第20話 姥捨伝説変死事件

その日の夜、私は島本刑事の家で夕飯をご馳走になった。


奥さん(みちるさんの母親)は長野出身ということで、長野県の家庭料理が出された。ひたし豆という青大豆を茹でて薄味のだし汁に浸したもの、やたらという野菜や漬物を細かく刻んで混ぜ合わせたもの、おやきという野菜を小麦粉と蕎麦粉を練った皮で包んで焼いたもの、にらせんべいというにら入りのお好み焼きのようなものなどだ。かれいの姿煮も出されたが、これは長野県の郷土料理ではなさそうだ。


「長野県には海がないからな、流通が発達した今ならともかく、子どもの頃は魚なんか滅多に食べられなかった。・・・野菜を使った料理や蕎麦ばかり食べてたな」と島本刑事が遠い目をして言った。


「そうね、このかれいのような新鮮なお魚をよく食べるようになったのは、上京してからよね」と奥さん。


「でも、このお野菜もおやきもにらせんべいも、とてもおいしいです」と私は心から褒めた。


「ありがとう、一色さん」と嬉しそうな奥さん。「デザートの果物も食べてね」


そう言って奥さんは台所から切ったリンゴを持って来た。


「え?今の時期にリンゴですか?」確かリンゴは秋から冬にかけて採れたはずだけど?


「最近は保存技術が発達してね、年中食べられるようになってきたのよ」と奥さん。


話を聞くと、酸欠状態で冷蔵するCA貯蔵法という技術が最近開発されたのだそうだ。リンゴの呼吸を抑制することで、新鮮さがより長く保たれるのだという。


私はおいしいリンゴを頬張りながら、それでも旬のリンゴよりはお高いのだろうな、と考えて、心の中で感謝した。


「ところで、せっかく一色さんが来てくれたことだし、また相談に乗ってもらおうかな」と島本刑事が言った。


「またなの?父さんはもう一色さんがいないと仕事ができなくなったんじゃない?」とちゃかすみちるさん。


「そんなことはないが、助けられているのは確かだ」と島本刑事は悪びれずに言った。


「私が言うことなんてほんの参考程度ですよ」と言っておく。


「それはともかく、相談とは何でしょうか?」


「うん、昔若い頃に警視庁に出向して来て知り合った長野県警の刑事からなんだけど、山中での遭難事故についてどう思うか電話で聞かれたんだ」


「なんで長野県警の刑事がわざわざ父さんに聞いてくるの?」と尋ねるみちるさん。


「いや、・・・なんだな、・・・最近名刑事と言われるようになってな、その噂が長野県警まで伝わったらしい」と照れながら話す島本刑事。


「それって一色さんの助言のおかげで?」追求を緩めないみちるさん。


「ま、まあ・・・そうだな」


「私のおかげでなく、普段の仕事ぶりからの評価だと思いますが、・・・続きをお願いします」と私は話を促した。


「五十代の息子がある山村で七十代の母親と一緒に暮らしていたんだが、この息子が母親孝行で有名で、足が悪く頭もぼけてきた母親を毎日畑までおぶってつれて来て、畑の脇に置いていた椅子に座らせて、畑仕事をしながら母親の世話をしていたそうなんだ」


「それはなかなかできることではありませんね」


「で、ある日、母親をおぶって山に向かっている息子を見た隣人が『どこへ行くのか?』と尋ねたら、『山菜採りに行ってくる』と答えたそうだ。隣人はわざわざ母親をおぶって行くのかとあきれて、『まるで姥捨うばすてのようだな』と軽口をたたいたそうだ」


姥捨うばすてって何?」とみちるさんが聞いた。


「貧しい山村で、口減らしのために年寄りを山に捨てることだよ」と島本刑事が説明すると、みちるさんは怒りで顔を紅潮させた。


「おじいさんやおばあさんを捨てちゃうの!?なんてひどい!」憤慨するみちるさん。


「ま、待て!そういう伝説は昔からあるが、ほんとうにそういうことをやっていたという確かな証拠はないんだ!」あわてて弁解する島本刑事。


「特に長野県に姥捨うばすての風習があるように昔から言われていて、長野県民は大迷惑を被っているんだ!」


後で調べたら、信濃の国の姥捨うばすて伝説は平安時代中期に編纂された『大和物語』に既に書かれていた。長野県の民話にもあるが、どの話もだいたい年老いた親を捨てようとして後悔してつれて戻るという内容だ。島本刑事が言うように根拠のない伝承だが、十年余り前に深沢七郎が『楢山節考』という姥捨うばすてを題材にした小説を執筆し、映画化もされたために、そういう風習が近年までほんとうにあったかのように思われてしまったようだ。


「長野県には姨捨おばすてという地名があって、そこで姥捨うばすてが行われていたように言われるんだが、姨捨おばすての地名は実は近くにある長谷寺はせでらに由来するもので、姥捨うばすてとは関係ないんだぞ」と島本刑事。


長谷寺はせでらに由来?・・・どういうこと?」と聞き返すみちるさん。


長谷はせは昔は初瀬はつせと書いて、『おはつせ』と呼んでいたのが訛って『おばすて』になったんだ・・・そうだ」


おはつせ・・・おばすて?・・・似ているような、似ていないような。


長谷寺はせでらは飛鳥時代に建てられたという歴史あるお寺だから、姨捨おばすてという地名も歴史があって、そこから姥捨うばすて伝説と結びつけられてしまった・・・と思う」若干歯切れが悪い島本刑事。


長谷寺はせでらは飛鳥時代に建てられたんですか?じゃあ、法隆寺なみに歴史が古いんですね?」


「確か長谷寺はせでらが創建されたのは、法隆寺の三十年後くらいだったと思う」


「わ、わかりました。・・・そろそろ、事件の話に戻りましょう」


「うん。・・・息子が母親をおぶって山に行った数日後に、隣人は二人の姿をあれから見ていないことに気づいたんだ。家に行ったら誰もいない。畑にもいない。そこで警察に連絡して、村人も総動員して山の中を捜索したら、息子が崖の下に落ちて亡くなっているのが発見されたんだ」


「高い崖だったのですか?」


「五メートルくらいだったかな?必ず死んでしまうような高さではなかったけど、転落した時に石に頭をぶつけていたんだ。それが直接死因だったらしい」


「お母さんの方は無事でしたか?」


「母親は崖の上で横たわっていて衰弱していた。すぐに下山して病院に運んだけど、数日後に亡くなったらしい」


「そうですか。お気の毒に。・・・それで相談内容とは何でしょうか?」


「これだけ聞くと山で山菜を採っている最中に息子が転落死して、足が悪い母親がどうすることもできずに衰弱してしまったという事故のようなんだが、知り合いの刑事が不審に思ったことがあるらしい」


「と言いますと?」


「まず、息子の方だが、崖の下に仰向けで倒れていて、額が裂けて出血していた。その横に頭に当たったと思われる直径四十センチくらいの石が落ちてたんだが、石の下面、つまり地面に接していた側に血が付いていた」


「崖の下に元々あった石に頭をぶつけたなら、上側に血が付いているはずですね?死体もうつ伏せになっているはずですし。・・・考えられる状況としては、崖から転落して仰向けで倒れた息子の頭の上に石が落ちて来たということになりますか?」


「知り合いの刑事も最初はそう考えたんだ。実際、青々とした草がその石の下敷きになっていたから、石が元々その場になかったことは明らかだ。しかも崖の途中から石が崩れ落ちた跡もなかった」


「その石はどこにあったのでしょうか?」


「崖の上の母親が倒れていた場所から崖とは反対側に二メートルくらい行ったところに石と同じ大きさの凹みがあった。おそらくそこにあった石なのだろう」


「転落した衝撃で落ちるような所にはなかったということですね?」


「そうなんだ。だから知り合いの刑事は、崖のきわにいた息子の頭を、別の誰かがその石で殴ったんじゃないかと疑ったそうだ」


「事故じゃなく他殺ですか?」


「そう。足の悪い母親が石を持って立ち上がって、息子の頭を石で殴った可能性はまず考えられない。・・・でも、第三者がいた明らかな痕跡はなかったらしい」


「母親の足が悪く、ぼけていたというのは明らかな事実なんですね?」


「足が悪いのは医者にかかっていたから確かだよ。ぼけていたのも数年前からで、息子が別の隣人と一緒に荷物を自宅へ運んだ時に、母親が『なまんだぶ』と唱えながら土間を指でガリガリと引っ掻いていたのを目撃したらしい。指は爪が剥げて血だらけだったし、目の焦点も合っていなかったとその隣人が証言している」


「ぼけたから土間を引っ掻いたんでしょうか?」


「それ以外考えられないだろ?・・・ちなみに崖の上に取り残された母親は、自分が横たわっていた場所の土砂を掘っていたそうで、同じように指が血だらけだったらしい。その場所の土中には何も埋まってなかったようだけどね」


「ぼけていたとはいえ、地面を掘り返すことに固執していたのは妙ですね」


「そうだな」


「息子と母親にはほかに家族はいなかったんですか?」


「昔は父親がいたが、乱暴者で、息子や母親をしょっちゅう殴っていたらしい。しかし二十年前に家中の金をかき集めて出て行った」


「出て行った?」


「顔に青痣ができた息子が近所の人にそう言って嘆いていたそうだ。・・・しかし何日経っても帰って来ず、警察に捜索願を出したそうだが、結局見つからず、七、八年後に失踪宣告を裁判所に出してもらったということだ」


「それで戸籍上、死亡したことになったのですね?」


「そういうこと。その後息子は結婚したらしいが、町からつれて来た水商売風の派手な女で、畑仕事を手伝うことはなかったようだ」


「その妻は?」


「その妻も七年くらい前に家を出て行ったようだ」


「ええっ?離婚したんですか?」


「正式に離婚せずに家出したそうだ。父親の時と同じく、誰も出て行ったところを見ていなかったそうだが、田舎だからな、人目につかなくても不思議はない」


「じゃあ、そろそろ失踪宣告の申請をする頃ですね?」


「うん、既に申請されて審査中のようだ。生きていればまだ四十代で、すぐに死ぬような年齢ではないから、審査に半年から一年はかかる見込みだったそうだ」


「・・・でも、家族の二人が同じように失踪するっておかしくないですか?」


「俺もそう思ったが、地元では失踪した時期が離れていたせいか、それほど問題にならなかったようだ。二人とも、家出してもおかしくないような人間だったしね」


「二人に生命保険はかけられていたんですか?」


「父親にはかけてあった。失踪宣告が出た後から息子は時々夜に町に遊びに行くようになった。保険金が入って懐に余裕ができたからだろうな。そしてそこで妻と出会ったようだ。結婚できたのは、妻に金をちらつかせたためかもしれんな」


「もしかしたら、父親の保険金がなくなったので、今度は妻を行方不明にして・・・?」


「怖いことは言わないで、一色さん!」とみちるさんが文句を言った。奥さんも青ざめている。


「でも、妻の失踪宣告が出て、保険金を受け取れるまでに一年以上かかります。待てなくなって今度は母親を直接死なせようとしたのかも」


「ひ〜!」と叫んでみちるさんが両耳を塞いだ。


「でも、母親よりも先に息子が死んだんだぞ!」と言い返す島本刑事。


「死亡時の状況が不自然だからですよ。崖とは反対側にあった大きな石が息子と一緒に崖から転落した。・・・第三者がその場にいなかったとすれば、息子が石を持って来たとしか考えられません。足が悪い母親には無理ですから」


「母親を石で殴り殺してから崖から突き落とし、転落事故に見せかけようとしたのかい?そうだとしたら、息子が崖っぷちまで行く必要はないだろ?」


「石を持ち上げて殴ろうとした時にぼけていた母親が見上げてきたとしたら?さすがに良心がとがめて、背後から殴ろうと母親の後へ、・・・崖っぷちへ回ったのかもしれません。その時に足を滑らせ、崖から落ちる際に自分が持っていた石が額に落ちて来たのかも」


「・・・怖いことを考えるな。想像力が逞しすぎるよ」と文句を言う島本刑事。


「だとしたら、父親と妻も殺されている可能性があるのか?」


「ぼけた母親が『南無阿弥陀仏なまんだぶ』と唱えながら土間を掘ろうとしていたんですね?そして崖の上でも地面を掘っていた。・・・母親は息子が父親と妻を殺したところを見ていて、どこかの地面に埋めるのも見ていたのか、あるいは息子を守るために埋める手伝いさえしたのかもしれませんね。でも、良心の呵責があって、ぼけた後でお経を唱えながら二人の死体を掘り返そうとしていたのかもしれません。・・・埋めたのが土間なのか、別の場所なのかはわかりませんけど」


「・・・一応、長野県警の刑事にもそういう可能性があると言っておくか。生命保険の契約も調べておいてもらおう」


「父さんと一色さんはいつもこんな話をしているの?」とみちるさんが聞いてきた。浮気相手かもしれないという疑惑を払拭してもらえたかな?


「まあな。・・・いつもはもっと根拠のある推理を聞かせてくれるんだが、今回は他県の事件だし、俺も詳しいところは聞いてないから、怪談話っぽかったかな」


「こんな話を聞いたから、今夜はひとりで眠れないじゃない!一色さん、責任とって今夜は私と一緒に寝ましょうよ」


「そうね、それがいいわね。布団とか寝間着とか、こちらで用意するから、今夜は是非泊まっていってね」と奥さんが同意した。

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