第11話 閑話 女子会にて
男はちょろい。
カ・シュウレイには、そんな驕りがあった。
それは、どんなお堅い男でも、同じだと。
だから、大叔父に当たる凌に関しても、いずれはモノにできると思っていたのだ。
だがシュウレイは、凌の思い人の実在を確認したのち、矛先を変えた。
が、返り討ちに合った形となった今、考えを改めなければならない時期に来たと、肌で感じていた。
「……絶対にあの男だけは、完全に落とす」
「……」
朝帰りしたシュウレイが、怒りを込めて言い切るのを見ながら、弟のセキレイは溜息を吐く。
姉がこれと決める男は、善悪半々くらいの割合だ。
つまり男運は、半々。
今回の標的は、どちらとも言い難い人物だった。
それに、相手の立場も悪い。
「……エンの女の父親だろ? 倫理的にも駄目だろう」
「え? そんなもの、本人次第でどうにでも解釈できるだろ」
シュウレイの言う本人に、相手の方は入っていない。
だが、そう言われてセキレイは納得してしまった。
孫を見るために、多少の壁はぶち壊すつもりでいるからだ。
あの件もそろそろ、前に進めようと思ってはいる。
息子の蓮が、最近目まぐるしい成長を遂げているのだ。
我慢が利かずに、別な女に目移りする前に、何とか想いを遂げさせられればいいのだが。
自分の思いにふけっていたセキレイは、シュウレイに紙を差し出され、我に返った。
「この日は、コウヒと二人で行ってね。向こうも多分、メルさんと二人だから、公平にしなきゃ」
「あ、ああ」
受け取った紙は、昨日届いた手紙の中身だった。
日本の支店にいるため、比較的早くついたそれの消印は、一昨日だ。
速達で送られてきたようだが、内容はそこまで重要ではない。
近いうちに再び会って話し合いたい旨が、意外にも達筆で記されていた。
日時まで指定されていたが、都合が悪ければそちらの希望の日時を知らせて欲しいとあり、この件に関しては、こちらも余り日を伸ばしたくないと先程、この日時での会合の了承を、伝えたところだった。
「姉上は、留守番してくれるんだな?」
「しないよ」
大人しくしてくれているのならと、軽く念押しのつもりで尋ねたのだが、あっさりと否定された。
「セキレイたちが出ている間に、女子会に出てくる」
「女子会? またか?」
最近、腹違いの姉と雅を交え、集まっているのは知っていたが、そんなに頻繁に会っても、話題はないだろうと思う。
だが、女の方はそうではないらしく、笑顔で答えた。
「集まるだけでも、楽しいんだよ。色々と、相談したいこともあるし」
女ごとに疎いセキレイは、そう言うもんかと納得し、それ以上は何も言わずに見送ることにしたのだが……のちに、激しく後悔する。
女漁りの天才を落とすには、どうすればいいだろう。
そんな問いがシュウレイから切り出され、集まった女たちはきょとんと顔を見合わせた。
「? あなたの周りに、そんな積極的な人、いた?」
「うん。いたんだ」
優の不思議そうな問いかけに、シュウレイは真剣に頷いた。
「隠れ女漁りの天才って奴。私、そいつに負けた」
「そう」
悔しそうに告げる女と、その姉の優が相槌を打つのを見守っているのは、寿と雅の母子だ。
寿の方は天井を仰ぎ、雅の方はきょとんとした表情のまま、二人の会話を聞いている。
「絶対に落とす気で挑んだのに、私の方が先に満足しちゃって、眠っちゃったんだっ」
拳を握りながら言う目は、その悔しい思いを糧に、逆に燃え上がろうとしていた。
「でもそれは、男としても悲しいわよね。いざって時に、相手が眠っていたら、それでも構わないっていう男なら兎も角、本当にあなたを大事に思っている男なら、一気に興ざめじゃない?」
「大事に? あの男がっ? あんな乱暴、かつ激しい動きで翻弄しておいてっ?」
「……登場人物に、遠慮するのがいないからって、露骨すぎやしないかな?」
吐き捨てるシュウレイの言葉に、呆れた雅がつい地口で呟く。
「これで露骨って、あなたは普段、どんなお優しい世界にいるのよ」
寿が聞きとがめて苦笑したが、散々喚くシュウレイと、その妹を慰めたり窘めたりしている優に、余計な口出しはせずに見守るつもりになっていた。
女子会と言ってもこれは、シュウレイの愚痴を聞いて終わるかもしれないとは思ったが、これはこれで、楽しいと思える。
優しい気持ちで見守っていた雅は、シュウレイが唐突に母親に問いを向けて来て、驚いた。
「男漁りの先輩として、寿さんの意見が欲しいんだっ。どうやって気難しい男は、落とすの?」
「ええー。ここで振る?」
困ったように首を傾げ、寿は答えを考える。
「そうね。まずは、慣れることね。男の与える快楽に」
「……母上」
「無礼講、無礼講」
それは、使う場所が違わないかと、雅は眉を寄せていたが、母親は気楽に言った。
「こちらが満足した風を装って、今度はこちらが体を陥落させてやるの。相手も女体を触ることで興奮しているはずだから、きっと早いわ」
「成程」
納得して頷くシュウレイに、寿はふと思い出した。
そこまで落とすまで、随分と時間を食った相手がいた。
そう呟くと、雅は意外そうに目を見開いた。
「狐の男、ですか?」
「何を言ってるのよ。あなたも知ってるでしょ? オスの狐は、自分本位の塊だから、そんなことしなくてもすぐに陥落するわ。まるで、砂のお城よ」
例えだけが、拍子抜けするほどにメルヘンだ。
そう思ってしまった娘に、母はあっさりと言った。
「あなたの、お父さんよ」
「え?」
「ただの男、ってほど普通じゃなかったけど、あれは、一度一線を越えたら、病みつきになる。今でも忘れられないくらいだから、相当だわ。でも、それまでが長かった」
しんみりとした声音になった母を、シュウレイが何故かぽかんとして見つめていた。
「そうだった。……そうだよ。雅ちゃんの父親なら当然、この人の元……」
「シュウレイ?」
様子がおかしい妹を、優が眉を寄せて呼ぶが、シュウレイは気を取り直して話を切り出した。
「参考までに、その、旦那さんを落とした手管を、ご教授ください」
「何で突然、敬語?」
不審に思ったのは、雅も一緒だったが、聞かれた寿の方は気にせず、当時を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「そうね。あの人、昔から女の影が絶えない印象だったけど、意外に初心だったのよ」
「うぶ……」
「今風に言えば、拗れた潔癖っていうのかしら?」
「?」
本人を知る三人が、妙な顔をしているのに構わず、生粋の狐はうっとりと続ける。
「雅を見ればわかると思うけど、美人さんでしょ? 父親とそっくりという事は、男なのに細身でこの顔だったのよ。着やせするタイプだったから余計に、屈強な男たちからはそういう目で見られた上に、小さい頃から女にもちょっかいを出されていたらしいの。そのせいで、熱病で盲目になるころには、そう言う気持ちで触ってくる人間に敏感になって、祖国では死人が出てたみたい」
「そんな事、聞いたことないわ」
「ほんの小さな頃だったみたいだから。あなたのお母さんを師事して、剣を習い始めてからは、脅すことを覚えたからましになったって言ってたわよ」
それが、優たちの知るあの男に変貌するのは、叔母で師匠だった優たちの母親が、国を出て別の国に嫁に行った後だった。
それに付き添って来たミヅキは、そこで運命的に二人の男と出会い、全ての弱点を覆い隠すすべも、身に着けた。
「つまりね、触られたくなければ、触って相手を満足させてやれと」
「それを、初めに教えたのって、まさか……」
今は真っ白な毛並みの兎が、しっかりと頭に浮かんでしまった。
器用に前足の指を二本立てて、ピースサインをしている様を思い浮かべてしまい、雅はついつい溜息を吐く。
「そこは、人間モードでいいだろうに」
「ん? 何?」
「いえ。そこまで拗らせた父を、母上は落とせたんですね?」
「ええ。だから、あなたや浅黄萌葱も、芽吹いたのよ。感謝しなさい」
「勿論、生んでくれたことには、感謝していますとも」
神妙に答えた雅は、何やら考え込んでいるシュウレイを見た。
そのまま見るともなく見ながら、呟いた。
「……私と違って、男女ともにちょっかいをかけたくなる人、だったんですね」
「そうね。大人しくて笑うと更に優しそうになったから、そのせいでしょうね」
「……不味い、かな」
そのまま思い浮かべたのは、今の父親と自分の思い人だ。
監視の名目で、二人は同棲している。
「……それは、心配し過ぎよ」
雅がつい、目を険しくしているのに気づいた優が、苦笑して主語を使わず窘める。
「双方、分別はあるんだから、大丈夫」
「成程。分別が邪魔して、一線は越えなくても、それ以外は、有り得ると」
「その、後ろ向きの性格は、誰に似たの?」
優は思わず唸ってしまう。
どうも、あの男とこの狐の子にしては、後ろ向き過ぎる。
血縁が関係しないのならば、どちらかと言うと両親を反面教師にしてしまった弊害、かも知れない。
困ったものだと苦笑した時、シュウレイが真顔で呟くのを聞いた。
「……先に触ることで、無暗に触られることを回避……成程、うまいこと逃げたんだな、あいつ」
「? あくまでも、私の旦那の話よ。あなたの標的とは、似ても似つかないわ。のど元過ぎたら、本当に最高の男だったんだから」
未だに、あれ以上の男には会えていないと、寿は言い切った。
「本当はね、伴侶にしてしまいたかったの。でも、それを察したあの人が、強い口調で止めた。子供を最後まで育てられないのを知っていたから、母親まで死なせるわけにはいかないって。本当に、憎い呪いもあったものよね。自業自得とは言え、発端の鏡月まで恨みたくなった時期もあったわ」
これだけ年月が経てば、それも思い出となってしまったが、思い出せばやはり思慕も蘇る。
しんみりとした母親の姿を見ながら、雅はそっとグラスに酒を注いだ。
昼間なので、まだ飲ませない方がと思っていたのだが、感傷に浸ってしまった母には、そのまま沈んでもらった方がいいと、判断したのだ。
少し涙ぐんでいた寿は、鼻をすすりながら酒が注がれたグラスを口元で傾けた。
「ああ、いいお酒」
「いい思い出のまま、存在してくれているのなら、それでいいです」
「あなたにも、そう言う思い出あるでしょ? 死に目に立ち会えなかったからって、拗ねている時期は、もうとっくに過ぎてるじゃない」
酒瓶を掴み、今度は寿が娘のグラスにそれを注ごうとするが、やんわりとそれを断り、雅は言った。
「もう、拗ねてはいませんよ。ただ、本当に……思い出のままだったのなら、良かったのにって話です」
今は、存在感があり過ぎて、少し困っている。
暗にそう言っているが、事情を知らない寿は口を歪ませて娘に縋る。
「いいじゃんいいじゃん。私の淡い恋心を、少しは吐き出させてよ」
「はいはい。存分に飲んで、吐き出してください」
軽く宥める様に返しながら、黙って考え込んでしまったシュウレイを見た。
その隣に座る優も、妹の思考の機微を伺っている。
隠れ女漁りの天才。
そんな二つ名を持つ者など、身近にはいない、はずだ。
どちらかと言うと、あの兎の方があり得ないかと、ちょっぴり疑っているが、どうやら違う。
まさか、シュウレイの標的とは……。
そんな不安が、雅の胸に沸いたのだった。
「……蘇ってから今までも、男女ともにいろんな人にちょっかいをかけられていたと言うのは、律さんからも聞いてたんだ」
まさか、自分の思い人までその餌食に、と思いそうになったが、それは今、エン本人が否定してくれた。
「それは、一応、ほっとしてるよ。一応ね」
「はあ」
あの後、青谷が鳩の混血の子の保護者に掛け合ってくれ、現在は家の中にお邪魔している。
小さな部屋に床を延べてくれたその上に父親を転がし、その寝入った男を挟んで、二人に男女は事情を話し合っていた。
エンの方から話し出したのだが、プライバシーの関係でそこまで多くは語れなかった。
だが、それを察した雅は、青鷺に頼んで電話の番号を押してもらい、自分がここに呼び出された理由の発端の若者を直撃した。
一度は留守電につながったが、その留守電に伝言を吹き込んでいたおかげで、先程折り返しの電話を貰い、若者側からの事情を聞き、その延長線上で水月側の事情も、何となく察してくれたようだった。
そうして何故か、少し前に開催された女子会の時の様子を、雅は語り始めたのだった。
話を聞いたエンは、自分の腹違いの姉の一人が、水月を標的としたままだと知り、矢張りかと溜息を吐いた。
お互い、とんでもない人に目を付けられたなと、つい同情してしまったが、それを顔に出したわけではないのに、前に座る女は目を据わらせた。
「ん? まさか、この人に同情した? 必要ないだろ? 確かに、トラウマ云々は可哀そうだけど、今は普通に暮らしてるんだから、昔に比べれば警戒する場も少ないはず」
「個人の家々が頑丈になりましたからね。確かに、帰宅したら安全でしょうが、外や学校やらの施設では、気が抜けなかったでしょうね。勿論、今でも」
自分に目を付けているらしい女が、勘違いしてくれたのに安堵しながら、そちらの話に乗って出来るだけ穏便に、話を収めようと思い立つ。
「……そこまで、君は気を許されているんだな」
「そういう揚げ足は、取らないでくださいよ。寝る場所は別です。それに、今までどれだけ同じような場があったのか、知っているでしょう?」
大体、あの群れにいた頃は、最も人を魅了している若者と共にいた。
すぐに手を出せる場所にいたのを知っているはずなのに、ただ雅と似た顔と言う理由だけで、気持ちが揺らぐと思われているのは、大いに心外だ。
そうきっぱりと言うと、女は何故かどもりつつも、頷いた。
「そ、そうか。そうだったね」
目を泳がせて、動揺を逃がしている雅に首を傾げつつ、話を元に戻す。
「もし、シュウレイさんがこの人とそういう関係になったら、どうしましょうか?」
「別に、構わないよ」
当然の質問に、雅は即答だった。
意外そうに眼を瞬くエンに、女は続ける。
「母は、もう過去の人と割り切ってる。思い出話をした時にそう感じたよ。勿論、再会してしまったら、分からないけど」
それは、阻止し続けるつもりだと、雅は強く言う。
「だから、この人自身が、同意したならば、誰とこの先関係を持とうが、私も文句は言わない。……いや、時期によっては、言うかな」
言い切ってから少し考え、雅は言い直した。
「時期、ですか?」
どういうことなのか分からず、その言葉を繰り返したエンに、雅は優しい笑顔を向けた。
「私が、目当ての人を手に入れる前に、この人に先を越されるのは、業腹じゃない?」
「そういうのは、父親の方が、先に見本を見せる意味で、やって見せるものですよ、きっと」
「……君、さっきのは素で言ってたけど、今のはわざとだね?」
図星だったが、さっきの素とは、何の事だろう?
エンが、目を瞬くのを見ながら雅は溜息を吐き、身を乗り出した。
「この際、はっきりとしておきたいんだけど、君は、私と、このまま何事もなく、師弟のまま生涯を閉じる気なのか?」
「ここまで追い詰められてしまっているのに、どうしてそういう疑問が出てくるんですか? オレは、あなたが、子孫を残すために、種を搾り取られるのを、確定された男なんですよ」
「種を搾り取られるって……」
雅が呆れて小さく笑う。
「そんなにたくさん、子を産む気はないよ。せいぜい、母の記録を更新するくらいは、したいと思っているけど」
それも多い。
雅の兄弟たちの他に、エンの父親との間にできた子もいると、最近知った。
こうなって考えると、知らないところに父親違いが多く存在していても、不思議ではない。
エンと雅は、そう言う意味では苦労が一緒だった。
二人にしては真面目に、将来の話をしている間に時間は過ぎ、その数分後、水月が目を覚ました。
社宅に戻ってこれたのは、その一時間後だった。
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