9 ついに彼女と出会えた

 ラストと呼ばれるメイド風の女性にアナスタシアが連れていかれ、部屋の扉が勢いよく閉まる。少しの間の後、ゾルンが椅子に腰かけるアーヴェントの横に立ちながら口を開く。


「ラストは通常運転ですね。扉をノックしていた時からご主人様のお話は長い、と苦言を呟いていましたから」


「だが、彼女に任せておけば安心なのも事実だ……」


 受け答えはしているが、アーヴェントの反応が薄い。ゾルンが少し覗き込むように座っているアーヴェントの表情を伺うとぼーっと呆けている様子だ。ふむ、と小さく呟いた後に彼がアーヴェントに声を掛ける。


「今の表情はアナスタシア様に見られてはまずいように感じますが」


「……すまない。つい……彼女の青と赤の瞳を思い出してしまっていた」


 アーヴェントが言っているのはこの部屋に来てアナスタシアが自己紹介した時のことだ。


「アーヴェント様が凝視して、アナスタシア様を萎縮させてしまっていましたがね」


「う……相変わらずゾルンははっきり言ってくれるな」


「執事長として物怖じせずにご主人様に注意を促すのも務めですから」


 バツが悪そうな表情をしながらアーヴェントは残っていたローズティーの入ったカップを口につける。そのまま飲み干すと溜め息を吐き、カップをソーサーの上にそっと置く。


「……とても綺麗な瞳だった。吸い込まれてしまいそうなほどに」


 再び、思い出すように語るアーヴェントの表情は柔らかい青年そのものだった。流石にアナスタシアの前で常時この表情ではまずい、という自覚はあるようだが。


「そうですね。アナスタシア様の瞳はこの世界で唯一無二とまで言われたものですからね」


「そうだったな。それがまさかだったとは思ってもみなかった」


「ですが……現在はそうではなさそうでした」


 ゾルンが執事服の胸元に右手を入れて、四つ折りにした紙を取り出しながら口を開く。数枚はあるように見えた。声色が先ほどまでよりも低くなったことにアーヴェントも気づいたようだ。座ったまま、視線を正面に向けゾルンに声を掛ける。


「……ミューズ家のことについて調べはついたのか?」


「はい。大体のことはこちらにまとめてあります」


 スッとアーヴェントの横からテーブルの上に広げた数枚の紙が置かれる。彼は黙ったまま、その紙を取ると書いてある文字を目で追っていく。全ての文章に目をやると、そっとその紙をテーブルの上に粗雑に置く。表情は真剣なものに変わっていた。


「ゾルン、今後ミューズ家からくる手紙、荷物などはアナスタシアに直接渡さずに必ず俺の元に届けるように屋敷の者達に周知してくれ」


「かしこまりました」


 一息ついたアーヴェントは先ほどまでアナスタシアが座っていた反対側の椅子を見つめながら口を開く。


「……ついに彼女と出会えたんだな……」


「はい。そうですね」


「なあ、ゾルン。彼女にはここで幸せになって欲しいと思うのは俺の我がままだろうか」


「差し出がましいかもしれませんが、私もそう思っております」


「そうか」


 ゾルンは頷いた後、二人分のカップとソーサーを片付ける。そして後片付けをしながらアーヴェントに声を掛ける。


「本当なら、今アーヴェント様が仰ったことをそのままアナスタシア様に伝えられれば一番良いのですがね」


 アーヴェントはゾルンの言葉を聞いてムッと眉間にしわを寄せる。そして大きくため息を吐きながら言葉を返す。


「……それが出来れば苦労はしないさ」


「その通りですね」


 片付けを終えたゾルンが再び、アーヴェントの横に立ちながら呟く。


「ゾルン、少しは気を使ってくれ」


「これは失礼致しました」


 澄ました表情でゾルンは丸眼鏡の位置を軽く直すのだった。

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