第9話 同窓生と

 とある西洋風の学園内の、テラスのテーブル席。

 昼下がり、優雅にお茶を楽しむ一組の男女(男1、女1)。

 そこへ男数人(男2~)とともにやってくる、一人の女(女2)。


 男女1、男2に気付き立ち上がり、頭を下げる。


男2「休憩中に失礼するぞ。何分、急を要するのでな」

男1「何事でありましょうか、2王子殿下」

男2「実はな、お前と1嬢が婚約したと聞いたのだが、考え直してもらおうと思ってな」


 目を見張る男1に、女2が詰め寄る。


女2「1先生と1女先生なんて、釣り合いませんわっ。どうか、考え直してくださいっ」

男1「今更それは……」


 困惑する男1に、嬉々として黙ったままの女1の短所を次々と上げる、男2とその他。


モブ1「は? きっしょ」

モブ2「しっ。聞かれますよ」

モブ1「いや、無理だろう。正義感ぶって多数の男で女一人を吊るし上げ? しかも、どや顔でそれを見守る自称可愛い女? ヒロインでも悪役でも、痛すぎるだろう」

モブ2「落ち着いてください」


女2「そんな人に、先生のようないい人が、どんな弱みを握られて捕まってしまったんですかっ? あなたもっ、好きだと言うのなら、私と同じ土俵に立ってください。そして、潔く1先生を解放してあげてください」

女1「……同じ土俵に立つも何も、生徒と教師では、立場も違うので、競争しようにも……」


 困惑する女1の前で、男1呆れた溜息。


男1「生徒のお前と、婚約者の1嬢と、何を比べて1嬢に非があると思い込んだのかは知らないが、何で、お前の傍に侍ることが、解放されることになるんだ?」

女2「だって、言っていたじゃないですか、弱みがあるから、逃げられないってっ」

男1「ああ……。その弱みなら、心当たりがあるな」

女1「え?」

男2「矢張りか。そういう事なら、父上に進言して、婚約を白紙にしてもらっても……」


 驚く女1に、にやりとする女2。

 我が意を得たりと話を進める男2を、やんわりと遮る男1。


男1「2王子殿下。話は最後までお聞きください。これが政の場では、大問題です」

男2「そ、それは、ここでは関係ないだろうっ」

男1「大ありです」


モブ1「この王子は、王位継承何位なんだろうな?」

モブ2「それは、書かれてませんね」

モブ1「王太子だったら、考え直した方がいいな」


 男1、真顔で言い切って女1を見つめる。

 怯んだ女1に、恐ろしく甘い声で


男1「弱みなら、一つある」

女1「え」

男1「惚れた弱み、だ」

女1「っ」

男1「こればかりは、どうしようもなく、否定できない」

女2「はあ?」

男2「1嬢?」


 目を剝く女2の横で男2とその他の男たち、女1が顔を赤らめるのを見て呆然とする。

 それを見て、男1舌打ち。


男1「1嬢。その愛らしい顔は、私と二人きりの時だけに、とどめていただきたい」

女1「あなたが突然、あんなことをおっしゃるから……」

男1「ああ、すまない。馬鹿な生徒たちが、余りに馬鹿なことを言い出すものだから……」


モブ1「……」

モブ2「……大丈夫ですか? 砂となって零れそうな顔してますよ」


男1「……もうよろしいですか?」

男2「あ、ああ。すまない。1嬢、いや、1女先生、休憩中に、失礼した」

女1「……」


 いつもの真面目な顔になって一礼する女1。

 その隣で目を細める男1。


男1「ちっ。火種になる前に、消すか」


終了。


「はい、カットっ」

明るい声が響き、一通り動きながらの読み合わせに参加していた面々が、一気に空気を和ませた。

 幾度目かの休日、社宅の食堂を借りて行われたのは、ある公演の前座の寸劇の練習だった。

 台本は、長谷川瑠衣の同人仲間で、水月の同窓生でもある女で、すでに副業としての利がある瑠衣とは違い未だに芽が出ず、それでも実益を得ようと頑張っているようだ。

「森口君、相変わらずの酷評。有難うっ」

「じゃないだろうっ。なんだ、あの似非女は。ああいう類は、天然でもサバサバでもないのは、お前も知ってるだろう?」

 砂化を何とか留まった水月は、明るく礼をいいに来た長身の細い女に、盛大に文句を言った。

 文句を言われた方もそれは頷き、軽く手を振って宥める。

「いいじゃない、軽いざまあを目標とするには、あの程度がいいの。今回は、小規模の公演の前座でもあるし」

 短い話で正確にやりたいことを伝えるには、ここまで露骨にやるしかない。

「……」

「本物の天然の子やサバサバした子も、それこそ似非天然やサバサバ系も、学校生活で揃ってたからね。外野で見てる分には、面白かったよね。不味いなって言うタイミングが、思ったところと違うせいで助け船が間に合わないんで、見守り隊してるしか、なかったけど」

 瑠衣が笑いながら話しかけた。

 小中高と、地元ですませた三人は、本物の天然が自称天然やサバサバ系に、引き立て役にされていく過程も、何度か見ていたから、異性に味方されて勝利を勝ち取る話は、胡散臭く思えてしまう。

今の時代、周囲に異性同性どちらでも侍らせている奴に、天然やサバサバはいない。

本物は、異性同性問わず好かれてはいても、付かず離れずの関係を保っており、空気を読むのにもたけているから、火種を見つけて煽ることも良しとはしないと、経験した上でそういう考えに至ったのだ。

「一人だけだったな。似非女を、天然パワーで無自覚に負かしてしまったのは」

 天然の上に、親の綺麗好きのために、一つの事には敏感だった中学二年の同級生の女子。

 あるクラスメートに私物を盗まれたと糾弾されたが、逆に気持ち悪がって本気で泣き、完全にそのクラスメートを、一緒に糾弾した男子たちもろとも奈落に突き落とした。

「あれは、傑作だったけど、実話を基にするのは、重すぎるよね」

 泣くことで味方を大勢付けたことに、味を占めてしまった本物の天然は、その後天然から卒業し、本物の痛い人間になってしまった。

 中学を卒業するまで、糾弾に関わった男子とクラスメートは、肩身の狭い思いをしていた。

 引きこもってしまった者もいたと言うから、自業自得とは言え、大事だった。

 これを話として立ち上げるのは、流石に実益を考える女でも、躊躇ったようだ。

「だが、こんな短く、しかもあっさりとした話でも、盛り上がれる場なのか?」

 話を聞き流しながら脚本を読み返し、どちらに唸っているのか分からないエンの横で、水月が気になっていたことを訊いてみた。

 篠原家の会社企画の、小さな公演だ。

 数人の楽器演奏者が、個人で弾く。

 テーマが決まっており、今回は「メルヘン」だ。

「メルヘン? 程遠くないですか?」

「でも、観客は殆どが会社の従業員だから、夢も何もないでしょ?」

「それは、失礼では?」

 けろりと言い切った女に苦笑してから、気になった事を尋ねる。

「本番でも、オレたちがモブ役、ですか?」

「いいえ。モブ役は、今日はここに来れなかったの。アドリブで茶々を入れる役だから、練習の時の人は、誰でも大丈夫なの」

 寧ろ、水月のように鋭い指摘をしてくれるモブは期待できないから、これ以上の期待をしなくて済むと言う、保険でもあった。

「……面白い指摘を期待しすぎて、売れない役者さんたちの芽を、潰したくないから」

「……そういう気づかいをされる時点で、その人たちが売れない理由が、明確なんですが」

 優しい事を言っているようで、遠回しに酷評している。

 今いる役者たちも、それには気づいているようで、苦笑している。

「オレたちも、似たようなもんだし、遅れてくる奴の事に同情している余裕は、ないな」

「ところで、この話で決定、でいいの?」

 女役者が、脚本兼監督を担った女に尋ねた。

 それを聞いて、水月が顔をしかめる。

「まだ、何かあるのか?」

「そうじゃなく、話を二つ用意していたの。どっちが面白いかなって。やってみても、いい?」

 舞台も設定も、予算の都合上余り変えられないが、趣向の違う話だと言われ、渡された台本を開きながら、水月は渋々と頷いた。


 とある西洋風の学園内の、テラスのテーブル席。

 昼下がり、優雅にお茶を楽しむ一組の男女(男1、女1)。

 そこへ男数人(男2~)とともにやってくる、一人の女(女2)。


 男女1、男2に気付き立ち上がり、頭を下げる。


男1「……」

男2「すまないな、顔合わせの場だったか?」

男1「いいえ、お気になさらず。何か不具合でも?」

男2「いや……実はな、1嬢に尋ねたいことがあるのだ」

女1「わたくしに、ですか?」


 不思議そうに首をかしげる女1を睨み、男2


男2「実はこの頃、ここにいる2嬢が、嫌がらせを受けているのだ」

女1「まあ」

男2「教科書を破られたり、体育の授業後に戻ったら、制服が破られて着替えることができなかったり、この間などは、芸術室の階段で何者かに押され、危ない目に遭ったのだそうだ」

女1「まあ」


 驚いて一言しか返せない女1に、男3眼鏡を押し上げながら、


男3「このような所業をする令嬢が、この国を担う宰相候補の婚約者であるのは、由々しきことと、そうは思われませんか?」

女1「ええ。由々しき事ですわ」

 

 頷いた女1、男1を見る。


女1「そのような方を婚約者にするのは、考え直した方がよろしくてよ」

男1「……おい」

女2「それから、謝ってくださいっ。無事だったから、これまでの事は許しますからっ」

女1「? あの、よく分からないのですが。もしかして、あなたに嫌がらせしていた方の特定は、未だなされていないのですか?」

女2「っ。認めてくれないのっ?」

男2「何と、白々しい」

男3「全くっ。2嬢があれだけ怯えていたと言うのに、酷い方だっ」


 女1、不思議そうに首を傾げつつ


女1「嫌がらせで、そのように実害があるのでしたら、生活指導の担当の先生に、相談した方がよろしいです。まずは、破れた教科書と制服を、新調しなくては。……ああ、制服の方は既に、されているようですね」

女2「酷いっ。私のような貧乏な男爵家では、教科書や制服を買う予算も、本当にかつかつなのにっ」


 疑わしい顔で男1が見守る中、女1再び首をかしげる。


女1「確かに、購入と言う形ですが、嫌がらせで破損された旨を申請すれば、無料で支給されるはずですよ。わたくしも、そうでしたから」

男1「何だって? 一体、何のことだ?」

女1「二月ほど前から、ひと月ほど前まで、この方と同じような嫌がらせを受けておりました。家は裕福とは言え、このような突発の出費は、親に報告するのも躊躇われてしまって、生活指導の先生に相談したのです。そしたら、校則にもその辺りの事は明記されていると教えられまして」


 言いながら女1、生徒手帳を取り出す。


男1「……成程、噛み砕いて言えば、予測外の破損や紛失は、その被害者には無料で対処し、速やかに加害者を特定する、と。加害者は特定次第、速やかに弁償と慰謝料の支払いを命じられる」

女2「え」

女1「机などの学校の備品を壊されたり汚されたりしたときも、その対処をされました。ですから、あなたもまずは、関係ない方々を巻き込むより先に、学校へ相談されてはいかがでしょう?」

 

 首をかしげる女1に、男2


男2「物ならば、それでいいだろう。だが、階段の件はどうだ? あの階段は、一歩間違えたら、命がなかったんだぞっ」

女1「ああ、芸術室に通じる非常階段の方ですか? あちらは、緊急時に危なくないように、緩やかな段差と角度で、どう間違っても今立ち入り禁止になっている正規の階段のような、危険はないはずです」


 スクリーンに、緩やかな階段が映し出される。


男1「……バリアフリーかと思うほどに、緩やかな角度だからな。うまく転ばないと、捻挫すらしない。一段一段、クッションマットも引かれているし」

女2「そちらではありませんっ。正規の階段での事ですっ」

女1「よく、生きていましたね」


 目を見開いた女1、しみじみと言う。


女1「あの階段は、神経を集中する目的で、角度もほぼ直角。何処かで足を踏み外そうものなら、下まで真っ逆さまで、どう体を捻っても重力で頭から落ちてしまいます。床もコンクリートですし、わたくしのように頭が頑丈な者でも、3日間の記憶が飛んだほどですのに」


 スクリーンの写真が、険しい階段と入れ替わる。


モブ1「……この女1、モデルがいないか?」

モブ2「と言うか、両極端な階段を作った意図が、今一分からないんですが」

モブ1「と言うか、安全対策のやりすぎも、かえって危ないだろう」


男1「……落ちたのか?」

女1「はい。先月の頭に。おかげで三日ほどの授業の内容が、全て飛んでしまいました。特別授業を受けさせていただけたので、事なきを得ましたが」

男1「先月の、頭? 他に、飛んだ重大な話は、なかったか?」

女1「? 父にも確認しましたが、ないという事でした」

男1「あのおっさん……」

 

 何やら毒づく男1の前で、女1再び首をかしげる。


女1「あの後、あの階段は封鎖されているはずですから、その前にそんな被害があったのですね。矢張り、作り替えていただかないと。床も割れてしまったのですから、いい機会です。生徒指導の先生の話だと、私が落ちた理由も、あなたと同じだったようで、その加害者の方に床の修繕費が請求されているそうです。流石に高額過ぎた上に、どうやら先の嫌がらせも同じ方だったらしく、素行不良で退学が決まったそうですわ」

男1「そりゃあ、良かった」

女1「学校内でのその口調は、注意案件ですわよ」


 顔を緩める男1に微笑んだ女1、軽く窘める。

 二人を見た女2、怒りで体を震わせ、


女2「あなた、あの程度の事を、先生にチクってたのっ? 何でそんなに性悪なのよっ。1様、こんな性悪との婚約なんて、白紙にしちゃってくださいっ」

女1「? 婚約? 私が、この方と? していませんよ。父同士が知り合いと言う縁で、良くご一緒させていただいていますが」

女2「はあ?」

男2「ど、どういうことだ? 1、1嬢との婚約は、嘘だったのか?」

男1「……嘘も何もまだ、報告していないはずですが。成立していない縁談なので」


 狼狽える男2を見て、やんわりと言う男1


男1「何処から得た情報でしょうか? その件は、ひと月ほど前から宙に浮いているのです。釣書を贈った先からの返事が、未だにないために」

男2「そ、それは……」

男1「それから、2嬢。あなた、退学になった身でありながら、何故まだ、校内をうろついているんだ?」

男2、3「えっ?」


 驚く男2、3

 目を血走らせて詰め寄ろうとする女2が、ようやくやって来た警備員に取り抑えられる。


女2「離してっ。この性悪女、一度ぎゃふんと言わせなければ、気が済まないわっっ」

女1「ぎゃふんと、でいいんですか?」

女2「きぃーーっっ」


モブ2「ここまでひどくないです、あの子は」

モブ1「そうか。これ以外は、あり得るのか」


女2「1様っ、目を覚ましてくださいっ。騙されているんですっっ」

男1「騙されていようがいまいが、目を覚ます理由はねえよ」


 言い募る女2に近づいた男1、凄みのある笑顔で。


男1「お前のあの程度のせいで、オレはお預け状態が続いてんだよ。死にたくなかったら、大人しく帰れ」


「はい、カットぉ」

 モブ役の二人は、その声と共に深く溜息を吐いた。

「メルヘン、か? これ?」

「定義が、分からなくなりましたね」

 呆れの溜息を吐いた水月と違い、エンは安どの溜息だった。

「……これ以上、話が進んだら、どうしようと思ってしまいました」

「ああ、男が求婚までしたら、親目線になるか?」

 小さく笑った水月に笑い返し、エンは脚本を書いた女に声をかけた。

「ところで浅黄あさぎ君、これの元になった人物たちには、許可は得ているのか?」

 どちらの話も、モデルがいるように感じた男の言葉に、藤原浅黄が首を傾げた。

「許可なんて、いります? きっと本人は、自分の事とは気づきませんよ」

「そりゃあ、着色もすごいから、気づかないだろうが……周囲が気づく。雅さんには、見せたのか?」

「勿論。大笑いしてましたよ」

 大笑いしている時点で、周囲には隠せていないという事だ。

 浅黄の言うように、本人が知る由は、なさそうだが。

「一応、チケットは贈りましたけど、律さんはまだ、本調子じゃないし、来ないと思います。雅姉の話では、こっちのモデルも仕事を再開した後だから、来れるか分からないって」

 答えながら、浅黄は二人にもチケットを差し出した。

「テーマがテーマだから、眠くなるかもしれないけど、良かったらどうぞ。……例の奴らの、血縁者が数名、チケットを購入したと言う報告もありましたから」

 明るい声が、途中で真剣な声音になった。

「本当は、律さんが報告に上がる予定だったんですけど、あれから少し、体調を崩し気味で、休暇を取ってもらっているんです」

「……そうか。大事にするよう、伝えてくれ」

 先の休日の、保護者とその連れ合いの掛け合いに似た場が再現され、危うく砂化しかかった水月が、当人の今の様子を知り、神妙に言伝を頼む。

「例の奴らとは、鳩の坊やを狙う、命知らずの事ですか?」

「その血縁者です。意外に、芸術面で人に興味を持つ者が、多いんです。目で見て引き付ける絵画とか、耳に心地よい音楽とか。今回は特に……」

 言いかけた浅黄は、役者たちと気楽に話す瑠衣を一瞥してから、続けた。

「敵対しているはずの人が、奏者として出演するんで、興味を持った者が多いようです」

 雅の兄弟の浅黄と萌葱は、それぞれ藤原性で学校に通い、卒業した。

 兄弟の萌葱より少しだけ腕力があるのを見込まれた浅黄は、抑え役として水月と常に同じクラスに割り振られた。

 一時期は、休日も別な仕事を割り振られていたが、それ以外の年月は、同い年の女子とも仲良くなり、順調な学校生活をしていたようだ。

 一つの仕事を真面目にこなす萌葱と違い、浅黄は本来の仕事と小説家の、二足わらじの生活を目指している。

 一部には人気があるとは聞いていたが、モデルが身近な人物で、立体感がある話がかけるせいだったのかと、エンは今回ようやく悟ったのだが……。

「あ、雅姉から、戒めとしてネタにしてもらいたいけど、エンさんの許可を取っておいてって、言われたんですけど、いいですか?」

「どのネタかは知りませんけど、許可できません」

 浅黄が切り出した言葉に危機感を覚え、エンはすぐにそう答えた。

 内輪で戒められるのは仕方がないが、話のネタにされた上で万が一、映像化された日には、別な意味で立ち直れなくなりそうなネタが自分には多く、どれを指されての問いなのか判断がつかなかった。

「ええー。ネタが切れて来たんで、参考までに聞きたいんですけど」

「ネタが切れた時点で、もう限界だと思った方が、楽では?」

「ちょっと、カエンさん? それは、底辺の小説家もどきも、敵にまわしちゃいますよっ」

 その会話を漏れ聞いた瑠衣が、心外とばかりに割り込んできたが、エンは穏やかに返した。

「その、底辺の小説家もどきに、現在偉い目にあわされている最中の身なんですよ。一回くらい苦言を呈しても、いいでしょう?」

「だから、内輪中の内輪のネタは、ドツボにはまるからやめとけ。どうせ、文句言って止まる奴じゃない。それにお前は、好待遇な方だろう? ここまで親切に、生活の安定を助ける人材がいるんだからな」

 その人材が大問題なのだが、エンはそこで口を閉じた。

 詰まったと言うより、これ以上は口走ってはいけないと、賢明にも黙ったのだ。

「……そのネタ話には、オレも興味はあるが。今は、それどころじゃない」

 チクリと言ってから、水月は瑠衣が呼ばれて役者たちの方に戻っていくのを確認してから、改まった声を出す。

 それを受けて、浅黄が脚本と共に手にしていた紙を差し出す。

「標的の名前と容姿、です。人の姿をしている時の人相も、簡単に記しておきました」

 上司への報告の口調だ。

 何とも複雑な気持ちになりながら、水月は頷いた。

「当日はお前も、そちら側で忙しいだろう。こちらの方は勝手にやるから、気にせずに仕事を全うしろ」

「はい。有難うございます」

 部下の口調で返事をしてから、浅黄はにっこりと笑った。

「で、どっちを公演したらいいと思う?」

「時間次第だな」

「舞台の様子も、関係しますね」

 前作の分かりやすい話の方が、短い寸劇としては見れるだろうが、物足りないかもしれない。

「短い時間でもう少し台詞をまとめたら、二作目も行けるかもしれません」

「成程。その辺りは、役者のみんなとも相談して、本番に臨むことにする。有難う」

 本番当日、どちらが公開されたのか、水月とエンは知らない。

 現場には行ったのだが、会場には一歩も入らなかったのだった。


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