7.メイドのような貴族
朝、小鳥の囀りが耳に入る。
俺はベッドの布団を退け、体を起こす。学生寮の部屋は二段ベッドがあって、俺はその上だ。
ベッドから梯子を使って降り、寝ぼけながらも制服に着替える。
「……ガレウ、はいねえか。」
部屋にある時計を見るとそれは七時を指していた。
俺は大体十一時までには床につき、七時に起きるというのをルーティーンとしている。前世からの習慣だ。
そう言えば異世界であっても時間表記は変わらない。
というか割と地球との共通点が多いのだ。偶然と考えることもできるが、恐らくは俺以外にも転生者がいたのだろう。
「飯、食いに行くか。」
俺は何も手には持たず、部屋を出る。
昨日は結構長い間アースと本を読んでいた。
俺が魔法について知れる本は、親父直筆の魔法書だけだった。悪いとも言わないし、むしろ物凄くあの本は良い。だが、やはり知識が偏るのは否めない。
これは俺の持論になるが、こういう類の本は同じ内容を記したやつを見比べていくのが楽しいのだと思う。実際に、初めて知ることも結構あって学びとなった。
「それにしても本当にガレウは朝が早いな。」
そもそもホームルームが八時半からだ。七時でも相当余裕を持って起きる方と言えるはずだ。
こんなに朝早く起きてガレウは何をしているのだか。
「あら、下僕。随分と朝が早いのね。」
寮から出たところに、丁度お嬢様がいた。
何で俺の周りの奴らはこんなに朝が早いんだ。いや、お嬢様は公爵家の人間だから当然なのか?
「人のこと下僕扱いしないでくださいよ。」
「そう思うんだったらもっと私の役に立ちなさい。」
そう言って俺を背にそのまま校舎の方へと歩き始める。俺もそれに後ろからついていく。
「朝食ですか?」
「ええ、そうよ。貴方もでしょう。」
校舎には食堂がある。うどんやらカレーやら色々あるし、普通の朝食もある。
学生ならその場で食べる分なら無料だから金銭的にも得だ。欠点があるならメニューは固定でずっと変わらないことだが、それは些細な問題というものだろう。
「今日から本格的な授業ですよね?」
「ええ。特に貴方は座学をなんとかしなくてはね。」
それは痛いところだ。
俺はこの世界に来てから魔法の勉強しかしてなかった上に、シルード大陸で育ったのもあって常識もかなり足りない。
流石にこのままでいいはずもないし、勉強しなきゃなんだが、勉強なんてやる気が出るわけがないのだ。
前世と今世含めて大体三十年ぶりの学校だ。それも感覚を鈍らせている気がする。
「お嬢様は何を食べるんですか? 俺は普通にパンとスープを食べるつもりなんですが。」
「私は食堂の席を使うだけよ。学食は食べないわ。」
「弁当か何か作ったんですか?」
自分で言っておかしい事に気がついた。
この邪知暴虐の限りを尽くしてそうなお嬢様が、料理? クマがエプロンつけて肉をかっさばいてた方がまだ納得できるぞ。
「……私は公爵家の出よ。あなたはよく分かってなさそうだから言うけど、公爵家ともなると幼い頃に物凄い量の教育を受けるわ。」
「いや、それは知ってますけど。」
「いいえ、分かってないわ。」
お嬢様は足を止め顔を寄せる。その深紅の目は俺の頭を覗き込んでいるような気さえしてくる。
「歴史、地理、経済、武術、魔法、乗馬、礼儀作法、楽器、算術、歌、踊り。この他にも沢山のことを成人までに詰め込み、成人の頃にはどこへ出しても恥ずかしくない完璧な人間を作り出す。どれも中途半端は許されず、投げ出すことも甘えることも許されない。それが公爵家の貴族というものよ。」
その言葉は俺によく刺さる。幼い頃から魔法しか学ばず、学ぼうともしなかった俺に。
もしも俺がもっと様々な方向に知識を広げていれば、もしかしたらお母さんを助けられたのではないかと。
いや、それも意味のないことなのだろうか。
もしかしたら俺が全力を尽くしたところで助けられなかったかもしれない。俺一人の力は大したことはないのだから。
「どうしたの、自分の無力感に打ちひしがれて絶望したような顔をして。」
「お嬢様、実は予言の力だけじゃなくて心を読む力とか持ってませんか?」
「持ってないわ失礼ね。」
お嬢様は呆れたように目を閉じて腕を組んでため息を吐く。
「先に言っておくわ。あなた個人の力なんて大したことはないわよ。」
「うぐ、分かってますよ。そんな酷いことを言わなくてもいいじゃないですか。」
「あなたは逆に私が、『心配しないで、あなたは十分頑張っているわ』なんて言われたいのかしら?」
俺は自分に対して気を遣うお嬢様を想像する。
最初の頃はそんな感じは確かにあったはずなのだが、あれ何でだろう。想像ができない、っていうか気持ち悪い。
「納得しました。」
「分かればよろしい。」
その言葉を聞いてお嬢様は再び歩き始めた。
「で、結局お嬢様は料理できるんですか?」
「いや、できないわよ。」
「え?」
今までの前振りは? さっきまでの会話の意味はなんだよ。
「いくら高貴で華凛で才能に溢れる私とはいえ、できないことだってあるわ。」
お嬢様の自信は本当にどこから湧いて出るのか、不思議でならない。
「私がフライパンを使うと溶けだしたり、包丁が気付けば手からなくなってたりするの。」
「下手なんて次元じゃないですよ、それ。呪いの類じゃないですか?」
「いいのよそれは。できないし必要のないことはしない主義なの。」
フライパンが溶けるってなんだ。何を間違えたらそうなる。
「だから、私は料理ができないけど作ってくれる友人がいるのよ。」
「料理を作ってくれる友人?」
お嬢様の友人ってことは貴族様だろうけど、どちらにせよ貴族が料理するってかなり不思議な感じだ。
というか使用人に任せるもんだと思うけど。
「リラーティナ家の分家の子なんだけど懐いちゃってね。下手なメイドより優秀だし傍に置いているんだけど。」
「メイドより優秀な貴族ってなんですかそれ。」
そうこう言っているうちに食堂につく、やはり七時じゃ人もいなくがらんどうとしている。
しかしそんな中、一人の少女がそわそわと座っていた。
お嬢様と似て、紅い髪と目をしている。短い髪で片目が隠れていて、お嬢様の顔をいくらか大人しくさせたような顔だ。
そしてこっち、いやお嬢様を見て顔を分かりやすく輝かせた。
「フィルラーナ様ぁ!」
そしてブンブンと手を振る。
お嬢様の方をチラッと見ると、少し気だるげにそのまま歩き進んでいく。
「おはようございますフィルラーナ様! こんな朝早くからお嬢様に会えるなんて私はとても嬉しいです!」
「おはよう、ティルーナ。相変わらず元気ね。」
「当たり前です! フィルラーナ様は私にとって、いえ全世界にとっての神です! 神に出会えて喜ばない人などいようはずもございません!」
多分、俺は今おかしな顔をしているだろう。
なんだこいつは。え、貴族? 狂信者ではなく? 懐かれたとかそういう次元じゃないぞ。
片目が隠れている少女は恍惚とした表情を浮かべながら、お嬢様に近づいてくる。だがその途中で、急に足を止めた。
さっきまで一切目が合わなかったが、やっと俺と目が合った瞬間にだ。
「フィルラーナ、様。この、方は?」
「……自己紹介をしなさい。」
お嬢様がそう指示するが、気が進まない。俺個人でいるなら絶対近付きたくない類だ。
「お初にお目にかかります。お嬢様の――」
「ま、まさか専属執事!?それなら私の役目は、いったい……いやまさか婚約者ですか!?」
おい待て。話をさえぎるな。勝手に話を進めるな。
「わ、私の役割がなくなるぐらいなら、いっそここでこの男を……!」
「なんかすっごい物騒な話してませんか? 取り敢えず話し合いから始めましょう。というか、まだ自己紹介も……」
「あなたを殺して私も死ぬ!」
「なんでそうなった!?」
流れるような動作で俺が抵抗するより早く腕を掴み、足を払って倒れる俺の体にそのまま体重をのせる。
「痛い痛い痛い!ギブギブ!」
「アハ、アハハハハハ!」
「ちょ、こいつイカれてやがる!」
俺を寝転がせた状態で首を締めてくる。
やばい、息ができない。死ぬ。マジで死ぬ。思考が上手くまとまらない。魔法が使えない。ヤバい、落ちる。
「ハハハハハハハ!!!」
意識、が……
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