第5話 難問

 よく取材を申し込んでくる新聞記者、落合聖太おちあいせいたにメールを送り、廉人は一先ず自分たちで調べられるところから始めることにした。授業の合間にやるのでどこまで調べられるかは不明だが、四人で手分けしてやるのだから何か見つかることだろう。

「さて」

 数学の論文はさすがに理解できない点があるかもしれないので、それは英嗣と玲明に任せることにした。しかし最初の話題になっている論文には目を通しておくべきだろう。何と言っても総ての問題に関係するものだ。

「理解できなければ、新宮か大谷先生に質問すればいいしな」

 ちょっと傷つけてしまったことだし、質問して尊敬する点を見つけなければと余計なことも考えてしまう。そういう気遣いは往々にして失敗するのだが、自分はちゃんと出来るだろうか。

「よし」

 しかし、気持ちを切り替えると、昨日ダウンロードしておいた論文をプリントアウトする。それからさっそく検証を始めようと気合いを入れたが、数学の論文はただでさえ専門用語が多く、普段純平に指導してもらっている物理学とも用語が違う。途端に躓くことになった。

「ああ、群論がメインなのか。苦手なんだよな。しかも数学独特の書き方をしているから読み難い。何かと抽象化されている感じだな。おそらくゲージ群と、それに球面調和関数か」

 物理学と数学では同じ定義を語っているのに、全く違う表現を使うのだ。それに式へのアプローチも異なったりする。なかなかの難敵だというのに、苦手な分野が加わるとなると、より一層難解でしかない。

「ゲージ対称性ってこんなのだっけ」

 自分の認識に自信がない。数学の知識不足であることは解っている。おかげで理解が追い付かない。論文だけでもかなりの時間を費やしそうだ。廉人は取り敢えずと、手近にあった数学辞典を手に取った。

 久々に基本からの確認だ。すると数学辞典にはその記載がない。仕方なく群論について引くと、群の理論に関する数学の一分野を研究することと素っ気ない。それが抽象代数学であることも掛かれているが、だから何だとなってしまった。

「面倒だな。単なる数学の問題というわけでもないんだった。物理学の概念を無理やり数学用語に翻訳したかのようだ。これはどうしたものか」

 ただでさえ抽象的な概念の羅列だというのに、それが数学と物理学の両面にわたっているとなると難しさがさらに増す。数理物理学者として問題なのだが、人には得手不得手があるのだから仕方がない。廉人は昔から群論に手を焼いているのだ。だからこそ、その克服も兼ねて今の研究テーマを選んだようなところもある。

 と、そこまで考えてあの論文の不自然さに思い至る。やはりこの論文そのものも物理学に密接しているのだ。触れていないのは奇妙でしかない。言葉としてゲージ群を選んでいるところからしても、厳密に数学の論文にするつもりはなかったはずだ。どうしてこう奇妙な論文になったのだろう。

「しかしまあ、つくづく数学に進まなくて良かったと思うよ」

 こういう抽象概念を捉えられないのは、数学者として致命的だ。それは訓練で何とかなるものではない。数学者の中には三次元以上の高次元を、あたかも目の前にあるかのように想像できる者もいるという。それは誰も見たことがない空間のはずだというのにだ。

「さて。そういうことが出来ない俺がやるべきことは」

 当然、事件の本質を追い求めることだ。数学への深い理解は諦めて、どうして奇妙な論文が出来上がったのか。この点に絞って思考し始めるのだった。






「ポアンカレ予想。また唐突にどうした?」

 暢希の急な発言に、卓也は忙しい奴だなと苦笑した。こいつ、絶対に寝る気がない。それに証明から随分と時間が経つのは事実だが、それが羨ましいとの感覚が解らないところだ。

 ポアンカレ予想。その言葉が有名な理由はミレニアム問題に選ばれたということが大きいだろう。数学世界での未解決問題に賞金百万ドルを掛けたこの問題は、アメリカのクレイ研究所が二〇〇〇年に発表したものだ。そしてこの難問の中で最も有名なのがポアンカレ予想とリーマン予想だ。

 ポアンカレ予想は簡単に言うと三次元の多様体に関するものだ。連続して変形する場合の問題と考えるべきか。概念を理解するだけでも幾何学の知識が必要とされ、それを解くのは至難の業だった。しかも三次元と特定されているように、実は高次元でのポアンカレ予想はすでに解かれていたのだ。どういうわけか、三次元の場合だけ証明されていなかったものである。

 そしてリーマン予想。こちらはゼータ関数というものに関する問題だ。ゼータ関数が零点の他はすべての実部が二分の一にある。これを証明せよという問題である。このゼータ関数、複素数というものに関係するのだが、これが近年では物理学と密接に関連しているとして注目されていた。

 そして暢希の上げたポアンカレ予想は、二〇〇二年にロシアのペレルマンが証明したと発表したことで大きな話題になった。それはペレルマンの発表がウェブで行われたこと。さらにはペレルマンの人となりが少々奇抜だったことにある。

 それはともかく、ポアンカレ予想の三次元での問題は解かれたとして、二〇一〇年にクレイ研究所はペレルマンに百万ドルを払うと決定している。

「どうした。やはり素直にミレニアム問題への道筋を考える気になったのか」

 純粋にそう卓也は訊いていた。すると、まあそうだなと曖昧な答えがある。どうやらその言葉の意図は別にあるらしい。

「あっ。ひょっとして本当の狙いはリーマン予想か。あれは今、量子力学と関係があると話題になっているもんな。しかもお前が取り組んでいるのは量子色力学。繋がりがある。そこで一つだけ証明されたものが気になって仕方がないわけだ。いくら得るものが少ないと思っていても、お前もいずれ自然科学へと応用されることを望んでいるから、それに興味がある」

 卓也が意気込んで言うと、まあそれもあると曖昧な答えがまた返ってきた。どうにも掴みどころがない。

「どちらも興味は同じくらいにあるんだ。それと同時に、数学と物理学の切っても切れない縁を感じずにはいられない。俺としては明確な差を求めているのに、それを否定し切れない事実ばかりに目が行く。考えれば考えるほど、この間にある物が何か知りたくなる。どうにも変なんだよ」

 暢希は言いたいこと、大きく溜め息を吐いた。何もかもが繋がっているのではないか。暢希はそう考えていた。

 今は単なる数学の中の証明も、いずれは物理学へと応用されていく。そうなった時、数学という学問の捉え方を変えていかなければならないのではないか。そんな気さえしてくるものだ。暢希はどこまでも学問の差とは何かを突き詰めていたのだろう。

「考え過ぎだろ。証明に際してペレルマンが熱量やエントロピーを用いていたが、それは実際の物理現象に照らしてのことではない。それは解っているだろ」

 全部が物理学に飲み込まれるなんて御免だと、卓也は肩を竦めていた。現実、数学が自然科学を記述する手段として適していることは解っている。しかしそれは単純化するには数学が最も有効な手段だったというだけだ。

「お、なに朝から難しい議論に耽っているんだ」

 そこに寝ぐせだらけの頭のまま岡崎雄大がやって来た。彼もまた、朝から静かな空間を求めて部室にやって来た一人だ。数学部はこうやって、朝練なんてないはずなのに、朝から集まっていることが多い。

「別に議論ってほどじゃないですよ。ただ数学と物理の関係はどうなっていくか。それを考えるのも面白いというだけです」

 暢希は卓也を相手する時よりもややトーンの落とした、一般論を論じていたかのように言った。それに卓也は嘘つけと思いつつも、面倒なことを避けたいのだと思って口出しはしなかった。

「そうだよな。今の物理学って物凄く難しい数式を普通に使っているもんな。いつか融合するんじゃないかと思うこともある。でも、数学にしか解けない数学独特の問題があることも事実だし、まあ、現状維持がいいところだろうね」

 それまでの議論を聞かれていたのかと思うほどの意見を雄大はさらっと述べる。暢希がやや顔を強張らせていたが、雄大はそれよりもこれだよと自分の研究ノートを取り出して頭を抱えていた。

「たまたまか」

「みたいだな。まあ、一般相対性理論が確立して以降、数学者ならば考えることってところか」

 暢希と一緒に卓也もほっと息を吐き出していた。

 それにしても近くて遠い学問だなと卓也は思う。どこもかしこも物理学と被りながらもどこか違う。理論における厳密さだけではない、その数式の持つ意味合いも違うように思う。だから、何もかもが物理学のためになると考えて数学に取り組むのは、それは数学者ではなく物理学者だ。

「ひょっとして」

 自分の席に着いてまたゲージ群について考え始めた暢希を見て、卓也は思った。

ひょっとしたら彼はこのまま物理学へと転向するつもりなのではないか。数学に限界を感じたとか、そういう理由ではなく、ただ興味が物理に移っているのではないか。だからこそ厳密な差を求めている。

「でもな」

 自分より格段上のことが出来る奴だ。そんな奴がと、疑問に思う。

何にせよ、この頃の暢希は様々なことに興味があったのは間違いない。それがどう作用していたのか。それは暢希しか知らないことだった。




 同じように話題となった論文と格闘する玲明だが、こちらは違う悩みを持っていた。果たして暢希は何を証明したかったのか。

 もちろん論文としてちゃんと完成している。しかし何かが引っ掛かるのだ。これを解明できれば、暢希が当時考えていたことが解るのではないか。そう思うも上手く説明できない。しかし違和感が拭いきれない。英嗣の補助が間違っているわけではないから、どう考えても暢希の考えそのものに奇妙さがあるはずなのに、それを言葉にする術がない。

「ううん。計算は合っている。理論としても完成している。しかし何かが足りないんだよな。これってどう考えてもあの問題を取り扱ったものだというのに」

 何だか気持ち悪い感覚だけが残る。本人の評価とこの論文は何か一致しない。

「誰かが加工した。まさかね」

 そして殺されただなんて、そんな三文オペラのような展開があるだろうか。

しかし、それがこの欠落しているような感覚に合致すると思える。死んだのは発表した直後だ。

つまり本人は安心しきっていたところに、この奇妙さのある論文が出たとすれば。どうして加工したんだと反発し、その返り討ちにあったとか。

いや、それならば綺麗な死体とはならないだろう。警察も自殺と断定しようがない。あれがもし他殺ならば、無抵抗のところを襲われたのではないか。

「ううん。行き詰るなあ。やっぱり九条のようにはいかないか」

 論文が加工されたのは暢希が死んだ後なのだろうか。テーマと内容の乖離。言ってしまえばそんな感じなのだ。何もかもが正しいというのに、決定的なものが異なる。しかしまだそれは違和感としか掴み取れない。そう、改竄したのならば、それはあまりに巧妙だ。それこそ高校生の手に余る。

 冬の夕暮れは早く、先ほど昼の休憩をしたばかりだと思っていたのにすでに辺りは暗くなろうとしている。外に目を向けていると、カラスが飛んでいくのが目に入った。

「そんなに集中していたかな」

 玲明は伸びをすると部室の中に目をやった。いつの間にか横の席の恭兵はいなくなっている。カバンもないことから、すでに帰宅してしまったかどこかに出掛けたか。

「カバンか」

 そう言えば、いなくなった理那はカバンを残していたという。たしかに不自然なことだ。女性ならば尚の事、必要なものはカバンに入っていることだろう。あまり女性が財布をポケットに入れているところは見かけない。

「行方不明も気になるけどな。でも、あれから何も言ってこないところを見ると、事態は進展なしってところか」

 手掛かりのない誘拐とでも言えばいいのか。どうやら自分の意志で消えたのではないと確定していても、その先の決定打は何もない状況だ。

「こっちも似たようなもんか。違和感の正体を知るには当時を知る人間が必要だ。いくら先輩たちとはいえ、細かな人間関係まで伝わってくることはないし」

 疲れたなと、玲明は机に頬杖を突いた。他の部員は自らの研究に没頭していて、机から顔を上げることさえない。英嗣も何かを計算している最中なのか、ペンが絶え間なく動いていた。

 思えば同じ空間にいるからといって人間関係をちゃんと把握しているとは限らない。例えば自分の対角線上にいる部員。田辺清磨についてはどうか。彼の研究テーマは知っている。あのポアンカレ予想で有名になったトポロジーについてだ。しかし、人となりについてどうかと問われると困る。

 それはおそらく田辺から見ても同じで、玲明は同じ部員であるもののよく解らない人物となるだろう。よもや友人から数学者のイメージが崩壊すると評されているとは知るまい。

「数学者のイメージねえ」

 玲明はそんなに自分って外れているのかと悩み始める。

 そもそも数学者のイメージは世間一般によくないと思う。浮世離れしている。何を言っているか理解できない。社会の役に立たないものを研究しているなどなど。ほぼ悪口に近い。しかも的外れとは言えないところが悲しいところだ。数学単体を考えた時、何かの役に立つという考え方そのものが適応しない。

 しかし、廉人が考える数学者はこの世間一般の定義から外れているはずだ。というより、あの男も十分変人として名を馳せているから、この辺りの悪口は同じように言われているはずだ。

「厳密性か」

 数学者に求められるものとして、真っ先に思いつくのはこれだ。使える使えないという判断基準を数学者は持っていない。ただひたすら正しくエレガントな解を求めているだけだ。そこに一分の理論的隙があってはならない。

 玲明だって数学者を目指す以上、自分の研究においては厳密性を追い求め、一つの隙も無いように気を張っている。しかし、私生活までそんな堅苦しいことはやっていられないという立場だ。それでは息が詰まってしまう。

 もちろん中には生活においても数学のような厳密さを求める者もいるだろうし、教授になるような人たちは、たぶん私生活も完璧なはずだ。おかげで世間からはかなりずれた人間が出来上がることになるが、本人はそれで納得しているというパターンだ。

 身近な存在の英嗣はどうだろうか。基本的にきっちりしているタイプかもしれない。会議においても曖昧な意見を許さないというのは、生徒の間でも有名な話だ。そう考えると、英嗣は廉人のイメージ通りの数学者ということか。

「では、この論文はどうか」

 問いをそのまま暢希の論文に応用してみるとどうだろうか。理論も計算も厳密性のあるものだ。しかし解と問いが一致していないような奇妙な感覚に襲われる。やはり誰かが手を加えたのだ。

「一体、何があったんだ」

 何やらとんでもないものを見つけてしまった。玲明はそんな薄ら寒さを感じていた。




 高校へとやって来た伸行は、手の空いていた卓也と雄大を引き連れて敷地内の捜索を行っていた。それこそ普段は気にしないような植え込みの隙間や、校舎と校舎の間、さらにはゴミ箱まで綺麗に捜索した。

「見つかったか」

「ダメですね。どれが藤川さんの物か解らないですから」

 あのペンのように総ての物に名前が書かれているわけではない。さらに捜索に加わっているのが男ばかりというのも問題だ。どうにも女性の物が落ちていたからといって、おいそれと触れない。もし付近に持ち主がいたら一大事だ。

「これが猫を探しているとかだったらよかったんですが」

 そう雄大は申し訳なさそうに頭を掻く。たしかに猫の捜索ならば打って付けの場所ばかりだ。

「いや。俺も簡単に手掛かりが見つかるものだと思っていたからな」

 伸行はあのマンションの植木の中のように簡単に見つかると踏んでいた。しかし、犯人もそこまで馬鹿ではないらしい。途端にヒントが消えてしまった。

「こうなったら、藤川さんには悪いですけどカバンの中を探ってみるべきじゃないですか。他に手掛かりもないし」

 一応は覗いてみたものの、詳しく調べるのは本人のプライバシーに関わるとして見送られていた。しかし、丸一日見つからない現状を考えて探ってみるべきではと卓也は提案する。

「そうだな。藤川さんが日頃どういうものを使っているか。それが解るかもしれないし」

 あまり乗り気ではないものの、このまま無暗に探しても証拠が見つからないだろう。せめてこういう傾向の物を使っていると解れば、判断基準が出来る。そうすれば見落としている手掛かりが見つかるかもしれない。

「では、戻ろうか」

 その前にハイヒールの見つかった正門から駐車場へと行く道を見ておきたい。そう伸行が提案するので、二人は仕方ないという感じで頷いた。

「悪いな」

「いえ。出来ればそこに解りやすい手掛かりがあるといいですね」

 雄大は先輩の伸行が頑張っているのに付き合わないわけがないと笑った。そうなると卓也も渋々という感じは引っ込めるしかない。

「早く見つかってもらうに越したことはないですよ」

 そう付け足し、全くいい人なんだからと溜め息を吐くしかなかった。

「では行くか」

 そうと決まれば早くしないと日が暮れてしまう。まだ冬至前とあって日が傾くのは早かった。

「そうですね。暗くなると厄介です」

 雄大の一言で、三人はすぐに正門へと向かった。丁度良く、今いる場所から正門はすぐだ。知らずに早足になるが、ものの数分で正門へと到着した。

正門はまだ生徒たちの往来が多く、そして誰も何かが落ちていると視線を向ける者はいない。それどころか、寒さと夕刻が迫ることが重なり、誰もが足早に歩いて行く。

「ここにも落ちてなさそうですね」

 毎日のように多くの生徒や職員が通る場所だ。ハイヒールは高校にとって異質だからすぐに見つかったのである。そう考えると、学校全体にはもう何もないとするのが妥当だ。

「そうだな。一先ず駐車場に向かうぞ」

 そのまま三人は往来を横切りながら駐車場に向かう。誰もが足早に進むだけに、時折ぶつかりそうになるが、何とか正門の賑わいを抜けた。すると途端に静かな空間へと抜ける。そこは職員や来客が使うための駐車場とあり、生徒が入って来ないせいだ。

「ふう」

 思わず溜め息を吐いてから、伸行はまばらに止まる車を眺める。もちろんその中には自分の車もあった。しかしそれが解るくらいで、他の車が誰のものか知らない。どれが来客用なのか、先生のものなのか。そう言えば見分ける方法がないことに今更気づく。

「人気がないとより寒く感じますね」

 卓也はコートの前を合わせながら首を竦める。今年の寒さは身に染みるほどだ。そこに誰もいない駐車場となると、一気に冬の寒さが身体全体を襲う。

「そうだな。手早く探して帰ろう」

 長居する場所でもないしと、伸行は右回りに卓也と雄大は左回りに駐車場を見て回ることにした。車の下や後ろにある植え込みなどを覗きながら、何か変わったものはないかと探していく。

「ん?」

 見つけたのは卓也だ。これって何だろうと、車の下にある物を拾い上げる。するとまたペンだった。しかしこちらはボディーが黒色。しかも名前は――

「暢希」

「えっ」

 横で同じように車の下を見ていた雄大は何事だと訊き返す。

「これ、暢希のものらしいです。ほら、ローマ字でOTUKANOBUKIって」

 そんな雄大に、卓也は興奮を押さえずにそう叫ぶように言った。するとすでに近くまで来ていた伸行もどうしたと駆け寄って来る。

「本当だ。それにしてもこれ、高校で配った物かな」

「そうじゃないですか。でも、俺は貰った覚えはないですけど」

 自分は持っていないなと、卓也は首を捻る。二人はそれほど親密であったわけではないから、お揃いのペンを買う理由はない。するとどこかから貰ったものと考えるのが妥当だろう。しかし、名前が書かれているだけで、誰が送ったのか、その手掛かりになるようなものはなかった。企業名が印字されているということもない。

「あっ、ひょっとしてあれかな。数学の何かの大会で貰ったやつかも。俺は出てなかったけど、数人が選抜で出たんだよ」

 伸行は思い出したとペンを取り上げて言った。ただのペンだと思っていたが見覚えがあった。自分は行っていないので持っていないが、大学で知り合った奴がいいだろうと見せてくれたのを覚えている。

「へえ。そういう洒落たことをする大会があるんですね。羨ましい」

 雄大は貰ったことないなと、暢希の名前の書かれたペンをしげしげと眺めた。一本当たり千円はするだろうか。それにわざわざ参加者の名前を書いて配ったとなると、相当な手間と金額が掛かっているに違いない。

「ということは、それよりこれも藤川さんがいなくなったヒントってことですかね」

 卓也は伸行の手にあるペンを指差して訊く。同じものがここにあるのだ。意味を見出さない方が不自然となる。

「そうだな。だが、同じ大会で配られたペンか。まさかと思うけど、この事件が大塚君と絡んでいることを示そうとしているのかな」

 そう自信なさげに伸行は言ったが、他に考えられないと三人とも心の中で思っていた。

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