここに立てているか。それが母親をぶっ殺されて、グリフォンに命を奪われてかけて、ゴーレムと死闘を繰り広げたから、なんて事があるわけねえだろうが。」
「――」
この世のどこだって、本当に大切なものの答えはいつだってシンプルだ。
複雑に感じるのならば疲れている。もしくは社会に溺れている。どっちにしろ碌な状況下にいない証拠だろうよ。
「悪いが、俺はお前みたいに高尚な目標なんて持ち合わせちゃいねえ。俺は自分の思いのまま、正直に生きてるだけだ。」
俺の夢と覚悟など、ティルーナに比べれば数段劣る。
だけど、そんな夢でも、俺はいいと思えたんだ。
「俺の夢は、友人と馬鹿やりながら生きる事だ。困っている人を助ける事だ。そして、一瞬たりとて後悔のない人生を紡ぐ事だ。」
自分に誇りを持つ事や、意味のない見栄を張るのはやめた。やめさせられた。エルディナに負けて、アースに叱責されたあの時から。
俺は、俺なのだ。俺以外の何者でもありはしない。自分が嫌だという事を極端なまでに嫌い、自分がやりたい事を死ぬ気でやる。
ただ、それだけのこと。
「だから俺は、ここで前を向かなきゃ後悔する。そう思ったから前を向いただけだ。」
ティルーナはその俺の答えを聞いて、当分の間は何も言わなかった。
そして、絞り出すような声で、再び俺に問うた。
「私の覚悟は、あなたのそれより、薄っぺらいのですか?」
自分の覚悟は俺より強く、命すら投げ捨てられると思っていたのだろう。だからこそ俺の方が強く立っている今を見て、言いようのない劣等感が湧いているのだろう。
だが、それは正しくない。
「……ティルーナ。俺はお前の夢は気高いものだと思うし、俺より凄いと思うよ。」
「なら、何で、あなたがここで立てて! 私は立てないんですか!」
それは根本的な違いだ。前提がそもそも違うのだ。そこを比べようとした時点で意味がない。
「だけど、お前の夢は他者に依存した夢だ。それは素晴らしい夢であって、強い夢じゃない。」
「一体、どういう……」
「お嬢様がいなくなったら、お前は何のために生きるんだ?」
「……は?」
お嬢様を守る。それは一種の母性本能に近い。それは本人の意志や想いに賛同したものではない。
ただそれを守りたいという心持ちで、お嬢様をティルーナは守ろうとしている。
ならば結局、ティルーナは何がしたいんだ?
「だから、お嬢様がいない今、お前はとてつもなく弱い。」
自分の全てを犠牲にしてでも、誰かを守る。ああ、素晴らしい言葉だ。大勢の人間が素晴らしい美徳だと答えるだろう。
それは間違いなく、愛から来たものだ。だが時に、盲目的な愛は行く先を曇らせる。
「お前は盲目的にお嬢様を信じ、その全てを肯定し、己が全てを捧げる。ただそれは機械的に、だ。お前と俺の違いは、多分そこだろうよ。」
お嬢様が信じる全てを肯定し、信じない全てを肯定しない。
例えそれをお嬢様が望んでいなくても、ティルーナお嬢様の言葉を全肯定するだけしかしない。
否定はしない。だが、強くはない。
「俺は、俺が信じるものを全て信じる。お前はお嬢様が信じるものを全て信じる。だから俺は一人で立てるし、だからお前は一人じゃ立てない。」
返答は来ない。
ただただ静かな沈黙が響き渡り、そして俺は大きく溜息を吐いた。
「……俺は寝るぞ。」
そう一言残して、俺は瞼を閉じた。それは薄気味悪い寝心地だった。
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