五話 シャープペンシルとローブ

 不思議な夢を見た。遥か過去の、大したことでもないのに忘れられない記憶が甦る。


「███くん、これあげる!」


 俺はクラスの女の子からシャーペンを貰った。いつ頃の出来事なのか、その女の子が誰なのかすら忘れてしまったけど、確か友達の友達程度の希薄な関係性だったと思う。プレゼントを受け取った俺は、後生大事にそのシャーペンを使い続けた。


 そのシャーペンは、本当にどこにでも売られている地味な意匠の商品だった。もしかしたら、デザインを気に入らなかった彼女が体裁を保ちつつ不要品を押し付けただけなのかもしれない。いずれにせよ、俺はそのシャーペンがボロボロになるまで使い続けた。使い勝手が悪くても何故か手放すことが出来なかった。ソレをくれた彼女のことが気になるようになってしまったような気もする。


 ある日、シャーペンが壊れた。思い入れのないペンなら即座にゴミ箱に捨てられただろうが、俺は壊れたシャーペンを捨てることができず、『宝物箱』の中に大切にしまっておくことにした。


 何故だろう。あの子とのことは思い出せないのに、ペンのことは何となく思い出せる。


 …………。


 ヨアンヌは俺のローブに何かしらの特別性を見出し、それを破壊されて激昂した。嫌いとはいえ部下から貰い受けたローブだ、少なからず嬉しく思ってくれたんだろう。


 俺以外の一般教徒と幹部の関係性を見るからに、贈り物を貰う機会は少なかったはずだ。丁度、前世の俺も全然プレゼントを貰えなかったなと思う。


 あのローブは、ヨアンヌにとって、俺にとってのシャープペンシルと似たような物だったのかもしれない。


 …………。

 ゆっくりと意識が上昇していく……。


「……う、ここは……」


 目を覚ますと、チクチクした干し草の中にいた。変な臭いがする。身体が痒くなってきたので飛び跳ねるように脱出すると、騒然とした周囲の状況が目に入った。


(な、何だこりゃ……)


 正教の兵士、邪教の兵士の死体が折り重なっている。生気を失った真っ青な生首が俺を睨みつけていた。

 次第に意識を失う前のことを思い出してくる。俺達は偽の情報に踊らされ、正教軍とセレスティアに待ち伏せされたんだ。そして、戦闘の余波で吹っ飛ばされて気を失ってしまった……。


 ……ヨアンヌは何処に? セレスティアもだ。また戦っているのかもしれない。

 あの化け物二人はそう簡単に死んでいないはずだ。奴らを殺すためには、細胞の一片に至るまでこの世に残してはならない。モブの死体がある状況なら楽観的に考えていいだろう。モブの死体が無くなって地形が凸凹になってからが本番なのだ。


 そもそも、ヨアンヌの死が確定していなくても状況が悪いことには変わりない。正教兵が俺と同じように生き残っているかもしれないのだ。正教兵と一対一になったら、恐らく食事の質と睡眠時間の差で負ける。


 任務を放り出して寺院教団から脱出しようと一瞬考えたが、やはり正教と邪教の幹部に顔を覚えられてしまったのが最悪すぎた。両者の情報網から逃れられるような自信も能力もない。

 『マーカー』つきペンダントさえ捨てて姿を眩ませてしまえば、という幻想は消えた。気を取り直してヨアンヌの捜索を開始する。


(……酷い有様だ。俺達と違ってプレートアーマーを装備してる兵士もいるのに、まるで紙を破り捨てるみたいに……)


 村の縁に沿って歩いていくと、爆発が起こったかの如く原型を留めていない正教兵士と遭遇した。紙を乱暴に破いたような断面は、強烈な力によって引きちぎられたことを示している。時にはその死体に矢の山が生えており、どんな惨劇が起こったかを俺に想起させた。


 正教軍は――というか普通は――同士討ちフレンドリーファイアを避ける傾向にある。それを逆手に取ったヨアンヌの策略だろう。彼女は正教軍のど真ん中に突貫し、兵士を盾に取りながら一人一人殺していったのだ。

 死体に突き刺さった同志の矢はそういうこと。セレスティアは手を出せなかったに違いない。相変わらず幹部連中は最適解を摘んでいくのが上手い……。


(……一応、装備を貰っておくか)


 クロスボウを紛失していたので敵の死体から拝借する。死後硬直のせいか、兵士の死体はクロスボウの持ち手を離してくれない。地面から蕪を引っこ抜くような体勢になって踏ん張っていると、目の前の死体の山が持ち上がった。


「な、何だ――」

「――クソッタレ邪教徒共がぁ! 殺しても殺しても虫の如く湧いてきおってぇ!!」


 死体の中から突然出てきた兵士がロングソードを構えて刺突してくる。ギリギリのところでクロスボウを引っこ抜いた俺は、勢いのまま後転して敵の攻撃を回避。そのまま地面を転がりながらクロスボウの矢を飛ばす。


 男は左手の甲で矢を受け、致命傷を避けた。何度か打ち込めばくたばるだろうが、クロスボウの矢を再装填している暇は無い。俺は鉄の剣を抜き放つと、覚悟を決めて瀕死の兵士と対峙した。

 男は肩口を大きく切り裂かれ、骨までが露出していた。傷口からの出血は止まらない。口端からは血が滴り落ち、治療を受けても死の運命は変えられないだろう。


 ……周囲の兵士と比べて防具の装飾が豪奢なことから、男は隊長クラスの役職持ちと思われる。


「我らが主よ……今から其方へ向かいます」

「っ……」


 隊長クラスといったら、邪教徒と戦い抜いてきたベテラン兵士だ。原作であれば歯牙にもかけられない相手だが、俺にとってはボスクラスの難敵。瀕死であっても苦戦は必須だ。

 でもよ、幹部連中以外にビビってどうすんだよって話。殺される前に殺すしかねぇ。


 俺はあらん限りの気迫を以て懐に飛び込み、渾身の力で剣を打ち込んだ。

 コォンという澄んだ音が響いて、二人は鍔迫り合いの体勢になる。


「はぁぁ……ッ!」


 瀕死にも関わらず、異常な出力の男に押し込まれる。腰が砕けそうだ。力が拮抗する中、咄嗟の判断で敵の脇腹を蹴り上げた。


「うッ!」


 剣に込められる力が少しだけ緩む。その隙を突いて攻勢に出た俺は、あっという間に優位に立った。

 相手は瀕死。蝋燭の火は消えかかっている。


 しかし、隊長の危機を察知したのか――死んでいたはずの正教兵が息を吹き返し、俺の足首に抱き着いてきた。


(んな、バカなことが――!)


 体勢が崩れる。視界が揺らぐ。鈍い衝撃と熱。胸元に剣が突き刺さる。


「うぐあぁっ!!」


 痛みに仰け反る暇もなく、後頭部が地面に激突する。俺の上に馬乗りになった男は、剣を逆手に持って今まさに振り下ろす寸前だった。


「待っ――!?」


 次の瞬間、俺の上にいた男の上半身が暴風と共に削り取られた。少し遅れて衝撃波と土煙が巻き起こり、しがみついてきた男が吹き飛ばされる。

 何かの衝撃で地面を舐めさせられた俺は、しばらく転げ回ってから顔を上げた。


 視線の先で、地面に深々と突き刺さった岩が煙を上げているのが見えた。


 ――『マーカー』への投擲。

 ヨアンヌが俺の危機を察知して岩を投げてくれたのだろう。一安心するのも束の間、俺は胸元に走る電流のような痛みに喘いだ。


「っ……く、痛って……」


 肋骨があったおかげで致命傷にはならなかったが、それでも相当痛い。服の隙間から見える傷口はパックリと割れ、黄色い脂肪が覗いている。

 ゆっくりと呼吸を整えた後、俺は何故ヨアンヌが頭部を投げて『転送』してこなかったか思考を巡らせた。


 ……まさか、ヨアンヌはまだセレスティアと戦っている?

 岩が飛来した方向を見ると、僅かな音がした。目を凝らしてそちらを眺めると、不自然に風景が歪んで見えた。セレスティアの風の魔法に違いない。音に従ってそちらへ走る。


「…………!!」


 その光景を目の当たりにして、俺は絶句した。首から上の存在しないヨアンヌらしき少女の胴体と、その上に伸し掛る顔半分を切断されたセレスティアが、それぞれの中身を垂れ流しながら戦っていたのだ。

 どれほどの覚悟があれば、あのような修羅になれるのだろうか――俺は呆然と打ちのめされた。


「細胞を一欠片も残さず消し飛ばせば――あなたと言えども復活はできないっ!!」


 頭部を破壊されたヨアンヌは、視界を喪失しているため敵の位置を特定できない。めちゃくちゃに暴れている。頭部の復活までは数秒程度のラグしかないが、逆に言えば数秒の猶予があるのだ。戦闘能力の優れている彼女達にとって、その数秒は大きな猶予になるはず――


 ――まずい。ヨアンヌが殺される。

 嫌な予感を察知した俺は、傷口が開くのも厭わずに叫んでいた。


「ヨアンヌ、早く起きろおっ!!」


 ヨアンヌのことが嫌いだ。何を考えているか分からないし、邪教の教祖を崇めているし、俺を監視してくるし。そのはずなのに、ヨアンヌに死んで欲しくなかった。打算的ではなく、複雑怪奇な本心からの想い。


 ――今考えれば分かる。何故あの時俺を助けるように岩が飛んできたのか。何故ヨアンヌは頭部を吹き飛ばされて不利な状況に陥っているのか。

 ヨアンヌは俺を助けるため、セレスティアとの戦闘中に無理を通して岩石を投げたのだ。


(意味分かんねぇ!! 何でだよ!? そんなの『ヨアンヌ』らしくねぇ!!)


 お前は勝利のためなら多少の犠牲は飲み下すような人間だったはずだ。血も涙もない、教祖以外は眼中に無い狂信者だったじゃないか。


 ……どうして?


 ヨアンヌの上に乗るセレスティアが、己の銀髪を血に染め上げながら吐き叫ぶ。


「これで――終わりですッ!!」


 セレスティアの銀髪が後方に靡く。両の手の平を合わせたかと思うと、彼女は掌底を突き出して力を凝縮し始める。大気が揺れ、風が彼女の手元に収束していく。


 まさか、アレは原作中盤に生み出すはずの対幹部用奥義――


「――爆ぜなさいっ!!」


 風が大地を薙ぎ払う。極限まで押し潰された空気弾が射出され、轟音と共にヨアンヌの身体に到達した。

 次の瞬間、ヨアンヌの肉体がこの世から削り取られた。

 血の一滴、細胞一片すら残らぬ一撃。


「はぁ――はぁ――……これでやっと……決着ですね……」


 俺はその場に崩れ落ちる。

 均衡が崩れたのだ。


 力を使い果たしたセレスティアはその場に膝をつく。そのまま俺を睨めつけ、目撃者は逃がさないと言わんばかりに予備動作なしの風魔法を飛ばしてきた。

 俺にはもう攻撃を避ける体力がない。謎の脱力感と疲労感もあって、俺は抵抗せずに目を閉じ死を覚悟した。


「――――」


 首元のペンダントが震えている。

 雛が卵の殻を食い破るように。


「……?」


 いつまで経っても衝撃が来ない。

 何事かと思って目を見開くと、俺の目の前に裸の少女が立っていた。


「アタシ、復活〜〜」


 へらへらとしたハスキーな女声が一帯を支配する。

 長い長い沈黙。何が起こったか分からなかった。


 唖然呆然。顔面を蒼白にしたセレスティアは、激しく髪を振り乱しながら悲痛な叫び声を上げる。


「ヨ……ヨアンヌ……ッ!? どうして!? あなたは先の一撃で細胞一つ残さず破壊されたはず……!!」

「コイツに肉片持たせてたんだわ。オマエは知らなかっただろうけど」

「――ッッ!!」


 セレスティアは、苦虫を噛み潰したような、自分の愚かさを嘆くような、それでいて煮え滾るような怒りを嚥下しきれない、といった凄まじい剣幕になった。


 ヨアンヌの発言でやっと思い出す。マーカーだ。ペンダントの中に入れていた耳朶は『肉片』そのもの。彼女の細胞はこの世から潰えていなかったのだ。

 安心のあまり、俺は腰を抜かして大きな溜め息を吐いてしまう。


「……まさか、わたくしが捨て台詞を吐くことになるとは思ってもみませんでした。また会いましょうヨアンヌ……次は必ず殺します」


 セレスティアはヨアンヌ復活に絶望し、己の姿を眩ませて逃走した。何故か彼女を追わないヨアンヌ。理由を訪ねようと彼女を下から見上げると、裸のままのヨアンヌと目が合う。


「オクリー、無事だったか」


 彼女は俺の胸の傷を治癒してくれた。

 そして、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。


「オクリー。アタシ、おかしくなっちまったみたいだ」

「え……?」

「アタシは教祖様の喜ぶことならなんでもする。あの人が与えてくれた任務なら喜んで引き受けるし、喜んで死ねる。なのに……オクリー……オマエが関わると冷静な判断ができなくなるんだ」

「何を言って……」


 一難が過ぎ去ったはずなのに、俺は妙な怖気に襲われた。


「まず、オマエが正教兵に襲われていた場面。……セレスティアを討ち取るためには、あそこで背中を見せて岩を投げちゃダメだった。そのお陰で頭吹っ飛ばされてマウント取られちまったしな」


 ヨアンヌの吐露は止まらない。


「さっきもだ。アタシは弱り切ったセレスティアを追うべきだった。逃げ足が速いから捕まえられるかは別として……でも、アタシはオマエの傷が気になって奴を追えなかったんだ」


 止まらない。


「ずっと考えてた。ずっとずっと……」


 止まらない。


 それどころか、彼女の激情は加速していく。


「でも、やっと分かったんだ。この感情の意味が」


 あの目だ。

 どこまでも冷たい、モノを見るような螺旋の瞳。俺のことを「邪魔だな」と言ったあの瞬間と全く同じ温度の瞳――


「オクリーもそうなんだろ?」


 常人には理解しえぬ精神状態。関わってはいけない人種。原作ファンが称したその意味を、俺は身を以て知ることになる。


「うん、そうだよな」


 ――天地がひっくり返る。


「アタシ達『両想い』みたいだ」


 全身に鳥肌が立つ。『信頼』も『友情』も飛び越えた重すぎる感情の名前を聞いて、俺は生まれて初めて心の底から戦慄した。


 俺は、どこか傍観者然と振舞ってきた。ゲームの中の世界・・・・・・・・と同じであるのを良いことに、現実と向き合ってこなかった。幹部共をネームドの『キャラ』として扱い、一人の人間として見ようとしなかった。


 ――ヨアンヌは生きていたのだ。

 シナリオライターに与えられたテキスト以外の言葉を話し、自由に思考し――誰かを好きになる。主人公が・・・・彼女を惚れさせた・・・・・・・・ように・・・


「…………」


 思考停止に陥り、両の目玉が別々に動くのを感じた。


「なぁ、オクリー。もう一度……そのローブを掛けてくれないか?」


 どんな敗北よりも、どんな死に方よりも辛い現実が差し迫る。


 あぁ――俺は――


「……へへっ。アタシの裸を隠そうとしてくれるの、教祖様とオマエだけだよ」


 時刻は正午。霧は晴れ、雲もない。しかし、俺の視界は闇夜よりも暗い暗黒を映している。


「両思い記念に受け取ってくれ、アタシの薬指だ。耳朶が腐る前に交換しておきたかったんだが……ふふ、手間が省けたな」

「…………」


 そう言うと、ヨアンヌは俺の首に提げられたペンダントを開いて、せっせと指を詰め始めた。


 やっと思考が再回転してきた。何が起こっているかを全て理解した俺は、努めてにこやかに微笑んだ。


 詰められた指、カタツムリみたいで可愛いね。


 もうどうにでもなれ。

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