第10話 苦しさがこぼれる

 コンコンと戸に打音が響き、ライリーはゆっくりと扉を開いた。キィーッという音が響くと共に、半泣きの王女様が姿を見せる。


 ライリーは少し驚いた。王女に会いにいくことを迷っていたときに、その王女が半泣きで現れたのだ。


「と、とりあえず入って!」


 ライリーは王女を部屋に引き入れ、ソファに座らせた。すると、王女は涙を右目から流しながら、嗚咽するように言った。


「ご、ごめんなさいっ……」


 ライリーはまたしても驚いた。それと同時に、とてつもない苦しみに襲われた。なぜエレットが泣きながら謝罪しているのか。この子はなにもしていない。むしろ被害者だ。ライリーはなにか言葉を返そうと試み、思い切って声を震わせる。


「――ごめんなさい」


 口から出た言葉は、まるでオウム返しのような同じ言葉だった。あの時、文句のひとつも言えなかった後悔、ブレスレットという悲しみの原因を作ってしまった自責。その二つがこの言葉に結びついた。


 傍から見れば、互いに謝罪しあってそれっきりという、いささか変な光景であった。しかし、この短い会話は二人にとってとてつもなく重要で、高尚ななものであった。


 エレットは何も考えていられなかった。ライリーの謝罪すら耳に届ききらなかった。ただ、『謝った』、という事実でほんの少しだけ心が軽くなり、考えていたことが吹っ飛んでいったのだ。


 逆に、ライリーは思考を続けていた。――やはり、この子は悪い子なんかじゃない。決して他人に横柄な態度を取る人間ではないのだ。そう確信した。


 こんなにも良い子なのに、人々は嫉妬という感情を結託させ、ひたすらにいじめてしまう。ある者は美しさを、ある者は権力を、ある者は立場を妬み、羨み、いかる。愚かなものだ。たとえいじめ続けても、それらが手に入ることは決してないのに。自らが一瞬気持ちよくなれればそれでよい。ずるく、大人気ない。それが王女にとっての世間であった。


 ライリーは、改めてエレットの方へ向き直し、優しさに溢れた言葉をかける。


「――エレットさん。あなたはなにも悪くない。だから……」


 『泣かないで』。その言葉が出そうになった。しかし、それを言う前から既にエレットの目尻からは細い水滴がこぼれ落ちていた。それを見たライリーは少しだけ考え、もう一度言葉を紡ぎ直す。


「泣いたっていい。誰だってその感情を責めることはできないわ」


 そう言った瞬間、エレットは声を上げながら泣いてしまった。そして、彼女はライリーの肩口に顔を埋め、思い切り叫ぶように泣いた。


◇ ◇ ◇


 どれほどの時間が経っただろうか。エレットの嗚咽が少しずつ止み、彼女の顔はゆっくりと上がっていった。


「もう大丈夫?」


 ライリーが声をかけると、エレットはもう一度泣きそうになった。しかしすんでのところで耐えて唾を飲み込む。


「――大丈夫です。なにせ、わたくしはセイランス王国の第一王女なのですから」


 エレットはそう言って、腫れた瞳をキリッとキメてそう宣言した。ここで耐えなければ成長はない。王女はそう確信したのだ。


「――不安、吐き出せた?」


 ライリーがそう聞くと、エレットはハッとしたように口を少し開けた後、真一文字に結んだ。


「ええ、大丈夫です」


 ――本当に大丈夫なのか?ライリーは疑問に思ったが、キッチリと宣言した彼女に水を差すわけにはいかないと思い、その言葉に大きく頷いた。


「お菓子でも食べていかない?」


 ライリーの言葉に、エレットは首を軽く横に振る。


「いえ、これ以上長居してもご迷惑をかけるだけですから」


 王女は謙遜するように立ち上がり、ゆっくりとした足取りで部屋の外へ出てしまった。ライリーは複雑な感情を絡ませ、彼女を見送った。


◇ ◇ ◇


 結局、その日のうちに二人がまた会うことはなかった。それぞれがそれぞれの夜を過ごし、互いに不安を募らせた。


 夜のうちにまた叱られるのではないか。エレットはもちろん不安に感じていたが、それ以上にライリーが不安がっていた。あそこまで思い詰めているし、これ以上叱られたらどうなってしまうのか――。気が気でなかった。


 だが、この夜は意外なことに目立ったお叱りは受けなかった。強いて言うなら、歯磨きをするように促す一言が該当するかもしれないというぐらいで、それ以上に強い言葉はなにも使われなかった。


 おかげで、その日のエレットの夜は少しだけ良いものとなった。日課の読書も雑念なくできるし、睡眠の質もだいぶ上がる。少なくとも明日までは怒られることもないし、迷惑をかけることもない。これだけで素晴らしい夜なのだ。


◇ ◇ ◇


 翌日。目覚めが悪いのはやはりライリーの方であった。エレットが昨日は叱られなかったという事実を知る方法は何も無いからだ。叱られなかったかな、という不安で何度か目が覚めたし、寝ようとしてもしばらくは考え込んで寝付けない。他人のことで悩むのは、なかなかに苦しいものだ。


 重いまぶたをこすりながら、エイドお手製のたまごサンドウィッチを小さくかじる。もはやそれはパンだけしか食べれていないのではないか、とすら思えるほど小さなひと口を繰り返し、ようやくたまごを食べようとすると、食べる方と反対側のたまごが崩れ、テーブルにペチャッと落ちる。


「あー、お拭きしますね!」


 エイドはその様子を見てから急ぎでハンカチを取り出し、机の上のたまごを取り去った。


「ライリーさん、お疲れのようでしたら眠られたらどうでしょうか……!本日は予定がございませんし」


 エイドはそう言うが、ライリーは首を横に振って否定する。そして、


「――散歩に出るわ」


 という一言をサンドウィッチと共に残して部屋の外へと出ていってしまった。エイドは、また取り残された。

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