ミント・シロップ

@o714

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 あんまり日に焼けてない不健康な白色をした細っこい腕が、更に細いオールの持ち手を取ってまだ穏やかな波に乗り出そうとする。あの子はぼくの妹だ。太陽の出ていない反対側の空がもう幕の外に消えていく時間。すべてを忘れて海原に出ていく時間。別に世界を一周しようなんてしているのではない。ちょっと沖合まで出ていくだけだ。

 そんなに笑わないで。ぼくは大いにふざけているけど、笑われるのは好きじゃない。世界周遊なんて妄想がちらりと頭をよぎってもいいじゃない、書き手の自由っていうのはつまりそういうものだろう。例えば、『マゼラン船長!』と彼女を遠く呼ぶ声。まだ浅瀬は終わらないみたいで海面を覗けば白砂が見えるみたいだ。こういう情景がどんどん連なって山脈みたいになってから、皆初めてそれを人生と呼ぶ。ぼくはその逆。人生をどうしようもなく細かく刻んで、もう復元できない欠片をふと机の上に並べてみる。

 間違っているとは思わない、だってあんなに綺麗な海だから。


 しりとりをすると、『海』の後には『密室』がやって来ることがわかる。確かに対極だ、陰湿なほど。もし二分探索をするなら、ようやく一枚埋まったばかりのこの原稿は『海』か『密室』、果たしてどっちだろう?ぼくが投資家なら胸を張って『海』と答えられるのだけど。一つ伸びをして天井を見つめると、天井の板目が真っすぐ走っているのが見える。


 室内なのに生暖かい空気が分厚い壁を作ってぼくを邪魔しようとして(その日は空調が壊れていたらしい)、それを不格好に躱しながら食堂の席に着く。水を汲んでくるのを思い出してのっそり席を立ってから再び戻ってくると、見知った顔が正面の席を平然と使っていた。

「授業出てなかっただろ」

「自分は出ましたみたいな顔するなよ」

 しまった、というような間抜けなピエロの顔を一通り演じて、案の定不評だった。

「面白いな、おまえ」

「なんでそんなイラついてる?」

「ちょっとな」そう言って黒木は皿をがつがつと掻き込む。ぼくは出来るだけ顔に出ないようにしながら、でも少しだけ眉がひくついてしまった。でも何か言い出す訳にもいかなくて、黙ってどんぶりに口を付ける。黒木はあっという間に食べ終えて、コップの作った水の跡をなぞって延ばしながら話し始めた。

「俺に足りないのって、なんだと思う」

「色気」

「そういうのじゃない」

「じゃあ何だ?勿体ぶってもこっちは名探偵じゃないんだ」

「いやね。多分俺には先輩としての威厳とか近寄りがたさってのが足りてないと思うんだよ。みんな雑用みたいに扱き使うし…」

 そんな風に語る奴の様子を写真に撮って、周りに見せつけてやりたいもんだ。

「人気者でいいじゃないか」

「それがさ、執行部に入ってから碌でもない話で頼られるんだ。俺は相談無料の法律事務所か?」

「どんな話?」そう聞き返すと、黒木は意地悪くにやつきながら言う。

「気になるだろ?じゃあお前も付いてこい」

 そこでようやく、ぼくは自分が嵌められたことに気づいた。




 


 

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