第三章〜剣士は遥かなる頂の前に〜

0.剣士の始まり

 この世界で人類史が始まって、正確に言うなら世界初の国家であるグレゼリオン王国が建国されておよそ三千数百年。

 地球で生きる君、いや誰であっても長いと感じる歴史だ。

 だが、君達が住む現代と並んでも追い越す事はありはしない。

 諸説はあるが、例えば。メソポタミアにかつて存在したといわれる都市国家ウルクは紀元前3500年前ともいわれる。

 西暦と合わせればおよそ五千年前。比較すればこのレベルまでの経済成長を遂げるこの星は素晴らしいと言えるだろう。


 しかし、確かにそこには闇がある。


 世界最大の国家であるグレゼリオン王国であっても格差はあり、いわゆるスラム街なんていうものは世界中に存在する。ゴミを漁って生きながらえる奴もいる。

 しかし知っているだろう?

 現代地球であってもそれはずっと存在し続けるという事ぐらい。

 どこであっても人間は全員平等というほど都合よくなく、食料を、有限である資源を奪い合う。

 この世界の利点は無尽蔵の『魔石』という資源があるという事しかない。

 その資源がある代わりに、この世界の命は地球より遥かに軽いのだ。


「はっ、はっはっ、ァ、ゥン。」


 裏路地に一人の少年が建物を背にしてもたれかかっている。

 息を切らし、常に激しく呼吸をしている。時々味のしない唾を飲み込み、心底気持ち悪そうに彼はそこに座っていた。


「クソ……クソが。」


 口悪くそう言う。

 彼には親はいない。捨てられた子供なのだ。そしてスラム街に捨てられた子供など、孤児院にすら入れられない。

 一々全員入れていたら、いくら何でも抱えきれない。それぐらいにはよく子供が捨てられている。

 たまたま生き残ったとしても、若しくは少し成長してから捨てられたとしても、生きるために盗みを行い、騎士に追われ、人によってはそのまま斬り殺される。

 盗みをはたらけば殺され、盗まなかったら餓死する。それがここの常識であった。


「はや、く。逃げねえと。」


 走る足音が聞こえる。怒鳴り声もだ。

 自分を追う声だと彼は知っていた。

 未だ十歳にも満たない、幼い子供でもそんな事が分かるぐらい、いや、分からないと生き残れないぐらいにここは過酷だったのだ。


「どこに、だ?」

「ッ!!」


 しかし彼の目の前には既に一人の男がいた。その服は彼が死ぬほど見た騎士の制服だった。

 躊躇いもなく騎士は少年を殴り飛ばす。


「ガァッ!」

「手間取らせやがって!あんまり大人を舐めてんじゃねえぞガキ!」


 何度も蹴り飛ばし、憂さ晴らしをするように子供を罵る。

 少年にとって騎士とは敵だった。

 騎士とは醜い汚物でしかなかった。

 秩序を追い求める事はなく、品性もなく、ただ自分達が金を得るために自警団をしているに過ぎない。

 ただのゴロツキに過ぎず、自分達と何も変わらないではないか、と。


「この騎士様に逆らおうなんざ、調子に乗ってんじゃねえよ!」


 そう言って顔面を踏み潰す。

 そこら辺でやっと落ち着いたのか、騎士は腰から剣を抜く。

 その剣は手入れをしてないと直ぐに分かった。刃こぼれは酷く、刀身は返り血がついたままだ。鈍器のような使い方でしか剣を使わないのだろう。

 少年は死を覚悟する。

 もう既に足は動かない。相手も生かすつもりはない。ならば死ぬに決まっている。

 それはある意味で正確であり、


「今、騎士と言ったか?」

「あ?」


 ある意味では不正解であった。

 怪しい男だった。

 全身を黒いローブで身に包みその中から微かに見える服装も全て黒かった。

 顔の部分には仮面がついている。陰陽太極図のような、明らかに普通ではない仮面。

 肌の一切を露出せず、彼は木刀を手に立っていた。


「自警団の間違いだろ。この国の騎士組織はまだしっかりとしている。お前のような頭の悪い奴が入れるほど、まあ、悪くはない。」


 男は一歩ずつ騎士へと近付いていく。

 騎士もいきなり現れた男に警戒しているのか、そちらに剣を向ける。


「なんだその木刀は。剣も買えなかったのかよ、オイ。」

「……」

「は、子供の遊びじゃねえんだぜ。斬られたくなかったらさっさと帰りな。」


 その木刀は長い。大体、一メートルと数十センチ。

 普通の刀が一メートルを超えない事で考えるなら、大きなサイズあると断言できる。


「一つ。そのなまくら、いやお前がなまくらにした剣じゃ人は斬れない。ぶった叩くだけだ。」

「は?」

「二つ、自分で言うのもなんだが。」


 男は地面を蹴る。騎士も剣を握り、戦おうとする。しかしもう遅い。そこは、既に男の間合いだった。


「達人は、剣を選ばない。」


 二度剣を振るった。

 一撃目で的確に腕を叩き剣を落とさせ、二撃目で頭を叩く。

 あまりにも速く、騎士が知覚できない二撃。その鋭き一刀は確実に騎士の精神を刈り取った。


「なん、で。」

「何で助けた、か?こいつ如きが騎士を語るのがムカついただけだ。お前を助けたわけじゃねえよ。」


 ただ、と言って男は袋を投げる。

 ジャラ、というお金の音が聞こえる。恐らく中には硬貨が入っているのだろう。


「ここで見捨てるのは寝心地が悪い。その金持ってこの国を出な。グレゼリオン王国がお勧めだ。あそこは法整備がしっかりとしている。」


 そう言って男はその場を後にする。

 少年は血だらけの体を動かして、お金を掴む。そしてこの路地裏から男が出る前に、その金をぶん投げた。


「……いらねえのか?」

「剣を、教えてくれ。」


 少年は一言、そう言った。


「金なんかいらねえ。一度でいいから、あんたみたいに剣を振りたい。振ってみたい。」


 それは、憧れであった。

 一流の芸術品に心を奪われるように、プロの選手の神業を見てそれに憧れるように。少年は剣に憧れた。


「……そういうパターン、か。」


 困ったように少し悩む仕草を見せ、そして金を拾って少年に近寄る。

 そして少年に触れた。少年の傷は瞬く間に癒えていく。


「なら、ついてこい。飯も場所もやる。お前が俺の剣を知りたきゃあ、地獄を見る必要がある。俺にもあんまり時間はないからな。」


 少年はその言葉の意味を理解し、その顔を笑顔に染めて走り始める。決しておいていかれないように。

 少年の地獄のような世界に、生まれて初めて光が見えた瞬間であった。

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