似ている彼女

 〜〜四年前、演習場にて〜〜


「タケさん。一つ聞いていいですか?」


「なんだ? 今タバコ吸うので忙しいから後にしろ」


「暇してるじゃないですか……」


 自衛隊の屋外射撃訓練場。

 自衛隊の標準装備である89小銃の射撃を主に行う場所である。百メートル間隔で射撃を行うための射座しゃざがあり、そこから離れた的に向けて射撃をする。

 俺は後方の射撃終了者が待機している場所で、タバコをふかしながら面倒くさそうに身体を揺する先輩に一枚の紙を渡す。

 眼光鋭いタケさんの目がさらに細くなり、何やら感心したように口元を歪める。


「……満点か。なんだよ自慢か?」


「じ、自慢じゃ無いですよ。……少しだけ自慢かも」


「なぁ日本一? 俺が射撃苦手なの知って見せてんのか?」


 タケさんは紙を俺に返すと腕組みをして俺を睨みつける。熊をも絞め殺せそうな太い腕を見て俺は少し後ろに下がる。


「た、タケさんは武道が凄いじゃないですか! 格闘家でも目指してるんですか?」


「実はこの前から剣道も習ってるんだ。まぁ、目指すは最強だ」


 素面しらふでそんな事を言うタケさんの言葉は虚飾きょしょく欺瞞ぎまんの響きは一切無く、それを実現できるという確固たる自信のみがあった。


 タケさんは射撃が下手だが、それを補って余りあるほどの身体能力を持っている。自衛隊内の体力検定の際も常に最高の数値を叩き出している。

 日頃から筋トレを趣味にして鍛えてる俺よりも体格が良く、さらには格闘技も多種多様なものに手を出している。はっきり言って人間凶器という言葉がここまで似合う人を俺は見た事がない。


 噂で聞いた話なのだが、車の前部をタケさんが本気で殴ると車が衝突事故を起こしたのと勘違いし、エアバッグが作動するらしい。実際に殴った箇所が大きく陥没するしていたのでエアバッグが作動するのは当然とも言える。


 そんな化け物じみたタケさんに俺は尊敬と畏怖を込めてこう呼んでいる。


 陸上戦最強の男……と。


「……おいハジメ。お前はそんな話をしに来たんじゃ無いんだろ?」


 呼ばれて俺はタケさんを見た。先程までの威圧的な雰囲気から一転、優しい柔和な表情を浮かべている。俺の事をアダ名ではなく、本名で呼ぶときは真面目な話をする時のタケさんの一つの癖みたいなものだ。いや、地の性格である後輩思いからくるものだろうか。


 俺は一度目を瞑って開きゆっくりと口を開いた。


「タケさん……もし、戦争になって……人を殺せと言われたら……どうしますか?」


 俺は小銃の引き金部分を指でなぞり、タケさんを見た。

 俺たち自衛隊は主に国防の任に就いている。もしも、なにかあったときは俺達はこの銃の引き金を引かなくてはならない。すなわち、それは人を殺す可能性があるという事だ。

 

俺は小銃の射撃に関しては天性のモノがあると言われている。


 だが、もし、それが実戦の現場に出たらどうなるのか。俺は撃てるのだろうか。その事を考えると不安に押しつぶされそうになる自分がいる事を知っていた。


 俺の言葉を聞いたタケさんは大きく溜息を吐いて俺を見た。鋭い眼光がさらに険しくなり、俺は目をそらしてしまった。


「目を逸らすな。俺を見ろ」


 いつもより低い声に俺は身体を震わせ、恐る恐るタケさんを見た。変わらない眼光に俺は怖気付くが今度は目を逸らさなかった。


「いいか? 月並みの言葉だが、これだけ覚えておけ。迷ったらこれだけ考えるんだ。いいな?」


 俺はタケさんの言葉に力強く頷いて答える。


「いいか、俺たちが戦う理由なんてな一つあればいいんだよ」


 タケさんは腕組みをしていた腕を時、自分の胸を己の拳で叩く。


「いいなハジメ? その言葉はな……」



 ーーーーー 



 荒い呼吸が俺の耳を刺激する。ドクドクと拍動する心臓が俺の胸を締め付ける。汗ばむ手が手袋越しの銃を滑らす。震える足がまるで自分のでは無いように小刻みに動く。背中からは全力疾走した後で身体が熱かったはずなのに、ゾッとする程冷えていく感じがする。


(……息が……できないっ!?)


 酸素を求めて何度も口から息吸おうと意識するが全く入っていかない。まるで金魚のように口をパクパクと開くがその動きには何の意味も効果も無かった。

 肩を大きく上下に動かし、俺はやがて地面に倒れこんでしまった。

 顔に引っ付く草の葉が煩わしい。全身で感じる地面の冷たさが俺の身体の熱を奪う。

 もはや俺の身体は俺の意思で動こうとはしてくれなかった。


 倒れた俺の目線の先には女性がいた。


 怯えた様子でこちらを見ている。腫れた頬が痛ましく、よく見ると目も殴られたのか、片目が大きく腫れていた。全身の衣服が乱暴に剥がされた所為なのか身体にも引っ掻かれたような傷が多く見られた。

 女性は震える手で剣を構え、無事な方の片目で俺を睨みつける。口からはカチカチと歯が鳴る音がしていて、よく見ると顔色も青白かった。


(…………)


 俺は何も考えられなかった。……ただ……ただ、荒い呼吸の音だけが脳内に早鐘の如く響く。


 女性は立ち上がり、恐る恐るこちらに近づいてくる。剣を握る手に力がこもっているのが虚ろな思考の俺でもよくわかる。

 女性はそのまま俺に近づき、空いた片方の手で木製の棒を持つ。

 ただの木の棒かと思っていたが、その棒は何やら細かな彫刻が為されていてよく見ると綺麗な装飾もされていてただの杖では無さそうだった。


 俺の頭上で剣と杖を構える桃色の髪の女性は、太陽逆光加護を受け、神々しい雰囲気を纏っていた。


「…………」


「…………」


 女性は無言で俺を見下ろしている。俺も無言で見上げていた。


「……アルル、ロイガハテ?」


(……なに? ……なんて言った?)


 どこの国の言葉だろうか?

 女性の口からは意味不明な言葉が飛び出た。俺は意味を理解できずにそのまま苦しんでいると、女性は剣を下ろし杖を俺の身体に向けてきた。


「……ハーエァリンガ……」


(なんだ? ……ッ!?)


 女性が何かの言葉を唱えた。すると俺の身体を光が包み込み身体の嫌悪感が一気に薄れた。

 呼吸が楽になり、俺は大きく息を吸い込む。土の匂いと血の匂い、そして森の木々の匂いが混じった空気はお世辞にも美味しくは無かったが、俺は貪るように空気を肺に送り込む。


「すー……はぁー……すーーー……はぁーーー」


 深呼吸を繰り返すと身体の調子はすっかり戻り、俺はその場に膝を付きながら立ち上がる。


「ハァーエアリンガ」


 女性がもう一度呪文のようなモノを唱えると女性のボロボロだった身体がみるみるうちに癒えていく。俺はその光景に驚き、立ち尽くしてしまった。


(まるで、魔法のようだ)


 それが目の前の光景に驚く俺の頭によぎった言葉だった。昔……いや最近もだが、よくやっていたゲームの回復魔法によく似ていた。


 女性の顔は光に包まれ、完全に元に戻り俺はまたしても驚いてしまった。


 桃色の髪に、幼さの残る顔立ち。美女……というよりも美少女という言い回しの方がいいだろう。

 控えめな胸に締まった身体。身長こそ俺の胸ほどであり高くは無いが、それがまた彼女の可愛さを引き立たせている。

 とてもでは無いが現代日本ではまず見ることの出来ない、ある意味、非日常的なほどの可愛さを持っている。


 俺が驚いたのはそこでは無い。


 似ていたのだ。似ていると思えてしまったのだ。


 俺の、目の前で……


 俺が、助けられなかった彼女に。



「由……紀……?」



 俺の同期、そして俺が想いを伝えられなかった彼女に、目の前の彼女はよく似ていたのだ。


 言葉に対し、目の前の由紀に似ている女性は首をかしげる。無意識の内に俺は自衛官の命とも言える銃をその場に落とし、目の前の女性に抱きついてしまっていた。


「由紀……由紀なのかッ!?」


「〜〜〜〜ッッッ!?」


 いきなり抱きしめられ戸惑う女性は声にならない声を出し、暴れ出す。

 俺はそこでやっと自分が何をしているのか気付く。急いで手を離し、女性を解放する。

 桃色の髪を手櫛で整えながら女性は荒い呼吸を繰り返していた。頬は若干紅く染まり、戸惑いつつもキッと俺を睨みつけてくる。


「ヨォウ……ペロヴェロテ!」


 女性は叫び、手に握っている剣をさらに力強く握りしめる。ギリギリと音が鳴り女性は剣を振りかぶる。そして、勢いをつけて剣の腹を俺の頭に向けて思いっきり振り下ろす。


「ちょっ!? まっ、待って……がふぅ!?」


 身体が動くようになったと言っても、決して本調子では無い俺が、化け物すら容易く葬り去る女性の一撃を防げる訳も、避けれる訳も無い。

 ケブラー繊維で作られた防弾ヘルメットの上から剣を叩きつけられた俺は変な声を出しそのまま地面に叩きつけられる。


 女性の足元に倒れる俺を女性は吐き捨てるように叫びたてる。


「ヨォウ、ペロヴェロテッ! ……フゥッシケ、ペロヴェロテ!」


 薄れゆく意識で俺は彼女が言っていることが何となくわかった気がした。


 それは多分、国が変わっても、人種が変わっても、それこそ世界が変わっても共通する言葉だろう。

 見知らぬ男性にいきなり抱きつかれた女性が吐き捨てる言葉だ。


(この……変態野郎ッ! ……クソ変態野郎……か……な?)


 途切れかけた意識の中で最後に見たのは、剣を振り下ろした女性が我に返り、慌てた様子で俺の肩を揺する光景だった。泣く子をあやすように、優しく揺すられた俺は静かに目を閉じ、自らの視界を真っ暗に染めあげた。

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