10 メイド長さんの勢いがすごいです
アナスタシアは屋敷の中にあるお風呂場に案内されていた。ここまで優しく手を掴まれ、連れてこられたわけだが、一度では自分がどうやって此処まで来たのかは把握できない程の道のりだったのは確かだ。今からアーヴェントの部屋に戻ることも出来ないだろう。
「速足で連れてきてしまって申し訳ありませんでした。でも、せっかくのハーブ湯の効能が薄くなってしまってからではもったいないじゃありませんか。ね?」
明るく、にこやかにアナスタシアを連れてきたラストと呼ばれていた女性が振り向きながら声を掛けてきた。露出が少し多めのメイド服のフリルと艶やかな黒髪のポニーテールが揺れて、右耳のピンク色のピアスがきらりと光る。
「あ、あの……」
アナスタシアの反応を見て、相手があっと小さく呟いた。
「そうだっ。自己紹介がまだでしたね。
「ラスト様」
「ラスト、とお呼びください」
ぴたっと身体をくっつけながら耳元で呟かれる。ラストの豊かな胸がアナスタシアの身体にそっと当たる。
(ち、近い……それに何か大きなモノがあたってる気が……)
「ふふ。可愛らしいですね、アナスタシア様は」
(……?)
彼女の口から出た言葉がどうにもすっと頭に入ってこない。目を下に向けながらその理由をアナスタシアは考えていた。
(可愛い……その言葉を言ってくれるのはメイだけだった。昔はお父様やお母様がよく言ってくださっていたけれど……)
―いいこと、アナスタシア? あなたを可愛いなんて言ってくれる人はもうこの世にはいないのよ―
ふと、フレデリカからよく言われていた言葉が脳裏によぎる。
(あっ……)
その時、ふいに抱き寄せられる。いい匂いが香ってきた。ラストのつけている香水の香りだろうか。
「……大丈夫ですよ。今、ここにいるのは
トントン、と抱き寄せたアナスタシアの背中にラストが右手で優しくリズムを刻む。
(……不思議……とっても落ち着く)
「さ、お湯に浸かりましょう。きっと気分もすっきりしますよ」
「はい……そうします」
さっきまでは入るのに躊躇していたアナスタシアだが、いつの間にか入ってみようという気になっていた。ラストは明るく勧めてきたが、決して強制はしていなかった。恐らくは彼女の持つ不思議な魅力によるものなのだろう。一着しかない大切なドレスを脱ぎ、その他の衣服もラストに預かってもらって湯場へと進んでいく。湯気が部屋中に溢れているのが見て取れ、ハーブの良い香りが漂っていた。
(とても良い香り……)
後からラストが支度を整えてやってきた。
「さあ、どうぞ湯の中へ」
「はい。失礼します……」
ゆっくりと足の先からお湯の中に浸かる。温度は熱すぎず、適温だと感じた。自然に大きな息が口から洩れる。
「はぁ……」
(こんなに立派なお風呂、いつぶりだろう……とっても気持ちがいい)
「まずはよく身体を温めましょっ。身体を洗うのはその後で大丈夫ですからねっ」
ラストが明るい笑顔で話しかけてくる。
「このお湯に使っているハーブも庭園のものなんですか?」
「はい。そうです。このお風呂場にある石鹸や香油などもオースティン家の逸品です」
アナスタシアは俄然、屋敷にあるという庭園が気になっていた。先ほどもアーヴェントに一緒に行こうと誘われていたことを思い出す。心臓の音が大きくなって戸惑う。
「それでは身体を洗いましょうか。香油も使って髪も綺麗にしましょうね」
「はい……宜しくお願いします」
「ふふ。敬語も結構ですからね。何でも気軽に言ってくださいませ」
身体や髪を洗っているうちに心地よくなってきたせいもあるのか、自然と敬語でのやりとりがなくなっていた。お風呂を出る頃には昔から接し慣れているメイドのような気がしてきていた。
「それじゃ、お着替えをご用意しましたので髪を乾かした後にお手伝い致しますねっ」
「ありがとう、ラスト」
「光栄ですわ」
(ミューズ家ではメイ以外、見知った使用人はいなかったし皆に冷たい目で見られていたから忘れていたけれど……何かをしてもらうってこんなに嬉しいことだったのね)
そうアナスタシアが考えている間にもラストはてきぱきと動き、髪をくしで整え、乾かしてくれた。その後は用意してくれた衣服に着替える。それから全身が映る大きな鏡の前に立つ。そこには今まで見たことがない程、綺麗な女性が立っていた。瞳の色が青と赤のオッドアイなので、鏡に映っているのは正真正銘アナスタシアで間違いない。
「これが……私……?」
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