16.刹那の休息

 ダンジョンを駆ける。

 何時間走ったのか、今が夜なのか昼なのか、後どれだけ走ればいいのか。

 そんな事は分からない。考えたくもない。

 ただ言える事があるとしたら、未だに地上は遠いという事である。


「……もうそろそろ、限界か。」


 ヘルメスは走りながらポツリとそう呟いた。

 強化魔法はかけてはいるものの、それは無限の体力を与えるものではない。それに体力はあったとしても、この状況で精神を磨耗せずにいられるとしたら、そいつは狂人だ。

 少なくとも俺も無理だし、ティルーナの顔色は特に酷い。今にも吐きそうな気さえしてくる。


「今日はここで休むよ。」

「ま、まだ行けます!」

「無理だ。これ以上の行動は死人が出かねない。精神的にも魔力的にもここで回復を取るのがベストだよ。」


 一早くダンジョンから出たいというティルーナの気持ちは大いに分かる。

 しかしこの状況ではヘルメルの言っている事が正しい。冷静に考えるならここで一度休むべきであろう。


「……すみ、ません。」

「謝らなくていいさ。別にアラヴティナ嬢がいるから休んだわけじゃない。」


 そうは言われてもお嬢様がいない今、心も弱くなっているティルーナはその言葉をそのまま受け取れない。


「ここの階段で休むよ、寝にくいだろうけど我慢してくれ。アルス君は壁を張って魔物が来る可能性を極力下げておいてくれ。」


 ヘルメスは目の前の階段を少し上り、そこに懐から出したシートを引く。寝心地が良いわけではないだろうが、直接寝るよりマシだろう。

 ティルーナはフラフラと歩いて行って階段の2段目に腰掛け、その間に俺は階段への通路に石の壁を張る。


「取り敢えず、今は寝よう。階段は魔物は通りにくいから近付かないし、壁もあって見張りもいれば大体は安心さ。」


 そう言いながら毛布やらを上着の内ポケットから出していく。


「見張りの順はアルス君、僕、アラヴティナ嬢の順だ。砂時計を渡すからそれが落ち切ったら交代としよう。」


 見張りは俺からか。まあ、俺はまだ大して眠くないしいいか。

 色々と興奮状態にあったせいか、何故か眠気はまだ強くないのだ。


「ほら、アラヴティナ嬢。この毛布を使って寝な。淑女にあるまじき酷い顔になってるよ?」

「別にそんなことないだろうが。嘘を付くな。」


 ティルーナは何も言葉を返さず毛布を持って、階段で体を小さくしてゴロンと寝転がった。

 会話をしたくないほど酷い気分ってことか。

 ティルーナの気分をなんとか盛り上げる事ができればいいんだが、流石にこの状況で無理に頑張れとも言えない。


「僕はもうちょっと準備をした後に仮眠を取る。時間になったら起こしてくれ。君は寝ないようにね。」

「任せろよヘルメス。逆にぐっすり寝すぎて起きれないなんて事になるなよ。」

「大人を舐めるもんじゃないよ。むしろ僕が一晩中見張りをすべきだと思わないのかい?」

「お前がいなくちゃもう野垂れ死んでるのに、文句なんて言えるわけないだろ。」

「やっぱり君って大人びているね。子供らしくない。」


 仮にも社会人生活を二十年以上やってきた身だ。

 神経質な上司にクソほど細かいくだらない事を言われた分、細かい事は気にしないように意識しているからな。


「そのチグハグさの理由も、いつか教えてほしいものだね。」


 そう言って、トンと俺のおでこの部分を人差し指でつついた。

 俺は嫌な汗をかく。

 やはり違和感があるのだろう。異世界転生してきた、なんて想像すらしてないだろうが、何かがあるとは考えているのだろう。

 ヘルメスがそこまで思いついているなら、お嬢様も近しいところまで、いや予言の力でもうそれも知っているんだろうか。


「聞かれたくない事だったかい?」

「……いいや、別に。機会があれば話すよ。」


 そもそも、俺が転生者であるなど隠す必要はないのだ。

 基本的に話す気がないのは信じてもらえないだろうからで、別に転生したからどうというわけでもない。

 チートなんてエルディナに比べればないに等しいし、現代知識を活かすにしてはこの世界は発展し過ぎている。

 俺が異世界転生してきたと言って、それを証明する手立てもないからな。


「んじゃ、大人しく見張りしてるよ。」

「ああ、頑張ってくれ。」


 俺は階段を上っていく。

 上にも壁を張っておけば、出入り口を全て魔法で防げる。壊されたら気付くし、俺の見張りは他の人より気を張る必要はない。

 ヘルメスの言った通り、魔物が階層の間、階段に来ることなんて普通はないけどな。


「……俺って、何なんだろうな。」


 俺はポツリとそう呟く。

 きっと、俺の中には普通じゃないナニカがある。


 俺がグリフォンと戦って死にかけた時に行けたあの世界。そしてツクモと名乗るよく分からない声。ゴーレムと戦った時、よく分からずに出てきたあの白い腕。

 そもそも俺は何で前世から魔力が見えたのか、何故人より何倍も魔力が多かったのか、世界中にいる七十億人以上の人の中から何故俺が転生したのか。

 そして、俺を山に捨てた親は誰なのか。


 今まで気にもしもなかったが、俺には謎が多い。

 もしかしたら俺を捨てた親なら、俺の正体を知っていたのかもしれないが、ここは異世界だ。会えようはずもない。

 ならそれを知れるものがあるとすらなら、やはりあのツクモという声であろう。


「神か、悪霊か、魔物か。一体ツクモって何なんだ?」


 俺から語りかけても会話はできない。しかしあの感じからしてツクモは自由に俺を呼べるようだった。


「……いや、それすらも考えても仕方ねえか。」


 それも大切な事だ。いつか知らなくちゃいけない事だ。だが、それは今じゃない。

 今やるべき事は生き残る事。死に物狂いで足掻いて、渇望して、自分の死を遠ざける事だ。こうやって自問自答しても、答えが出るはずもない。


「……ティルーナがいつまでもつかな。」


 ティルーナは強い。一切弱音を吐かず、ここまでついてきている。

 ティルーナをそうさせたのは間違いなくお嬢様だ。大抵の事は自分でなんとかしてしまうお嬢様を守るためとあらば、自分も強くなる他ない。

 ただ、それに経験が追いつけてない。

 お嬢様はもはや人間とも思えないほど強靭な精神を持ち、それを無理せず扱う度量がある。


 だが、ティルーナは違う。

 強靭な精神を持ってはいるが、それは内側から崩れるガラスのような心だ。いつ発狂して、崩れ落ちるか分からない。

 この状況ではそれは普通の事だ。俺とヘルメスが普通じゃないだけ。

 だからこそ、ティルーナは無理をする。根本的には優しい性格なのだ。だからこそ俺たちに迷惑をかけたくないのだろう。


「仲間なんだから、もっと気楽にしてくれていいのによ。」


 ヘルメスは兎も角、俺は仲間なのだ。

 例えこの状況にアースがいても、ガレウがいても、フランがいても、お嬢様がいたとしても誰にも弱音を吐かないのだろう。

 それがティルーナ・フォン・アラヴティナという少女であるのだ。

 それは間違いなく美徳でありながら、ティルーナが持つには幼過ぎた。


「……クソッタレが。」


 そもそも自分が生き残れるか分からないってのに、他人の心配なんてしてる余裕もないか。

 本当に最悪だ。何でこんな事になったのだろう。

 母親が殺されて、グリフォンに襲われて、ゴーレムに殺されかけて。俺の人生は碌な事がない。

 しかしそれで成長している自分がいると思ったら、なんだか気持ちの悪い感じがした。

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