一章 自衛官、異世界へ
深き森の装甲車
いつの間にか俺は目を開けていた、いつから開けていたのかは自分でも分からない。
目を開けていた事に気付いても目の前に広がるのは真っ黒な暗闇ばかりで何も見えない。
(…………俺は、生きているのか?)
目を開けても視界に映るのは暗闇ばかり、目を左右に動かしてもそれは変わらない。
手足に力が入りづらく、非常に緩慢な動きしか出来ない。
ピッ、ピッ、ピッ。
身体の左側から何かの音が聞こえる。電子音の様に聞こえるそれは規則正しいリズムで俺の鼓膜を揺らす。
ピッピッ、ピッピッ、ピッピッ。
電子音はリズムを変え、続けて俺の耳に届いた。
(何の音だ? ……どこかで聞いたことがある気がするな)
声には出さず心の中で聞き覚えのある音を思い出そうと、ぼんやりとした記憶を探る。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。
ブー、ブー、ブー。
リズムを変えた電子音とともに胸の辺りで何かが振動しているのを感じる。
俺は暗闇の中、右腕で左胸のポケットを探る。
視界が確保されてないせいか、振動の発信源をなかなか掴めない。
俺がモタモタしていると胸から振動を発している物体から、いきなりラッパの音が聞こえた。
「フォッ!? き、起床!」
自衛隊の駐屯地において毎朝六時に必ず流れる自衛隊ラッパ演奏による起床の合図。ゆったりと流れるラッパの音とは対照的に俺の身体は一瞬にして覚醒し、その場に立ち上がろうとする。
「痛え!?」
立ち上がろうとした際に頭に何かを思いっきりぶつけてしまったようだ。俺は頭を押さえて未だに鳴り続けるモノを胸から取り出す。
液晶画面の光が寝起きの瞼を大きく開かせる。画面に描かれた数字はデジタルな文字で06:00と書かれており、画面の左上には圏外と表示されていた。
(スマホ……圏外か。まあいい、丁度明かりが欲しかった所だ)
俺はスマホの画面を懐中電灯代わりにして辺りを照らしてみた。全てがハッキリと見えた訳ではないが、視界は充分に確保されていた。そこには様々なモノが雑然と置かれている。銃火器や食料、発煙筒に弾薬などが大量にあった。
それらは武器監視の際に他の隊員から受け取り装甲車に詰め込んだものと一致する。この狭い場所は俺が乗っていた装甲車の中で間違いなさそうだ。
(それにしても……あれは、夢だったのか?)
意識を失う直前のことを思い出す。
身体を焼かれた感覚。そして耳を捨てたくなるほどの大きな爆発音。それによって粉々に砕かれた自身の身体。
目の前で炎に焼かれた同期。北村由紀。彼女の事も思い出した。
(……いや、夢であって欲しい)
最期に見た光景から逃れるように瞼を擦り、頭を振って払う。
一息ついて俺はスマホのカメラモードを起動し、フラッシュを点灯させる。
数分前までの薄暗さが嘘のように晴れ、視界は充分に確保され、先程よりも鮮明になった車内は思っていたより広く感じた。
俺はゆっくりとその場に起き上がり、今度は頭をぶつけないように中腰の姿勢になりながら後部にあるドアのレバーに手をかける。
電源が切れた時にも開けられるように、この装甲車のドアには電動式のスイッチと手動式のレバーがある。俺がレバーに手をかけた時、足元に何かが引っかかる。
「あ、俺の銃だ。危ねぇ踏むとこだったぜ」
自衛隊の携行火器である89小銃。厳しい訓練を共に乗り換えた俺の相棒であり愛銃だ。
スマホを胸ポケットにしまい小銃を片手に持ちレバーをゆっくりと動かす。ギギギッという不快な音を出しつつもドアは開いた。端から漏れ出す光はスマホの光よりも遥かに眩しく照らし、俺の目を痛烈に刺激する。
「なん……だと……」
目の前に広がる景色に俺は無意識にその言葉を口にしていた。
視界に広がるは広大とも言える森林。
目線の先にある木の幹は今まで見たことが無いくらいに太く、背が高かった。生い茂る深緑の葉は上空の日の光を遮るしているほど深い。木の幹に張り付いてる
しかし、装甲車がある場所の周辺だけは木が一本も生えておらず草地となっており、さながら台風の目の場所にいるようだった。いや、ミステリーサークルの中心にいるという表現も的確だろう。
俺は何度も目をパチパチと瞬きをしてもう一度森を見る。俺がいたはずの野営地はむき出しの地面に作られていた筈。……間違ってもこんなに大きな木があるような森林の中では無かった。
「どういう事だよ。一体……何が起こっているんだよ!」
混乱する頭の中を落ち付けようと俺は何度も頭を強く叩く。しかし、そんな無駄な事をしても目の前の現実は覚めるはずが無く、頭部に鈍い痛みを残しただけであった。
(……悩んでいても時間の無駄だ、なんとか情報を集めなければいけないな)
俺は装甲車から地面に降り立った。ズチャリッという地面の感触にこれは夢では無く現実なのだという事を再確認されたような気さえしてきた。
鼻から息を吸い込むたびに、森の濃厚な香りが肺に入ってくる。
湿り気のある土の匂い。
新緑の葉から溢れ出す新しい命の新鮮な香り。
深緑の葉から醸し出す濃厚な命の濃厚な薫り。
お日様からの恵みをしっかりと吸収しているのがわかる。
俺は今まで感じたことの無い空気を全身で感じ、ただひたすら深呼吸を繰り返していた。
(あぁ、気持ちいいな)
身体に取り込んだ空気が細胞の一つ一つに活力を与えているような気さえする。
現代日本でここまで澄んだ空気を吸える場所があるだろうか。いや、下手したら世界中を探してもこんなに澄んだ空気は無いはずだ。
俺は気が済むまで深呼吸をして、ふと、周りを見渡してみた。
周囲三百六十度、全てが木々で囲まれている。その中にポツンとある装甲車のなんとも場違いな様子に俺はつい笑ってしまった。森林迷彩の車体の色が少しでも森の色に馴染もうとしているのがなんとも滑稽に見える。
(周囲に人の気配は無い……か)
俺は鳥の鳴き声を聞きながら胸ポケットを探り、タバコを取り出す。
口にくわえ火を点けると独特な臭いが鼻をつく。
先程の新鮮な森の匂いとは天と地ほどの差がある空気を俺の身体中の細胞は欲している。身体に決してよくは無いモノを俺の身体は嬉々としてうけいれていたのだ。
紫煙が黙々と森へ消えて行くのを俺は目で追う。
ガサッ、ガサガサッッ
煙が吸い込まれた先、俺の目線の先にある草むらが揺れたような気がした。
「……誰かいるのか?」
俺の質問に答える声は無い。
もしかしたら野生の鹿等があるのかもしれない。
俺は無警戒に音がなった場所に歩いて行く。
ガサガサッ。ガサッ、ゴソゴソッ。
視線の先にある草むらが大きく揺れる。俺はその場に足を止め、念のために銃の
俺が装填をした理由は二つある。
一つはもしかしたら目の前に隠れているのは鹿では無く、危険な野生動物、例えば熊や猪の可能性もあり、襲われた際に反撃ができるようにだ。
そして、もうひとつ。
(やっぱり……これは夢じゃない。現実だ)
慣れ親しんだ動作、銃の感触。
俺は改めて、自分に起きているどこか
俺はゆっくりと息を吸い込み、吐き出し呼吸を整えた。
「誰か?」
草むらに向けて
…………返事は無い。
「誰かッ」
俺は先程よりも力強く声を出す。
……返事はまたも無い。
「誰かッッ!」
怒鳴りつけるように威圧的な声を草むらに向けて吐き出す。
返事は無かった。
だが、返事の代わりとばかりにそれは草むらから姿を現した。
俺はそれを見た瞬間に驚き、不覚にも尻餅をついてしまった。冷えた地面の感触が臀部と身体全体を一気に冷やす。
それは小さな人間のようであった。大きさで言えば小学生の子供ぐらいだろう。だが、その顔は子供の可愛らしいものとは断じて違っていた。
長く伸びた鼻と耳。血走った目。耳の近くまで裂けた大きな口に黄ばんで汚れた歯。ボロを纏った都会のホームレスよりもみすぼらしい格好。体の割には長い手足に伸びきった爪。その手が握るのは錆びきった上に刃が欠けたナイフ。そして何よりも人では無いと判断できたのはその身体の色だ。
上から下まで緑色に染まっていたのだ。
「ゲギャギャギャー!」
醜悪な口から薄汚い声が聞こえた。誰がどう聞いてもそれが人語では無いことは一目瞭然だ。
醜いそいつは俺が尻餅をついてあたふたしているとニヤリと笑い、勢いよく走ってきた。
「お、おい! とト、止まれ、止まらんと撃つぞ!」
俺の裏返った声にそいつは聞く耳を一切持たず加速して迫る。
(クソっ、恨むなよ……)
俺はそいつの足元に照準を合わせ、引き金に指をかける。そいつは俺が構えても怯む様子は全く見せず、それどころか下卑た笑みすら浮かべていた。
(
俺は、引き金を引いた。
カチリという音がやけに大きく俺の耳に響く。
弾は……出なかった。
変わらずに猛然と迫る醜い化け物。俺は弾が出なかった事に驚き混乱してしまった。
「はぁ!? なんで出ねぇんだよ! 故障か?」
俺は一度槓杆を引く。薬室に込められていた弾丸が排除され空を舞う。そして新たな弾丸が薬室へと装填され、射撃準備は整った。
もはや醜い化け物は目と鼻の先にまで迫っている。
この距離ではもはや足を狙うなど悠長な事は言えない。俺は迫り来るそいつに狙いを定めず引き金を引いた。
弾は……またしても出なかった。
弾が出ない事と目の前に迫る化け物に俺の頭は混乱の極みに達していた。
「ふざっけんな! なんでだ! なんで出ないんだ、……あっ……」
その時、俺は最も基本的な事を忘れていた事に気がついた。銃の横についているレバー。
それは銃の射撃方法を変える部品だ。
セミオートの単発。
三点バーストの三連。
フルオートの連射。
それぞれレバーに対応している。
俺が今持っている銃のレバーは、もっとも
弾が絶対に出ない、セーフティーの安全装置。
そこの位置にレバーがあった。
時、すでに遅し。
安全装置がかかっていた事に気付いたのはいいが、それを変える時間は無い。
何故ならば、醜い化け物が持つ錆びたナイフが俺の胸に振り下ろされた後なのだから。
胸に響く鈍い衝撃に俺ができる事は唯一つ、目の前の化け物よりも醜い悲鳴の声を上げるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます