第12話 図書館

「ここです」

 図書館は冬休みも近い時期、しかも今日はいつも以上に寒いとあって、廉人の予想通り利用者は少なかった。そして、問題の現場はより人が少ない。

「よりによってここか。いや、寺井君とすれば当時の部活のメンバーを疑うという、気の乗らないことをやっていたから当然かな」

 辺りを見渡し、廉人は決定的現場は目撃されないなと考える。

 図書館の中二階に当たるここは、勉強専用の場所とあって利用者は中高生が中心だ。しかもそれだけでなく、隣が見えないように仕切り板もある。たとえ近くに誰かがいたとしても、真横や真後ろにいない限り気にならないだろう。それに、少し年上の大学生が何か話し合っていても、無視されて終わってしまう。

「荷物はそのまま、ノートも開いた状態で残されていたとなると、不意打ちを食らったってことですよね。いくら何でも呼び出されたのならばノートは閉じます。部活のメンバーについて書いているならば尚更でしょう」

 目撃されずに卓也に近づき、そして不意打ちを食らわせることは可能だと解った。しかし、問題はここからだ。どうやって犯人は気絶させた卓也を運んだのだろうか。

「ここに来ることを、犯人は解っていたんでしょうか」

 何か手がかりはないかと、二回目となる現場に目を凝らす啓輔はふと怖さを覚えて訊いていた。もし手掛かりを探していることをばれたら、次は自分が狙われるのではないか。そんな猜疑心が出る。

「おそらくこの事件の犯人は計画的に物事を運んでいます。あの写真が新宮に送られてきたのも偶然ではない。とすると、この写真は同じタイミングで寺井君にも送られていたと考えるべきでしょう。つまり、我々の注意をOBたちから逸らすと同時に、寺井君を一人にさせることを狙っていた。そうなると、何も知らない米田君が動き出すことも計算していると思います」

 襲われる心配はないよと請け合う廉人だが、そうなると色々と厄介な気もしてくる。今、この事件が計画的に行われていることが明らかになってしまったのだ。

「廉人。じゃあ」

「ああ、全体像を掴まなければならないな」

 玲明は頭が痛くなってきた。これが総て計画されているとすれば、どこにもヒントは存在しないことになる。それこそ、暢希の死が解けないのと同じだ。それを指摘すると、大丈夫だよと廉人は笑う。

「どうしてですか」

「だって、この事件にはまだ死人が出ていない。誘拐した二人に関しても、こちら側にヒントを与えている状態だ。解けることを前提にこの問題を組み立てていると考えるべきだね。警察を介入させないように微調整をしているようだし、誘拐以上の犯行に及ぶつもりはないだろう」

「いや、十分過ぎるほど大事ですよ」

「そうだな。しかし、行方不明になっただけでは、警察沙汰にならないのは解り切っていることだ。こうやって行方不明事件が連続したことで気づいたんだ。もし犯人は警察が介入しないことを前提としているのならば、何もかも組み立ててやっているはずだとね。もちろん、二人が訴えないことも考慮しているのではないかと思ったんだ。そしてここで確信したね。犯人はあの大塚君の死に納得していない誰かだ。友人だった寺井君を巻き込んでも大丈夫だと知っているんだよ」

 そこまで言って、廉人は再びにやりと笑う。相変わらず、こいつの頭の中にだけ見えるものがあるらしいな、と玲明は苦々しくなる。

「ということは、二人は現在も無事で、どこかで生きているってことだよな。そして、この事件をどうにか明らかにしようとしている。でも、どうしてこんな手段を選んだんだ。他にもやりようがあるだろうに」

 その推理でいいのだろうか。しかし、犯人は解くことを前提にしているということに異議を挟むつもりはない。

 というのも、あの関係図の書かれたノートが残っていたためだ。もし犯人が二人を本当に消すつもりだったら、あんなノートを残すはずがない。しかも広げた状態でというこれ見よがしなことをしているのだ。気づけと言っているようなものだ。

「なるほど。誰かがこの情報を俺たちにもたらすことも解っていたと」

「だろうね。犯人は他の論文が見つかったことも知っているんだ。それでもあえてこちらに来ず、妙な事件を起こしている。そこがまだ納得できないところだけどね。しかし、ノートがこんな場所にあったのならば、いずれ誰かが解くことを理解していたはずだよ」

 そう言って廉人は窓の外へと目を向けた。今まで気づかなかったが、この席からは自分たちがいた校舎が見えるのだ。それはつまり、卓也もここから高校を見つつ考えていたことになる。

「さすがに高校から中の様子は見えないんでしょうけど、堂々とした犯行だったことは間違いないですね」

 それまで懐疑的だった啓輔も納得するしかないほど、犯人は研究室からの視線を無視できるほど堂々としていたのだ。それはばれても構わないとどこかで考えていたことの傍証にもなる。

「さて。犯人が通ったと思われるルートを辿ってみよう。ここから誰にも目撃されずに通れるとしたらあそこしかないね」

 二人が納得したのを確認し、次はあそこだと廉人は歩き出す。その先にあるのは非常口だ。

「なるほど。ここからならば誰にも見られませんね。それに」

 普段は使われない扉が開いたことを示すかのように、埃の塊が引きずられるような形となっていた。掃除は丁寧に行われているはずだが、部屋の隅には埃が溜まりやすいものだ。ここに自然と埃が溜まっていたのだろう。それを退けることなく扉を引いたために、埃も同じように動き、一部は扉に挟まれたということのようだ。

「このドアって開いても音とかしないのか」

 そう言いつつ、躊躇いなく廉人は扉を開ける。音がするならばとっくにここから誰かが出入りしたのが解ると、それは理解できるものの大胆な行動だ。

 扉は音もなく開いたが、代わりに外の寒い空気がぶあっと入り込んでくる。その寒さに玲明は思わず身体を震わせた。横にいる啓輔も首を竦めた。これでは他にばれるのではないか。

「さっと出ないと駄目みたいだな。でも、ここから階段を下りたのは間違いない」

 しかし、廉人はそのまま出ることはせず扉を閉めた。途端に二人は暖かさが戻ってほっとする。

「そこから出ないのか」

 てっきり検証するのかと思っていた玲明は、ほっとしたものの意外だった。すると階段が見難くて危ないから仕方ないと言う。

「暗いんですか」

「ああ。傍にある街灯ぐらいしか照明がない。それに非常階段は急だ。表からこの下まで回ろう」

 あまりに真っ当な発言に、そうですかと玲明も啓輔も頷くしかない。こういうところはしっかりしているのだ。横で見ていた英嗣に至っては苦笑している。

「ということは、犯人は寺井さんを担いで急な階段を降りたってことか。随分と体力のある奴だな」

 玲明は夜でなかったとしても危ないのではと首を捻る。

「そうだな。ここからしか逃走ルートがない以上、台車を使ったとも思えないし、台車を使うとすれば、中を堂々と通る必要がありますね。使えるのはあそこ、搬入用のエレベーターとなります。そこからだと確実に職員の目に留まるはずですよね、ああ、でも段ボール箱に寺井さんを詰めれば出来るんじゃないですか」

 つらつらと考えを述べる廉人を、啓輔は異星人でも見るような目で見ていた。それに気づいた英嗣は苦笑する。集中すると考えが声に出てしまうのだ

「九条君。声」

「あっ、すみません。でもそうなると、初めから段ボール箱を持ってくる必要がありますね。どうでしょう」

 英嗣が注意すると、廉人は謝ったもののそのまま検証を続けようとする。本当に困ったものだ。しかし、彼の探偵としての才能は教師たちも認めるものなので、邪魔するわけにもいかない。

「つまり非常口にあった開けた痕跡はトラップということかな。まあいい。外に出て確認する前に職員の人に話を聞こう」

 可能性があるならば検証する。一階に下りるとカウンターへと向かった。そこには初老の男性がいる。彼はここに長年勤めるベテラン司書だ。信頼できる情報が得らえると英嗣は請け合った。

「やあ」

「これは大谷先生。調べ物ですか」

 司書は英嗣が声を掛けると笑顔になった。彼の名前は田中章一といい、英嗣とはよく無駄話にも応じるほどの仲だと言う。

「まさか図書館にまで知り合いを作っているとは。うちの先生がお世話になってます」

「いえいえ。九条君のことは常々伺っています。本でお困りのことがありましたら声を掛けてください。ここにある本でしたら、すぐに見つける自信がありますから」

 それになかった場合は優遇して取り寄せると言ってくれる。なるほど、あちこちに人脈を作っておくのは何かと便利だ。廉人は自分だけではなかったかと英嗣の抜け目のなさに感心する。

「今日来たのは本の相談ではないんだ。昼間、この人が来ただろ。大学生の一人が荷物を置いたままどこかに行ってしまったとの連絡を受けてさ」

 英嗣はそんな廉人の視線は無視し、ちゃっちゃと本題に入った。英嗣に指差された啓輔は、所在なさげな顔でどうもと頭を下げる。

「ああ。わざわざ荷物を取りに来てくれた人ですね。その後、その方は見つかりましたか。別に利用客も少なかったからあのままでもよかったんですけどね。一応は規則。一時間以上の荷物の放置は厳禁ですからね。メモがあったから助かりましたが、困った友達ですね」

「はあ、すみません」

 田中は優しく笑うだけだが、呼び出された啓輔は何とも言えない気持ちになる。

しかし、今の田中の証言で、啓輔が連絡を受けた段階ですでに一時間以上は経過していたということになる。これはますます目撃情報がなさそうだ。その落胆が顔に出てしまい、田中はどうしたんですかと心配そうに英嗣に訊く。

「それがね。その彼、寺井君っていうんだけど、昼間から行方不明なんだ。で、手掛かりがないかと探している最中なんだよ。彼の周辺で少し問題があってね、それに巻き込まれていないかと心配なんだ」

 恐ろしいまでに抽象的な表現で現状を説明したものだ。それで相手が納得するのかと玲明でも心配になる。が、田中は心得たものなのか深く追及せずに頷いただけだった。

「なるほど。それで何かないかと。でも、変わったことは何もなかったと思いますよ」

 そんなことがあればすぐに警備員が気づくだろうと、詳しい事情を知らないままに答える田中はそれしか答えようがない。

「あの、今日って大きな荷物の搬入はありましたか」

「いえ」

 あっさりと否定され、台車での可能性は消えた。となると残りは非常口だ。これに関してはどう問うのが正解だろう。

「空調に関して問い合わせはなかったですか。例えば寒くなったとか」

 悩む廉人の横から英嗣がそう質問した。扉が開いた時に寒風が吹きこんだことから思いついたのだ。

「え、ええ。ありましたね。昼前くらいだったかな。急に図書館の温度が下がった気がすると、他の司書が気づいたんです。一階から二階に上がったところ、二階が寒いようだと」

 思わぬ有力情報に三人はやったと頷く。冷え込んだということはかなりの時間空けていたのだろう。丁度その頃周囲に人がいなかったのか、犯人は大胆に動いていたようだ。

「やはり非常口が怪しいな。ありがとう。また何か訊くかもしれないけど」

 英嗣が詳しく言わないままにそれだけ言うと、田中は頷くだけで余計な詮索はしてこなかった。それだけの事情があるとすでに察してくれているのだ。

「いつでもどうぞ。日曜日以外はこの時間までいますから」

 さらにそう言って笑顔で対応してくれる。こういう大人は凄いなと素直に感心しつつ、廉人たちはそのまま図書館を出た。

 外はすでに真っ暗で、これは廉人でなくても非常階段を降りたいとは思わないほどだった。十二月にしては寒い風は強く、さっさと検証して中に戻りたい気持ちになる。

「高校が見えたから、非常階段はこっちだな」

 一方、廉人はこの寒さを何とも思っていないのか、方向を確認してさっさと歩き出した。寒さに身を縮こまらせていた三人は、慌てて追い掛けることになる。外はより人がおらず、しかも図書館の横を歩く好き者は廉人たちしかいなかった。さらに図書館の横は木々が植えられており、より見通しが利かず人気はない。

「確かに街灯しかないですね。非常時に困らないんでしょうか」

 降り積もった落ち葉を蹴飛ばしつつ、玲明はそんなことを思ってしまった。これ、火事なんかで逃げる場合には非常に困る気がする。が、逆に今回の犯人は何の痕跡も気にせずに逃げられたことだろう。誰かを担いでいても見咎められることもない。

「どうやって運んだかが問題になりそうですね」

 廉人は改めて階段を見て、あまりに急だなと困惑していた。落ちれば卓也だけでなく犯人も無事では済まないだろう。そんな危険を冒すだろうか。

「起きるまでそこに置いておいた、とか」

 そこに啓輔が閃いたとそう言った。自分も参加しなければ、寒空の下、テンションが下がってしまいそうだったからだ。しかし、廉人がその可能性もありますねと取り合うので驚く。

「ありますか」

「これだけ寒ければ、どういう方法で気絶させたかにもよりますけど、すぐに目を覚ましてくれそうです。ここならば人目を気にせずに説得も可能。まあ、その方法が可能なのは、先ほど述べた推理のように、相手が大塚君の死に疑問を抱いていて犯行していることが前提になりますけど」

 廉人は説得が可能ならば起きても付いてくるだろうと推測したのだ。それは相手が顔見知りであり、そして暢希の死に疑問があって当然の人物となる。

「まさか」

「まだ決まったわけじゃないですよ。犯人は大塚さんを尊敬していた。それは解っていますが、どうして正面から寺井さんの協力を求めなかったのか。ここに疑問が残ります。これほど目立つ図書館での誘拐なんてせずに、本人について来てくれと頼めなかったのは不自然です」

「あっ、そうか」

 廉人の言葉に、啓輔は確かにと頷いた。もしも暢希の自殺に疑問を持っているだけならば、こんな誘拐劇を演じる必要はないのだ。

「まだ何かパーツが足りないようですね」

 誘拐のように装わなければならなかった理由は何か。どうして先に理那を誘拐し、卓也の警戒心を煽ったのか。謎はまだまだ残っているのだった。

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