第21話 節子さんの両親の行方

いつものようにミステリ研に行くと、兵頭部長から週末の予定を聞かれた。


「一色さん、今週の土曜日、つき合ってもらえないかな?」


「え?兵頭部長も一色さん狙いですか?」とちゃかす仲野さん。


「いや、違うよ。今回も一樹兄さん絡み、いや、正樹兄さん絡みだよ」


「正樹兄さん?」と聞き返す仲野さん。


「法医学教室の一樹兄さんの兄で、大学病院の耳鼻咽喉科にいるんだ」


「正樹さんには一度お会いしたことがありますけど、私に何のご用でしょうか?」


「君は知ってると思うけど、正樹兄さんが節子さんと秋に結婚することが決まったんだ」


「そうですか。それはおめでとうございます」


「一色さんもいずれ立花家の嫁になるからね」と、またちゃかす仲野さん。


「やめてよ、仲野さん。・・・で、今週の土曜日に何があるんですか?」と私は兵頭部長に聞いた。


「また、立花家に来てほしいそうだよ。それも泊まりがけでね」


「また、何かの謎解きの依頼でしょうか?」


「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」と意味深な発言をする兵頭部長。


「なぜか僕も呼ばれてるんで、もし都合がつくようなら僕と一樹兄さんと一緒に行ってほしいんだ」


私は両親に知られたらまた勘ぐられるな、と思って一瞬躊躇した。


「切羽詰まっているようだから、是非とも来てほしいと言ってたよ」


「どなたが切羽詰まっておられるのですか?」


「それは聞いてないし、一樹兄さんもよく知らないようだった。だから立花家の実家で何か起こったんじゃないかな?正樹兄さんの結婚にも関係するらしいよ」


私が行かないと破談・・・ということにはいくらなんでもならないだろうが、何となく気になる言われ方だ。


「わかりました。都合をつけてお邪魔することにします」と兵頭部長に答えた。


今回はあらかじめ親にも言っておかなくてはならないだろう。節子さんの結婚の手伝いを頼まれたとでも言っておこう・・・。


ということで、土曜日のお昼になるとミステリ研で兵頭部長と会い、立花先生と合流して三人で電車に乗った。


「私が呼ばれた理由を先生も知らないんですか?」と立花先生に確認する。


「そうなんだけど、また困ったことが起こったから頭のいい一色さんに助けてもらいたいと母が電話で言ってきたんだ」


「そうですか・・・」


前回は玄関の前に毎日のように四つ葉のクローバーが置かれていて気味悪がっていた。真相を一部隠して話してあげたけど、あれで喜ばれたんだろうか?


しかしあれこれ考えても仕方がないので、電車の中で立花先生と兵頭部長の関係について改めて聞くと、二人の母親が姉妹ということを教えてもらった。


「小さい頃は一樹兄さんと一緒に診察室を覗いたりして、よく看護婦さんに怒られたな」と昔を懐かしむ兵頭部長。


「崇が額帯反射鏡を頭に嵌めたがって、大変だったよ」と立花先生。額帯反射鏡とは医者が額につける、中心に穴が開いた凹面鏡のことだ。


「あれで懐中電灯みたいに暗いところを照らしてみるのが楽しかったんだ」


「そんなに好きなら医者になれば良かったのに」


「あいにく文系脳なんで、医学部なんてとても無理だったよ」


二人の会話を微笑ましく聞いているうちに電車は目的の駅に着き、立花先生の実家である「立花耳鼻咽喉科」の住居側の玄関に歩いて行った。


「ただいま。・・・一色さんと崇をつれて来たよ」と玄関から声をかける立花先生。


すぐに立花先生の母親と節子さんが出て来て、私たちを迎え入れてくれた。


「よく来ていただいたわ、一色さん」と歓迎ムード全開の母親。


「わざわざ来てもらってすみません」と節子さんも頭を下げた。


「い、いえ、・・・何事でしょうか?」


「とりあえず客間に荷物を置いて、応接間でお茶をいただきましょう」


「は、はあ・・・」前回よりも高いテンションに戸惑いながら、前に泊まらせてもらった客間に案内され、持ってきたカバンを置く。すぐに客間を出ると、別の部屋に荷物を置いて来た兵頭部長と合流し、応接間に向かった。


応接間には立花先生と母親のほかに、立花先生のお兄さんの正樹さんがいた。正樹さんは立ち上がると、


「ようこそ、一色さん。さあ、座って」と私に着席を促した。


私と兵頭部長がテーブルに着くと、すぐに節子さんが紅茶とショートケーキを出して来た。ちなみに母親と立花先生と正樹さんと兵頭部長の前にはまだ何も置かれていない。節子さんはお盆を持ったまま立っていた。


「どうぞ、お茶を召し上がって」と母親に言われてティーカップを手に取り、少しだけ紅茶をすする。その間、全員が私を凝視していたので、とても居心地が悪かった。


「あの・・・」


「はい、何でしょうか?」私の言葉に間髪入れずに返事をする母親。


「本日は何のご用でしょうか?お急ぎならすぐに話を伺いますが」


「そうですか?来ていただいたばかりで申し訳ないわね。・・・実は正樹と節子さんが秋に結婚する運びになったの」


「それはおめでとうございます」私の言葉に頭を下げる正樹さんと節子さん。


「一色さんにお願いが二つあってね、ひとつは二人の結婚披露宴に一色さんも出席していただきたいの?」


「私もですか?」


「披露宴は大々的にホテルで行おうと考えているの。仲人は正樹が勤めている耳鼻咽喉科の教授の先生で、仕事の関係者を大勢招く予定なの」


私は見たことのない豪勢なパーティーを想像した。何百人も出席するのかな?


「ただ節子さんは高校を卒業してから我が家のお手伝いさんをしてもらっているから、仕事関係のお付き合いはなく、招待できる人があまり多くないの。だから一色さんには新婦友人として出席していただきたいの」


新婦側の招待客が少ないと、格好がつかないのかな?立花先生や兵頭部長は新郎の親戚だから新婦側の招待客にはならないし・・・。


「わかりました。出席させていただきます」断れないよね、この場合。


「ありがとう、一色さん。それからもうひとつのお願いが・・・」と言って母親が節子さんの方を向いた。


「はい。・・・これを見てください」


節子さんがエプロンのポケットから何かを出し、私の前に置いた。それは葉書で、配達時に水で濡れたらしく、書かれている文字が滲んで読めなくなっていた。


「実は節子さんのご両親のことだけど、わけあって地方にいるの。住所は知っていたから結婚することを節子さんが手紙に書いて出したら、宛先不明で帰って来たの」


「・・・つまり、現住所がわからなくて連絡が取れないということですか?」


「そうなの。でも節子さんに内緒で引っ越しするわけないから、何か聞いてないか思い出してもらったら、この葉書を持ってきたの」


「見ての通りその葉書は濡れた跡があって、万年筆で書いた文字が消えてまったく読めなかったんです。その葉書が届いた時はしょうがないなと思い、内容はまた後日聞けばいいかと思ってほっておきましたが、ひょっとしたらそこに転居先の住所が書いてあったんじゃないかと思いついたんです」と節子さんが説明した。


その葉書には縦書きで何か書いてあったらしいが、各行の最初の一文字か二文字を残して完全に消えていた。筆圧が強ければ文字のところが凹んでいるはずだけど、その痕跡もなさそうだった。


改めて文面を見る。そこには以下の文字が残っていた。


節子・・・


私達・・・

志賀・・・

人と・・・

切っ・・・

内中・・・

た・・・

助・・・

て・・・

一・・・


父母・・・

  ・・・(・・・は読めない部分)


どうやら節子さんの両親からの葉書のようだ。


「ここに志賀という文字が読めますね?これは地名でしょうか?」


「私もそう思って、志賀という地名を調べてみたんです」と節子さん。


「それらしいのは、滋賀県の志賀町しがちょう、石川県の志賀町しかまち、名古屋市の志賀町しがちょうくらいでした。福岡市の志賀島しかのしまかもしれません」


志賀島しかのしまは金印が発見された半島のことですよね?さすがにそんなところには引っ越しできないと思いますが、切手の消印を見たら受け付けた郵便局名が印字されているはずですから、そこからどの県かわかるんじゃないでしょうか?」


私はそう言って葉書を裏返した。・・・消印が押されていない年賀状だった。


年賀状は年内の決まった期間に出せば消印が押されない。確か昭和三十六年からそうなったはずだ。年賀状がたくさん集まるので、郵便局員の業務を減らす目的だったと聞いたことがある。


宛名も水で滲んでいたが、こちらはここの住所と節子さんの名前がかろうじて読み取れた。差出人の住所は表面には書かれていなかった。


「年賀状だから、節子さんも重要な連絡とは思わなかったんですね」と私が言うと、節子さんが悲しそうにうなずいた。


私は改めて文面を見た。意味のありそうな言葉として読み取れるのは、「志賀」以外には「内中」だけだった。


「内中は・・・あまり特徴のない言葉ですね。地名だとしても一部でしょうから」


「『内中』のつく地名は京都市の七条御所ノ内中町しちじょうごしょのうちなかまちくらいしか見つからなくて。・・・ほかにもあるのでしょうけど、お手上げでした」


「ああっ!」とその時私の後から葉書を覗き込んでいた兵頭部長が大声を上げた。


「どうしたんですか、兵頭部長?」


「行頭の文字を右から順に読んでみると、『私達志人切内た助て一』、つまり『私達、死にきれない、助けてー』になる!これはご両親からのSOSだよ!」


「ええっ!?」と叫んでみんなが押し寄せて来た。しかしすぐに怪訝な顔になる。


「なんで暗号にする必要があるんだ?誰かに監禁でもされているのか?」と疑う立花先生。


「怖いことを言わないでください」と震える節子さん。


「部長、ミステリの読み過ぎですよ」と私はつい言ってしまった。


「一色さんに言われるとは・・・」うなだれる兵頭部長。ごめんなさい。


「節子さん、ご両親は住所不明になる前はどこに住んでおられたんですか?」


「広島県の尾道市です」


「なぜそこに?親戚かお知り合いでもいるのですか?」


「いえ。・・・母が文学好きで、多くの文人や作家とゆかりのある尾道に住んでみたいと、私が小さい頃から言っていたので、それでどうせ都落ちするなら尾道で暮らしたいと思ったのかもしれません」


尾道にゆかりのある作家と言えば、まず思いつくのが林芙美子だ。思春期に尾道で暮らし、その代表作の『放浪記』にも尾道の描写が書かれていたはず。そして・・・


「あっ!」と私は急に叫んでしまい、みんながびっくりした顔で私を見た。


「どうしたんだい、一色さん?」と聞く兵頭部長。


「尾道と関係する有名な作家に、志賀直哉がいます!この葉書に書かれている『志賀』は、志賀直哉のことを指すんじゃないでしょうか?」


「なぜ年賀状に志賀直哉のことを書くの?」


「尾道に引っ越したのと同じ理由で別の場所に引っ越したとして、そこが志賀直哉ゆかりの土地だということを書きたかったんじゃないでしょうか?」


「志賀直哉のゆかりの土地?・・・すぐに思い出すのは『さきにて』の城崎きのさきだけど」


「私は志賀直哉についてあまり詳しくありませんが、いろいろなところに転居していたような・・・」


「百科事典を持って来る。それで調べてみよう!」と正樹さんが言って、応接間を出て行った。


百科事典を持ってきた正樹さんが志賀直哉の項目を調べる。


「志賀直哉は生涯二十三回も引っ越ししたらしい。おおざっぱに言うと、石巻、東京、尾道、東京、城崎、東京、松江、京都、鎌倉、赤城山、我孫子、京都、山科、奈良、東京、熱海、東京の順に転居したようだ。これらのうちのどこだい?」と正樹さんが私に聞いた。

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