第26話 試着室殺人事件<解答編>
その後鑑識が到着して、試着室の内外の写真を撮ったり、指紋を採取したりした。
島本刑事は二人の店員に今日の店内での出来事を聞いていた。
その頃には売り場前の通路に野次馬が押しかけていたが、婦人服売り場は立ち入り禁止になり、警官が野次馬を制止していた。
私たちは現場にいた参考人ということで、その場で待つよう言われた。
「すごいわね。本物の殺人現場に立ち会えるなんて」と仲野さんが興奮していた。
「遺体を見て気持ち悪くならなかった?」と聞く美波副部長。
「ちらっとしか見えなかったから映画やドラマのようにしか思えなかったわ」
そんなことを話しているとようやく島本刑事が近づいて来た。
「お待たせしました。みなさんがこの店に来られてからのことを聞かせていただけますか?」といつになく丁寧な言葉づかいで話しかける島本刑事。
「私たちは明応大学のミステリ研の部員で、今日は一色さんが披露宴に着ていく服を買うために来たんです。一色さんから相談を受けたので助言をするためです。立花先生のお兄さんの結婚披露宴なので、立花先生がお金を出してくれました」
「買う前に一時間くらい服を見て、遺体が見つかった試着室の隣で一色さんが試着をして、それから服を購入しました」と田辺先輩。
「その時に一色さんがあの試着室から人が出て来ないと店員さんに言って、あの若い方の店員さんが見に行って遺体を発見したんです」と仲野さんが続けた。
「試着室のカーテンがいつから閉まっていたかわかりますか?」と島本刑事。
「ずっと一色さんの服選びにつき合っていて、一色さんが試着をするまで試着室の方は見ませんでした。・・・誰か気がついた人がいる?」と美波副部長が聞いたが、私を含めた全員が首を横に振った。
「店内で客を見ましたか?」
「私たちが来た時からすでに何人かのお客さんが来ていました。ただ、死んだ人を見かけたかどうかはわかりません。私たちは顔も服装も知らないので」
「それなんだが、試着室内に本人の私服が見当たらないんだ。このことを一色さんはどう思う?」と島本刑事が私に聞いた。
「その理由はいくつか考えられます」と私が言うと、島本刑事や部員のみんなが一斉に私を注目した。
「え?わかるの?さすがは女子大生探偵ね」と私をちゃかす仲野さん。
「そんな言い方はやめてよ」
「それより本人の服がなかった理由を教えてくれ」と促す島本刑事。
「まず最初に考えられるのは、服そのものに価値があって、盗難するために殺害したということです。でも、殺害してまで盗難するほどの高価な服があるか疑問です」
「ほかには?」
「身元がわかるものを隠して警察の捜査を遅らせようとしたのかもしれません。でも、顔が丸わかりですし、よくこの店に来ていたというのなら、過去の購入記録から身元がすぐにわかる可能性が高いので、その可能性は低そうですね。いずれにしても婦人服売り場から服を手に持って出て行くと、売り物を万引きしたように見えるので、気づかれる危険がありますね」
「それじゃあ何のために?」
「もうひとつ考えられるのが被害者の服を着て変装した可能性です」
「変装!?それこそ何のために?」と聞き返す島本刑事。
「試着室から出るところをたまたま誰かに目撃された場合、すぐに自分が誰だかわかってしまうと犯人が考えたとしたら?・・・だから犯人は変装するしかなかったんです。実際に目撃者がいたかどうかはわかりませんが」
「すぐに誰だかわかる服装をしている人とは?」と聞き返す島本刑事。
「考えられるのは職業を示す制服を着ている人でしょうね。婦人警察官とか、ここの店員さんとか」
私の言葉にレジ近くに立っている二人の店員の方を振り返る島本刑事。
「若い方の店員さんは死んだ人に呼ばれて試着室に行ったと言っていたわ。だから見られても言い訳できるんじゃない?」と美波副部長が聞いた。
「でも、ずっと試着室の方を伺っている人がいて、店員さんが立ち去ってから誰もあの試着室に近づいていないと証言されたら?」
「そう言われたら否定のしようがないわね」
「私たちも隣の試着室に行ったわ。下手すれば私たちが最後に試着室に近づいたと言われかねなかったわ」と田辺先輩が蒼ざめながら言った。
「婦人警察官が勤務中にこの店の試着室に入るとは考えられないな」と島本刑事。
「仮にあの店員が犯人だとして、どういう行動を取ったんだ?」
「試着室の中に顔を突っ込むとまず隠し持っていたハンカチと千枚通しを取り出したのでしょう。ハンカチは千枚通しの先端を包んでいたものかもしれません。そして下着姿の被害者に背後から迫り、ハンカチで口を塞ぐとともに背中に毒が付いた千枚通しを突き刺したんです」
「毒物が何かわからないけど即死したのなら、犯人は被害者の体をそっと試着室の床に座らせたんだろう」と立花先生が言った。
「犯人はあたりの様子を見てからさっと試着室の中に入り、脱ぎ捨ててあった被害者の服を着たのでしょう」
「そんなに簡単に着替えられるの?人が倒れている狭い試着室の中で?」と仲野さんが聞いた。
「ワンピースなら、制服の上からすぐにかぶれるでしょう。あの店員さんは被害者よりやせているようですから、サイズ的には問題ないはずです」
「あの年かさの店員さんは太めだから無理そうね。それで試着室を出てどうしたの?」
「婦人服売り場からあまり長く離れられないでしょうから、近くのトイレかどこかで服を脱ぎ、凶器も置いていったのかもしれませんね」
「すぐに近くの女子トイレを探そう!」と島本刑事が叫んだ。
「しかし僕が女子トイレに入るわけにはいかないから、君たち、近くのトイレに服が置いてないか探してくれないか?もしあったら、そのトイレを封鎖して鑑識を呼ぶから」
島本刑事はそう言って白い布手袋を一双渡してくれた。「ドアを開けるときは素手で触らず、手袋を使ってくれ」
「わかりました!」と、私が答える前に美波副部長が答えて手袋を受け取った。
「すぐに調べて、もし脱いだ服や凶器があったら、中にいた人を追い出して刑事さんたちを呼びます」
「その間に僕はあの若い店員に試着室を見た時の様子をもう一度詳しく聞いて、矛盾点がないか確かめるよ。そしてもうひとりの店員にも、若い店員がいなかった時間がなかったか聞いてみよう」
「それでは後で」と私たちは言って婦人服売り場からそのフロアの最寄りの女子トイレを目指した。島本刑事に言われて警察官が二人ついて来る。
女子トイレの中にはちょうど誰も入っておらず、手袋をはめた美波副部長が個室を次々と開けた。
もちろん便器の周囲には何もなく、便器の上にある水タンクを見上げたが、高くて私たちには何か物を載せることはできそうになかった。あの店員にもできないだろう。
最後に奥の掃除用具入れをのぞくと、バケツの中に丸めた赤い布が押し込まれていた。
「これは・・・まだきれいだから雑巾じゃなく、女性服ね」と美波副部長。
「この中に凶器があるかわからないけど、これ以上は刑事さんたちに任せましょう」
そう言って私たちはトイレを出た。
「ありました。女性服のような物が、奥の掃除用具入れに隠してありました」とトイレの前で待っていた警察官に告げる美波副部長。
すぐにひとりの警察官が島本刑事と鑑識の人を呼びに行った。
その後のことは警察にお任せだ。その頃には遺体は担架に乗せ、布をかぶせられて運び出されていた。近くの警察署で
立花先生は同行を求められていた。現場で死体を診たついでに
若い店員は任意同行を求められ、うなだれたまま警察官につれて行かれた。私たちと年かさの店員も事情聴取をするために警察署に行かなくてはならなかった。
警察署では別の刑事さんにいつから婦人服売り場にいて、試着室の異常に気がつかなかったかとか、発見した時の状況や、島本刑事に頼まれて女子トイレを調べたことを事細やかに聞かれた。
そんなこんなで解放されて警察署から出た時にはもう夕方になっていた。割と長い時間拘束されていたが、ミステリ研のみんなはいい経験ができたと嬉しそうだった。
「実際に殺人が起こったら警察はあんな風に調べるのねえ」と田辺先輩。
「小説よりもリアルだったわ」と仲野さん。いえ、現実の出来事なんですけど。
立花先生はまだ時間がかかるらしく、私たちは近くの食堂に入って遅い昼食を摂ることにした。
「一色さん、今日の経験を明応祭に出す機関誌に書きましょう」と美波副部長。
「私はほかの事件のことも書くことになっていますけど、今日のことを追加するんですか?」
「そうねえ、みんなで体験したことだから、別の報告として書いた方がいいんじゃない?」と田辺先輩。
「そうなると一色さんに書いてもらうのは負担かも」
「わ、私は既に別のことを書くと決めていますけど」とあわてて仲野さんが言った。
「じゃあ、ミステリ研の女子部員を代表して私が書くことにするわ。草案を書いたらみんなに確認してもらうから、今日のことを忘れないでね」と美波副部長が締めくくった。
「新聞にも載るでしょうから記事をチェックしておくけど、一色さんはあの刑事さんと顔見知りのようだから、新聞に載らない情報があったら聞いて私に教えてね」
「は、はい。わかりました・・・」捜査情報をどこまで話していいんだろう?
その後、立花先生から聞いた話が以下の通り。
あの若い店員と被害者は同郷の幼馴染だった。と言っても仲のいい友だちではなく、中学生の時に被害者が店員をいじめたり、無理な要求をしたりするような関係だったらしい。そのいじめは店員の一歳下の妹にも及び、妹はとうとう自殺したそうだ。
妹の死でさすがに責められた被害者は転校し、いじめは終わった。ところが店員が四月に就職した百貨店の婦人服売り場にたまたま被害者が来たらしい。
昔のいじめを覚えていた店員は被害者と仲良くする気はなかったが、客と店員との関係で接客せざるを得ず、そこで被害者が店員のことを幼馴染だと思い出したらしい。
それから何度も被害者は来店したが、店員は接客以外の相手はしなかった。
ある日、被害者が見ていた服がなくなっていることに気づいた店員が、被害者が次に来店した時にあの服を知らないか尋ねたところ、あっさり万引きを認めたらしい。
商品を返すように言う店員。しかし被害者は、「私を突き出したら、あなたが手引きして万引きしたと言うわよ。だから今回だけは見逃してよ」と店員に言ったそうだ。
この時店員が上司に被害者の万引きの事実を伝えれば、多少疑われたとしてもその後の悲劇は起こらなかっただろう。
しかし店員は濡れ衣で首になるのを怖れ、被害者の万引きを黙ってしまった。・・・これがよくなかった。万引きを黙認することで店員は被害者のほんとうの共犯者になってしまったのである。
その後も被害者は来店し続け、店員に共犯の事実をばらされたくなかったら万引きの協力をするか、金を出せと脅すようになった。それほど裕福ではなかった店員はやむを得ず万引きの手伝いをすることがあったという。
このままではいずれ万引きの事実がばれる。警備員が張り込んで被害者が捕まれば、自分が共犯であることもばれてしまう。そうなれば当然首になるし、逮捕されなくても再就職が難しくなるだろう。
そう考えた店員は被害者を殺害することを考えた。しかしいつも店内で会っていたので被害者の自宅を知らなかった。殺害するなら婦人服売り場でしか機会がなかった。
そこで店員は毒殺を考えた。漁村の出身だったので、フグ毒を使うことを思いついた。
休日になると近くの海岸の釣り場に行った。釣り人がクサフグを釣ると、外道としてその場に捨てることが多いことを知っていたので、堤防沿いに歩いて捨てられているクサフグの死体を集めた。
自宅に持って帰るとクサフグの内臓を集めてすり潰し、水に溶いて得た上澄みを煮詰め、フグ毒の溶液を作った。ある程度溜まったら千枚通しに塗り、飼っていたハツカネズミの足に刺して即死するか試していたらしい。
十分量のフグ毒を塗った千枚通しをハンカチにくるんで持ち歩き、私たちが服を見に行った日にたまたま来店した被害者が試着室に入ると、カーテンを閉めるふりをして、私が推理したようにハンカチで口を塞ぎ、背中に千枚通しを刺したそうだ。その動作はカーテンに隠れて誰にも見られなかった。
店員はあたりの様子を伺ってから試着室内に入り、被害者の服を着てトイレに行き、着替えてから服と凶器を隠して何気ない顔をして店内に戻ったということだった。
「犯人である店員に同情すべき点はあるけれど、職を失っても万引きのことを上司に伝えるべきだった。そうすれば殺人に手を染めることもなかったろうに」と立花先生がしみじみと言った。
立花先生の話を聞いて私は少し考え込んだ。
「先生、犯人の店員は職を失いたくないという理由だけで殺人に手を染めたのでしょうか?」
「わずかな金銭を手に入れるために強盗殺人を犯す人はいつの世にもいる」と立花先生が言った。
「『太陽が黄色かった』せいで殺人を起こすこともあるし」
「カミュの『異邦人』ですか?」カミュの『異邦人』では主人公が殺人の理由を「太陽が黄色かったから」と答えた場面が有名だ。「太陽が眩しかったから」という翻訳もあるが、いずれも意訳で、原文ではただ「太陽のせいだ」としか書かれていないらしい。
「それに昔のいじめの復讐という側面もあったんじゃないかな?」
「そうですね。でも、復讐をする気があるのなら、最初に万引きを告発すればいい話です。その後何度も万引きを黙認、あるいは協力していたのはなぜでしょう?」
「最初はいじめの記憶から被害者を怖れていたのが、万引きを繰り返されるにつれて殺意が芽生え、大きくなっていったのかもしれない」
「そうかもしれませんね。それから犯人である店員さんの妹の死も気になります」
「何か気づいたことがあるのかい?」
「いえ、そういうわけではありません」
「そうか。・・・でも、一色さんの勘は鋭いから、島本刑事に話してみるよ」
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