十話 気遣い
「――はぁ、はぁ……」
十体ほどのモンスターの集まりを広い空間まで誘導し、思い切って目を瞑って戦った結果、とてもじゃないが戦うどころじゃなかった。
こっちの攻撃はあまり当たらず、向こうの攻撃だけがガンガン当たる始末。
敵の数は大量ってほどでもないものの、この無残な結果はそりゃ当然っちゃ当然か。俺は以前よりは上達したといっても、別に剣の達人でもなんでもないしな……。
いくら【迷宮】スキルの恩恵を受けてダンジョン内でダメージを軽減できても、完全な闇の中でモンスター群を前にしてまともに戦えるはずもなく、ボコられている途中で慌てて目を開けて対応せざるを得なかった。
それでも、全然ダメだったからといってすんなり諦めるわけにもいかない。ただ、やり方は柔軟に変えていく必要があるってことで、俺は目を瞑りながらも一匹ずつ対処する方針にした。
というわけで、俺は採取した薬草を水魔法で洗ってそれで応急手当しつつ、モンスターを探しにいくことに
「うっ……」
受けた傷自体はそこまで大したことはないとはいえ、やっぱり傷口が多いと滅茶苦茶沁みるな……。
「――ふぅっ、ふうぅ……」
イレイドとの対決まで、残り二日。
最初は一匹、倒せたら二匹、次は三匹と、一度に相手にするモンスターの数を徐々に増やしていくうち、俺は目を開けて戦うよりも格段に疲れたものの、徐々に暗闇の中で複数のモンスター相手に戦うことに慣れ始めていた。今のところ、最高で五匹までだが。
まだ目の前に壁を感じるので躊躇なく踏み出せない等、それなりに恐怖感は残ってるが、この調子ならなんとかいけそうだ。
俺は確かな手応えを掴みつつあった。暗闇の中で戦うことに慣れると、どんな些細なことでも敏感に反応できるようになるし、目を瞑ったまま歩けるようにもなる。
爪先で感じる岩肌の僅かな凹凸、複数の水滴が作り出す一定のリズム、カビや植物や血の匂い、服と壁が擦れ合う感覚、冷たく湿った空気の流れ、宙を羽ばたく音……そうしたものまで感じ取れるようになったことで、普通に戦うよりも体の反応は相当に磨かれてきたんだ。
これなら、近いうちに【何か】を発見できてもおかしくない。
いや、むしろその域まで到達しないとイレイドには勝てないだろう。いくら体や感覚を鍛え上げたところで、天性の才能には及ばない。
心身を磨き上げた末に、さらにスキルに匹敵するような技を覚えなければ、小程度でも【剣術】スキルに打ち勝つのは不可能だ。それは父さんと戦ったことで嫌というほど痛感した。
「「「「「……」」」」」
その日の夕食、俺がボロボロの恰好で食事する姿を見ても、もう家族全員何も言わなかった。
最初の頃はどうしたのかと指摘されたし心配もされたが、俺はそのたびに階段から転落したんだとか、寝返りを打ってベッドから落下したとか、それらしい理由をつけてごまかしていた。
まあこうして誰も何も言わなくなった時点で、もうみんな俺が裏で何か秘密の訓練をしてるんだと察して、気を使って触れなくなったんだとは思うが。
「――いたたたたっ……」
イレイドとの決闘まで、ラスト一日を迎えた朝。どこに力を入れても痛むくらいで、体中が筋肉痛で立ち上がるのも苦痛だったが、不思議と悲愴感はまったくなかった。むしろ、順調に訓練できているのもあって充実感すらあったほどだ。
あともう少しで、俺は答えを掴むような気がしていた。目睫のところにあるのに手が届かない、そんなもどかしい感じだ。
ん、微かにだが馬車の音がする。間違いない。俺はあれから、感覚をこれでもかと鍛え上げてきたことで、遠くの人の話し声すらも耳を澄ませばわかるようになった。
馬車の音はやがてはっきりと聞こえてくるようになり、うちの屋敷の前で停まるのがわかった。おそらく、これはリリアンのものだ。
そんなことまでわかるようになったのかと感動しつつ、俺は玄関まで向かう。もちろん、その際には目を瞑っていても平気で歩けるし、誰かが前にいても気配でわかって躱せるようになった。入るたびに構造が変わるダンジョンと比べると容易だと思えるくらいだ。
「――あら。お久しぶり、ルーフ」
「あぁ、リリアンか、久しぶりだな」
「「……」」
折角久々に会えたっていうのに、お互いに沈黙がしばらく続いてしまう。リリアンを賭けてイレイドと決闘することもあって凄く気まずいんだ。多分というか当然、そのことは彼女の耳にも入ってるだろうし。
「――それで、何か用事があるんだろう?」
なんとか声を絞り出すと、彼女はこくりとうなずいた。
「……えっと……あのね。どうして受けちゃったのかは知らないけど、貴族同士の約束って絶対だから、気をつけてね」
「……あぁ、わかってる」
それについては聞いたことがある。貴族同士の約束は命よりも重いと。それが決闘となれば尚更で、周りに見られている状況では、最早逃げも隠れもできないのだと。もし約束を破ったことが知れ渡れば、この先死んだほうがマシだと思えるほどの恥辱を味わうだろうとも。
「イレイドがもし勝っても、あたしがあの男と一緒になるなんてことは絶対にないけれど……でも、それがきっかけであんたがあたしに近寄らなくなるのは嫌。そんなの望んでないから……」
「リリアン……」
「ルーフ、勘違いしないで。あたしはただ、今までと同じように、あんたと友人のように接したいだけ。だから……絶対にあんなやつに負けないでよね! 近づくだけでも嫌なのに、自分がイレイドのものになるなんて考えるだけで身の毛がよだつし、想像すらもしたくないのよ」
「ああ、わかった」
そうだった。俺だけじゃなくてリリアンもイレイドのことが大嫌いだったな。てか、あいつのことを好きなやつなんて身近にいる人間の中では聞いたことがない。まあイケメンな上に強いから、貴族に憧れる女子には普通にモテそうではあるが。
「それとね……あたしも例の学園から誘われちゃった」
「それって、イレイドと同じところか。確か……アリエス学園だったな。それじゃ、スキルを受け取ってスカウトされたのか」
「うん。あたしの誕生日の翌日にね。【回復術・中】っていうスキルだった」
「おお、それじゃ大当たりじゃないか。おめでとう」
【回復術】のスキルは傷や体力を回復させるもので、小程度だと浅い傷や疲労を治す程度だが、中程度だと筋肉系や神経系の損傷まで一日で治療でき、【回復術・大】までいくと大して時間が経っていなければ切断された腕や失明さえも元通りにできるっていうから、人々に重宝されているというのもよくわかる。
「あ、ありがと! でも、素直に喜べないわね……」
「なんでだよ? 中程度じゃ不満か? それか、ユニークスキルを貰った俺に対する当てつけか?」
「はあ? ほんっと、ルーフって乙女心がわかってない極悪人ね。それじゃ、失礼するわ」
「お、おい……」
リリアンは呆れたように首を横に振ると、身を翻して颯爽と立ち去っていった。
「あ……」
そうだ。何か忘れてると思ったら、彼女から借りっぱなしのハンカチを返し忘れてた。まあいいか。また会ったときに返せば……って、あれ? 手元からハンカチが滑り落ちてしまった。
「…………」
そういや、ハンカチが滑り落ちることは何か良くないことが起きる前触れともいわれてるんだっけか。ただ、その一方で幸福が舞い落ちてくる前兆ともいわれてるし、どっちが正しいのやら。
ただ、どっちにしてもこんなのただの迷信だと思うし、信じるに値しない。俺は必ず自分の力でイレイドに打ち勝ってやるんだ。
「――ん……?」
あの男の憎たらしい顔を思い浮かべながら両手の拳に力を入れたとき、疼いていたはずの上腕部分に痛みを全然感じないことに気づいた。
もしかして、リリアンが【回復術・中】スキルで治してくれたのか。試しに体を軽く動かしてみたら、どこにも痛みがなかった。俺はその威力に呆然としながら、遠ざかる馬車の音に耳を傾ける。あいつって、ああ見えてやっぱり気が利くんだよな……。
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