第2話 目覚めの時
「シルヴェーヌ様。お目覚めの時間です」
「はい」
聞いたことがない女性の声。いや、そもそも私の耳が聞こえている事が新鮮だった。
私は目を開いた。ベッドの脇には小柄な女性がいた。金色の髪なのだが、肌は艶のある金属で瞳はルビーのような深紅だった。これは金属製の自動人形だ。彼女は黒いエプロンドレス、いわゆるメイドの衣装をまとっており、頭部の白いプリムが可愛らしい。自動人形なんだけど。
「おはようございます。私はセシルと申します」
「おはよう。セシルさん」
「今日から私がシルヴェーヌ様のお世話をさせていただきます」
「ありがとうセシル。ところであなたは自動人形なの?」
「はい。私は帝国製の自動人形です。キャトル型A02、製造番号AH900201」
「帝国製?」
「はい。私は旧パルティア王国に仕えていた者です。製造より、およそ1000年が経過しております」
そうだった。我々のシュバル共和国は、帝国の支配下にあったパルティア王国を革命により倒した後に建国されたのだ。パルティア王国の資産は当然として、帝国が残した資産もそのまま利用されている。
「帝国製の自動人形は、1000年以上も稼働するのですか?」
「はい。2000年以上稼働している固体も存在しているようです」
「メンテナンスが大変そうですね」
「ええ。そのようです」
「ところで、金属製の筐体は戦闘用ですか?」
「一般にはそのように言われておりますが、キャトル型タイプAは家事機能に特化してあります。勿論、自衛用としての戦闘能力も付加されておりますが、数値としては一般的な兵士数名分となります」
「そうなのね。私は護衛が必要な立場なの?」
「その質問にはお答えできません」
この言葉は肯定と受け取って良いはずだ。帝国で自動人形と呼ばれるこの機械人形は、嘘が付けないように設定してある。つまり、彼女が返事をしない事、それは肯定したという事。違うのなら必ず否定する。セシルを困らせては不味いと思い、この事はもう聞かないと決めた。
「ごめんなさいね。私は……今日から何をすればよいのでしょうか?」
「フランソワーズ女学院中等部へ通学せよ。本日は午前10時までに登校し、学園長室へ直行せよとの命にございます」
「わかりました」
そう返事はしたが、実はわかっていない。何の事やらさっぱりわからないのだ。
そもそも、私は自身の記憶がない。父と呼んでいたあの人との会話だけが私の全てだった。多分ひと月ほどの、心の中での会話。私たちの国の成り立ちと、平等という概念の大切さ、醜い宗教とその信奉者である帝国は滅ぶべき存在である事など、そんな事を話していた。
父との会話で学んだことは、国家の概念と倫理観であろうか。語学や社会的な通念は習わなくても理解できていた。恐らく数学や科学についても同じなのだろう。
「朝食の支度が出来ております。さあ、こちらへ」
「ありがとう」
セシルの案内に従い、私は体を起こしてみた。そう言えば、私は体を動かした記憶がない。しかし、不自由することも無く自然に体を起こすことができた。私はえんじ色のパジャマを着ていたのだが、もちろんいつ着たのか記憶はない。誰かに着せてもらったのだろうけど。
ベッド脇のテーブルにはコッペパンとスープに、ゆで卵とサラダが添えてある簡素な朝食が並んでいた。これを簡素と感じるのは普通なのだろうか。人によっては豪華なのかもしれない。もしかすると、私の基準は裕福な家庭に準じているのか。それはそうなのだろう。だって、自室は与えられているし、自動人形のメイドが朝食を用意してくれているのだから。だったら私は一体、何者なのだろうか。疑問は尽きないのだが、深く考えても仕方がない。わからない事はいくら考えてもわからないのだ。空腹を覚えていた私は目の前の食事を片付ける事にした。
特に問題もなく、食べることができた。スプーンやフォークも問題なく使うことができた。過去に何度も食事はしているのだろう。私の記憶にないだけなのだ。
食事を終えた私は、部屋の隅にある洗面台へ向かった。ここが洗面台なのはわかったが、どう使えばいいのかがわからなかった。
「こちら右側の蛇口の取っ手、水色の印がついている水栓を左に捻ると水が出ます。止めるときは右に捻ります。左側の赤色の印が付いている水栓を捻るとお湯が出ます」
「お湯も出るのね」
「70度ほどのお湯が出ますのでご注意ください」
「わかりました」
洗面台の排水溝を黒い部品で塞ぐと洗面台に水を溜める事ができるのか。早速やってみた。水とお湯の両方を出して、適当な温度にする。そして自分の顔をざぶざぶと洗った。これは気持ちがいい。セシルから受け取ったタオルで顔を拭く。
「シルヴェーヌ様。次は歯を磨いてみましょうか」
「歯を磨く?」
「ええ。この歯ブラシに磨き粉を付けてごしごしと歯を擦るんです」
いきなり歯ブラシなる物を手渡された。これで歯を擦ればいいのだろうか。勇気を出して歯ブラシを口の中に突っ込み、歯を擦ってみる。口の中に爽やかな、ちょっと辛い感じの味が広がった。これ、ちょっといいかも?
セシルの方を見ると、赤い瞳を点滅させながら頷いている。私はさらに、ごしごしと歯を擦ってみた。
「歯の表側と裏側、奥の方まで丁寧に擦って下さい。力を抜いて優しく」
セシルのアドバイスに従い一生懸命にブラシで磨く。
「そうです。お上手ですね。じゃあお口をゆすぎましょう」
セシルが差し出したコップの水を口に含んで、ぺっと吐き出す。物凄く爽やかだ。これは多分、初めての経験なのではなかろうか。いや、私に記憶はないのではっきりとしたことは言えないのだが、こんな経験はした事がないと思う。
その後、私はセシルに手伝ってもらって学院の制服に着替えた。紺色のブレザーに赤い棒ネクタイ、そして下は短めのプリーツスカートだった。
その時はじめて、私は自分が女である事に気づいた。これは知らなかったというよりも、すっかりと忘れていたという感覚だった。
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