第15話 ナミダの提案

「……二人っきり、ですね」


 ライリーは、エレットの一言にドキリとする。そうか、今この部屋には二人しかいないのか……。


「……あの、お話を、してもいいですか?」


 エレットは顔を正面に向けたまま尋ねた。ライリーは様々な思考を解き、一度だけ頷いた。


「わたくし、まだライリーさんと出会って間もないので……厚かましいかもしれませんが……」


 エレットは声を震わせながら、ライリーへと言葉を送る。


「気にかけてくれることが本当に嬉しくて、でもだからこそ申し訳なくて」


 エレットは、はぁはぁと息を荒くしてから、ゆっくりと息を吸い込んで一言放った。


「愚痴を言っても、いいのでしょうか」


 流れとは少し違った唐突な言葉に、ライリーはほんの少しだけ驚いた、しかし、そう言うのを分かりきっていたかのようにニコリと笑い、エレットの顔をしっかりと見ながら優しく言葉を返す。


「もちろん!」


 短い一言であったが、エレットにとっては救われるような一言だった。それは、多忙な両親と執拗な使用人たちの間に挟まれ、日々与えられてきた苦痛すらも跳ね除けてしまうような、そんな一言であった。


 エレットは横に座った「友人」の顔を見て、つーっと涙を流してしまう。だが、それはエレットの吐露を止める抑止力にはならず、彼女の口からは今までの感情がポロポロとこぼれ始めた。


「ずっと、嫌だったんです」


 エレットはゆったりと、しかし強い声で話す。


「お父さまも、お母さまも、いつもお忙しそうで……わたくしにはお話し相手がいませんでした」


「……そっか」


「だからこそ、わたくしにご指導下さっている皆さまとなら楽しく過ごせるかな、と期待していました」


 エレットは俯きながら、悲しみの感情を言葉に変換していく。ライリーは、ただひたすらに聞くことしかできなかった。


「実際には違いました。わたくしが何かをする度に、『できて当然』、だとか、『このくらいのことができない人間はいない』、だとか、彼女たちは私を褒めてはくれませんでした」


 ライリーは、その言葉を聞いてルサークの姿を思い出す。優しさのある彼女もエレットを褒めることはなかったのだろうか、と疑問に思ったのだ。


 しかし、ルサークはあくまで仕立て役。そもそもエレットと接触する機会すら少ないのかもしれない。ライリーはそれを考えて納得した。


「たしかに、『褒めてほしい』だなんてワガママだと思います。ですが、あそこまで見放されるだなんて、わたくしは耐えられません」


 ライリーは、ベッドへ落ちていく二粒の雫を見ながら、どんどんと胸が締め付けられていく。なぜあの人たちはこの子をここまで苦しめるのだろうか。そんなことを考えながら。


「……また、ワガママを言うことになりますが……これ以上求めないと誓うので……!」


 エレットはライリーの両肩を掴みながら、青い瞳が湖に見えるほどの涙を流して声を絞り出した。


「たすけてっ……ください……!」


 その声を聞いたライリーは、今まで自分の何かをつなぎ止めていた糸がプツリと切れ、エレットに向けて大きく頷いてから、「待ってて!」と声を上げた。そして、部屋を一気に飛び出し、一度自らの部屋へと戻る。


 部屋に戻るなり、ライリーはエイドに大声で質問する。


「エイド!ハイオット・ルサークって人を知らないかしら?」


 突然訊かれたエイドは困惑し、皿を洗う手を止めた。


「えっ、あぁ、ルサークさんですね。一つ上の先輩なので存じてますよ。たしか、四階の階段正面のお部屋――」


「ありがとう!!」


 そう言ってライリーは部屋を飛び出し、急いで階段を駆け上がった。そして、階段正面の部屋をコンコンと叩き、中にいる人物が誰なのかを確かめる。


「失礼します。ハイオット・ルサークさまのお部屋であっておりますでしょうか!」


 その声を轟かせると、内側から扉が開き、予想通りルサークが顔をのぞかせる。


「はい、そうですが……あれ?」


 ルサークは少し困惑したが、下を向いてからようやく理解する。


「ああ、あなたでしたか。どうされました?」


「あの、急に押しかけてきて申し訳ないのですが、エレット王女のお衣装をいくつか貸していただけませんか?」


「王女様の……?どうお使いになられるんですか?」


「――っ、理由はなんでも良いでしょう?」


 ルサークは、なにかを隠そうとするライリーを見て、ひとつの考えを持つ。ははーん、この子、お着替え会でもするつもりですね。この歳の女の子らしくて良いじゃないですか、と。


 そうと分かれば準備は早い。ルサークはライリーを二階の倉庫へと連れていき、仕立てたばかりの服の数々を見せる。


「ここからここまでは、まだ王女様も着用なさっていない新品です。せっかくですし、こちらからお選びください」


 そこにあった多くの服は、まさに「王女」の名に相応しい美しいものばかりであった。本物かどうかは分からないながらも、色とりどりの宝石がちりばめられた服や、シルクで作られた手触りの良いものまで様々。ライリーはそれらを吟味しながら選んでいく。


 最終的にライリーは六着もの服を選び、「持って行って大丈夫ですか?」と問う。ルサークは選定された服たちを意外だと思いつつも、「ええ、大丈夫ですよ」と答えた。


 ルサークは、両腕いっぱいに服を抱えたライリーを見て、「部屋までお持ちしましょうか?」と尋ねたが、ライリーは「持てます!」と自信満々に宣言し、倉庫から外へと出ていった。


 ルサークはその様子を眺めてから、残った服たちの様子を確認する。すると、管理が甘く虫に食われた服を見つけてしまった。その事実に悔しさを覚えながらも、直してから帰らなければ気が済まない、と裁縫道具を取り出した。


◇ ◇ ◇


 ライリーは、服を抱えながら階段を上る。しかし、服とはいえ六着も持つとそれなりに重い。ライリーは落とさないように気を払っていたが、踊り場に到着するはずみで服を一着落としてしまう。


 すると、前から中年の使用人が降りてきて、服を落としたライリーの近くで「何をやってるんだか」と囁いた。


「そんなに服を持って。なにを企んでいるんですか?」


「――企みなんてありませんよ」


 ライリーはこれ以上絡まれたくない、と服を急いで拾い、三階で待つ王女へ服を届けに上がっていく。使用人は、追いかける気力もなくただライリーを見送った。


 三階に到着したライリーは、ノックもせずエレットの部屋へと入った。


「戻りました」


 その言葉を聞いたエレットは、その場に立ち上がってから驚愕する。ライリーは、上下セットの服、六着をその場に置いた。


 エレットは置かれた服へ近づいていき、どのような服があるかを確認する。色は青と桃色と白しかないが、そのどれもが豪華というよりはむしろ質素で、ドレスと称するにはあまりにも目立った要素がないものばかりだ。


「エレットさん、これが全部入るくらいのバッグはない?」


「あ、ありますけど……どうして……ですか?」


「あるんだ。ならそれを持ってきてもらってもいいかな?」


 エレットは服の観察をやめ、少し急ぐようにバッグのある場所へと向かった。そして、あの服たちと合うような質素なバッグを選んで持っていく。


「は、はい、持ってきました」


「ありがとう」


ライリーはエレットからバッグを受け取るなり、どんどんと服をバッグに詰める。そして、全て入れ終わってからエレットに確認をとる。


「ねぇ、これがなかったら生きていけないとか、何も食べられないとか眠れないとか、そういうものはない?」


「え、えっと……どうですかね」


「あるなら用意しておいて」


 そう言い残して、ライリーはまた部屋の外へと出ていってしまった。エレットは困惑したが、言われた通り「これがなかったら眠れないもの」、である小さなクマのぬいぐるみを用意した。


 エレットがソワソワと落ち着かない様子でしばらく待つと、ライリーが中型のバッグを持って帰ってきた。エレットは、何か心に決めたような顔つきのライリーに、改めて質問を投げかける。


「あの、こんなに荷物をもって、どうするのでしょうか……?」


 その質問を聞いたライリーは、数刻だけ考える素振りを見せてから、これまでとは全く違う大真面目な顔で口を開いた。


「――遠くへ逃げちゃおうよ、二人でさ」


 少し前まであんなに青かった空が、急にオレンジ色に変わった。

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