ソードワールド2.5 奈落の救世主
いろはにぼうし
第1話「目覚めと邂逅」
—————目覚めよ。
—————目覚めよ。
—————目覚めよ。
声が聞こえる。その声に応えるかのように、『彼女』はゆっくりと目を開ける。
目の前には夕暮れ色に染まる空が見えた。
「…?」
『彼女』は上体を起こし、自らの両手を見る。銀色の指輪をはめた肌色の左手と、『紫色の右手』が所在なさげに手のひらを握ったり緩めたりしている。腹や足を確認してみると、赤色と灰色の装束に身を包んでいることが見て取れた。
とりあえずは立ち上がってあたりを確認する。
どうやらここは町のようだ。目の前に噴水が見える。吹き出した水が、噴水に浸かる死体からあふれる血を洗い流していた。
そう、死体だ。死体があちこちに転がっている。
死体の種類は様々だ。男性や女性、鎧を着こんだ兵士から、果ては子供まで。
みな絶望の表情を顔に張り付けて死んでいる。
見れば、町の様子も変だ。
建物は破壊され、炎があちこちで燃えている。人が焼ける匂いが充満し、常人なら吐き気を催すような地獄絵図がそこにはあった。
しかし、『彼女』にとってそれは嫌な感じはすれど、ちょっと不思議な、程度の認識の光景だった。
なぜそう思うのか。それは『彼女』自身も分からなかった。
なぜなら『彼女』は自分の名前さえわからなかったからだ。
『彼女』は死体の浸かる噴水に顔を写してみた。
長い黒髪に灰色の瞳の女性がこちらをのぞき込んでいる。これが『自分』なのだろう。
不思議そうにこちらをのぞき込む水面のその顔は整っていて、ますますこの場にいるのが不思議に思えた。
「きゃああああああああああッ!?」
と、どこからか悲鳴が聞こえた。
声のした方向を『彼女』がみると、そこには緑色の醜悪な小鬼たちから逃げている女性を見つけた。『彼女』は知っている。あれは『ゴブリン』、蛮族、わかりやすく言うなら人をおそう怪物だ。
(? ゴブリン? 蛮族?)
なぜ。
なぜ今自分はそうだと疑いなく思ったのだろう。どうして知らないはずの言葉がつらつらと頭の中に入ってくるのだろう。
ぼんやりとそんなことを考える。そうしている間にゴブリンたちは女性を取り囲み、こん棒や剣を振り上げいやらしく威嚇し始めた。
強者は弱者を嬲る。それが当然だといわんばかりの態度だった。
それを見て、『彼女』は思った。
ああ、あれは良くないことだ。
次の瞬間、『彼女』は走り出していた。
細身の足とは思えないほどの脚力で地を蹴る。
それなりに距離がある。だから一瞬で、とはいかなかった。
けれど、ゴブリンが武器を女性に向かって振り下ろすよりは早く、『彼女』の足はゴブリンの内一体を射程圏内に捕えていた。
助走をつけて放たれた蹴りが、ゴブリンの脳天を捕える。
グゲッ、と声を出して蛮族が地面を転がった。当然、命を奪うには至らない。
けれど、一瞬の隙を作ったことで女性はゴブリンの包囲網から抜けだすことができた。
女性は慌てた様子で噴水のある方向へと逃げていく。対して『彼女』は、一体のゴブリンが地面をのたうち回っている間に、残った二体のゴブリンに向き直った。
ゴブリンたちは獲物を奪われた怒りからか興奮した様子で武器を振り回している。
(武器がないと、不利)
『彼女』はそう思考した。次の瞬間だった。
『彼女』の左手が意に反して動き、彼女の口が、勝手に言葉を紡ぎ始めたのだ。
その言葉は文節に分かれていて、それぞれが別々の意味を成す。
左手にはめた指輪が輝く。まるで言葉に呼応するように。
紡がれていくことで完成するその「詠唱」は、「魔法」の行使に必要であることを、『彼女』は本能的に知っていた。
「ヴェス・ヴァスト・ル・バン。スルセア・ヒーティス———ヴォルギア!」
(真、第一階位の攻。瞬閃、熱線———光矢!)
彼女の左手に展開された黒い魔法陣。そこから、一迅の黒い光の矢が放たれた。
直線状に伸びたそれは、剣を持ったゴブリンの胴体を貫く。
ゴブリンは断末魔をあげる暇もなく、その場にばったりと倒れ伏す。風穴を空けて地に伏したその腕には長剣が握られたままだ。
仲間の屍をみて怒り、奮起する。そんな仁はゴブリンには存在しない。
ただ、自分の身に起こりうる危険を察知する能力にはあまりある。
こん棒を握ったゴブリンは悟った。
————勝てない!!
いまだ倒れてうずくまる仲間に背を向けて走る。
逃げなくては。ここではない遠くへ。逃げなくては!
一方、『彼女』は冷静だった。
死んだゴブリンが持っていた剣を腕からむしり取る。
「もらうね、これ」
そういって、まずは倒れているゴブリンの命乞いの視線を無視して、その首を剣で刎ねる。
バシャ、と紫色の血液が地面を汚す。
「なんか、簡単だね」
特に感傷的になるでもなく、『彼女』はそうつぶやいた。
そのまま、剣を逃げるゴブリンの背に投げつけようと————
「—————ランドルガ」
(—————稲妻)
突如、第三者の声が静かに、響いた。
次の瞬間、夕暮れの空を割り巨大な稲光が逃げるゴブリンに直撃した。
巨大な爆裂音とまばゆい光。地が、肉が焼ける。
土煙が晴れるころにはゴブリンは跡形も無くなっていた。
「あらあら、やりすぎたかな」
場にそぐわない呑気な声が聞こえた。ゴブリンが逃げたさらに奥。建物の影から、コツ、コツと足音がする。
そして、『彼女』の前に姿を現したのは、自身とは対照的に青色の装束に身を包んだ女性だった。
長身の女性だが、顔にはどこか幼さが残る。大きな山高帽を被り、先端に透明な水晶の付いた金属製の杖を持っている。
「うん? あなたその右手…『アビスボーン』?なんで…いえ、このマナの質…あなた、ひょっとして」
女性がそこまで言った瞬間だった。
『彼女』が踏み込み、剣を振るう。狙うは、目の前の女性の首。
「あらら、危ないわね」
女性は杖で『彼女』の剣を受け止めていた。
互いの武器が鍔迫り合い、白い火花を散らす。
「…すごい」
「ありがとう。でも私みたいな魔法使いは筋力が少ないの。それにあまりこういう肉体労働は好みじゃないわ。だからすこし離れてね」
そういうと女性の杖が輝き始める。
「…ッ」
『彼女』はとっさに後ろ飛びに距離をとる。
本能が、感覚が、警鐘を鳴らしていた。
「…へぇ、勘がいいのね。ちょっと強めの真語魔法で失神してもらおうと思ったのだけれど。あなた、お名前は?」
「…知らない、わからない」
そういいながら、『彼女』は左手を向け指輪に意識を集中する。
「ヴェス・ヴァスト…」
(真、第一階位…)
「そうなの。不便ね。ちなみに私はジェノバ。ジェノバ・ウォッチタイム。———ヴォルギア(————光矢)」
『彼女』が詠唱に入った瞬間、女性———ジェノバの杖から白い光の矢が放たれた。とっさのことに反応できず、彼女は直撃を受ける。
「ッ!? カハッ」
勢いのまま、『彼女』は燃える町に転がった。
「…あれ。かなり加減したはずよ。詠唱も不完全にしてあるし。もしかしてあなた、『魔法が効きやすい体質』なのかしら」
「ゲホッ、ゴホッ!‥‥フーッ」
口から血を流しながらそれでも『彼女』はふらふらと立ち上がった。
口の血を紫色の右手で拭い、剣を構えて前を見る。
「わからないわね。どうしてそこまで私を目の仇にするの。ゴブリンを倒して見せたでしょう?私は味方よ」
「味方? そうなんだ。ならごめん」
「わかってくれたかしら」
「うん、次はもう少し手加減して踏み込む」
「いえいえいえ。そうじゃない」
そういいながら剣を構えて『彼女』は接敵した。
「ああもう。まるで猛獣ね。話がしたいだけなのよ」
剣劇をひらり、ひらりと躱しながらジェノバは詠唱を行う。振り回される剣の隙間で、杖が瞬いた。
「—————ブローヴァラカ!」
(———————刃網!)
瞬間、『彼女』の周囲に白い光の刃が展開される。刃は鎌のような形状をしていて、『彼女』の周囲を取り囲むように肉体に柔く食い込んだ。ぴたり、と『彼女』の動きが止められる。
「マナの刃で相手を拘束する真語魔法、『ブレード・ネット』。下手に動かない方がいいわ。常人なら大したことないけれど、あなたの体質ならどうなってしまうかわからないから」
そう言ってジェノバは杖を降ろした。
「しばらくそこでじっとしていなさい。私は蛮族が残っていないか見回ってくるから」
そういってジェノバは背を向け、町の中央へと向かった。
背後でミシミシ、と音がした。
「まさかッ!?」
ジェノバが振り向くと、そこには、ブレード・ネットから抜け出そうともがく『彼女』の姿があった。全身にマナの刃が食い込み、血が流れる。
「まだ、戦える」
「やめなさい!私の話を聞いてなかったの!?」
ジェノバが静止しても、『彼女』は抵抗を辞めない。それどころか、どんどん激しく身をよじる。
「まだ、戦えるッ」
「どうしてそこまで戦うことにこだわるの、あなたは一体」
身をよじる。血が滲む。紫の右手が、ドクン、ドクンと脈打ち始める。
———戦え。
———戦え!
———戦え!!
瞬間、『彼女』の口からあふれ出たのは。
「ウォオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ッ!?」
獣を彷彿とさせる咆哮だった。
辺り一帯を、燃える町を、轟音と音圧、力の奔流が包み込んだ。
とっさにジェノバは杖を構え、詠唱する。
「ヴェス・フィブレド・レ・アレ! シルド・ドゥーロ・ディフェイン・クロクレ———トルトゥーガ!!」
(真、第十五階位の守!防御、強靭、守備、遮断———強殻!!)
「真語魔法レベル15! 『セーブ・ザ・ワールド』!!」
光の魔法と衝撃波に、町は包み込まれた。
町の火災は収まった。
当然だ。
『町そのものが消えてしまえば』火災など起きようはずもない。
まばゆい光の外郭に包まれたドームだけが、そこにはあった。
ドームの内側、光の中に、更地となったその中央に、ジェノバ・ウォッチタイムは居た。
「…私の全力でも町1つの範囲に被害を押さえるのがやっと。あの時とっさにこの魔法を使ってなかったら、近隣の町や国も更地になっていたかもしれない」
そういいながら、ジェノバは目の前を見る。
そこには気を失い地面に倒れ伏す『彼女』の姿があった。
『彼女』の右腕は、変わらず紫色に、どす黒く染まっていた。
「‥‥そうね。そういうことよね。こんな。神よ。こんなむごい話があっていいの?」
ジェノバはそう、自らの魔力で白く輝く空へとつぶやいた。
当然、答えは帰ってこなかった。
パチパチ、と何かのはぜる音がする。
嫌というほど聞いた音だ。
そして何かが燃える匂い。また建物が燃えているのだろうか。
けれどこの香りは、香ばしく、不思議と嫌ではない。その香りにつられるように、『彼女』はゆっくりと目を開けた。
目を開けると、そこには揺れる天井が見えた。布製のそれは風に揺られて、わずかにきしむ。
上体を起こすと、自分の体が包帯だらけであることに気が付いた。服は脱がされ、地肌がさらされている。包帯を巻いていないところにも擦り傷があってわずかに痛むが、一番厳重に包帯が巻かれているのは右腕だった。ほとんど紫色の地肌が見えないほどギチギチに固定されている。関節は曲がるがあまりいい気分ではない。その包帯を取ろうとしたところで、『彼女』に声がかけられた。
「あら、『ジルベッド』。目が覚めた?どうかしら、初のテント宿泊は」
声をかけたのは入口から入ってきたジェノバだった。
『彼女』は無視して包帯を取ろうとする。
「待って待って。もう、あなたよ、あなたに言っているの」
そういわれて初めて、『彼女』はジェノバを見た。
「…ジルベッド?」
「そう、『ジルベッド』。私の生まれた里の言葉で、『運命』って意味。いい名前でしょ。あげるわ」
「ジルベッド」
「そう。気に入った?」
「ふつう」
「この正直者」
「でも、ありがとう。私、ジルベッド」
『彼女』———否、ジルベッドは初めて名前を得た。その瞬間をかみしめると、胸にぽかぽかと暖かいものがあふれてくる。
「それでジルベッド。あなた、どこまで覚えてるの?」
「? どこまで。ジェノバに、変な光で捕まえられた」
「うんうん」
「それから…わからない」
ジルベッドは困惑した。そこから先の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。
「まぁ、杖で殴って気絶させたからね。無理もないかもしれないわ」
「そうなの?」
「ええ。あのままじゃ命にかかわると思ったのよ。ごめんなさいね」
「ううん。私こそ、戦ってごめん。あの時は訳が分からなかった」
そういって、ふるふる、と首を振るジルベッド。と、右腕の包帯に気を戻し、指さしながらジェノバに問うた。
「ジェノバ、これ取っていい?」
「駄目」
「わかった」
「理由とか、聞かないのね」
「だめといわれたことは、だめだとおもうから」
「…まぁ、今後のために理由は説明しておくべきね。ついてきて、ご飯を食べながら話をしましょう。あ、服はそこに置いてあるから着替えてきてね」
そういってジェノバはテントを出ていった。
ジルベッドは、立ち上がり、服を手に取った。赤と灰色の装束は、変わらず体にフィットして着心地がいい。銀の指輪も変わらず手になじみ、ジルベッドはすこし気分が落ち着いた。
テントを出ると、そこには小さな火のそばに、串刺しにされた何かが数本おかれていた。
かぐわしい香りの出所はこれらしい。
「いい匂い」
「そうでしょう。『アユの塩焼き』よ。私の得意料理の1つ」
「あゆ?」
「そう。魚の一種ね。魚、わかるかしら」
「わからない。・・・・サハギンならわかる」
「それ蛮族じゃない」
はいどうぞ。
そういってジェノバは塩焼きを一本ジルベッドに渡す。ジルベッドはそれをじっと見つめるばかりだ。ジェノバが横向きに、腹の部分を口に含むと、ジルベッドも恐る恐る自分のアユを口に運ぶ。
瞬間、口の中に柔らかな食感と暖かさ、ほんのりとした苦みと、それをカバーして余りある旨味が口の中に広がる。苦みはよく火の通った内臓が作り出したスパイスだ。腹から尾にかけて白身のジューシーな柔らかさが口いっぱいに広がった。
当然、ジルベッドにとってはすべてが初めての経験だった。口の中に広がる爆発的初体験にジルベッドは硬直した。
「あー…ジルベッド?」
ジェノバが声をかけるも反応がない。しばらくフリーズした後、ジルベッドはむしゃむしゃと頬張りはじめ、骨までばりばりとかみ砕いた。
「ジルベッド、骨は食べなくても」
「おいしい」
「あ、うん。それは良かった…。もう一本、いる?」
ジルベッドは差し出されたアユを手に取るとがぶがぶと食べ始めた。
「これじゃあ食べ終わるまで話はお預けね」
そういってジェノバは苦笑いを浮かべるのだった。
「とてもおいしかった。ありがとう」
結局3匹のアユを平らげたジルベッドは満足げにジェノバに礼を言った。表情筋がわずかに緩んでいるのが見て取れた。
「うん。おなか一杯になったなら何より。それじゃあ本題に入るわね」
そういって、ジェノバはジルベッドに見えるように古びた地図を広げた。
「この世界の名は『ラクシア』。私たちが今いるのはその中の『ケルディオン大陸』と呼ばれる場所。私たちがさっき戦った都市は」
そういいながらジェノバは大陸図の北にある都市を指した。
「『ラキアルク港』。多くの人族が暮らしていた、実りある都市、だった。それがいまやあの惨状…なにかがあったことは間違いないわ」
「私もその町の生まれ、なのかな」
「それはわからない。あなたはたまたま、あそこにいて事件に巻き込まれただけかもしれない。なにも確証がないんだもの、決めつけるにはまだ早いわ」
そういいながら、ジェノバはラキアルク港から南に指を滑らせる。
「とりあえず私はこの件を南の城にいるラキアルクの国王に報告に行く。あなたを放っておくわけにはいかないから、一緒についてきてもらおうと思ってるの」
「? どうして放っておけない?」
「それも今から説明するわ」
パチパチと、焚火が燃えている。
「この世界には、多種多様な種族が暮らしてる。ざっと挙げるだけでも」
この世界で最も多く見られる、神の加護を受けた存在———『人間』。
長い寿命を持ち、自然と清流に愛された存在————『エルフ』。
炎に愛され、頑強な体と強靭な筋力を持つ————『ドワーフ』。
最高峰の頭脳を持ち、魔法と真実の探求に明け暮れる兎の獣人———『タビット』。
約300年前に滅んだ文明の技術が作り上げた人造人間———『ルーンフォーク』。
様々な種族から突然変異として生まれてくる角持ち————『ナイトメア』。
体毛豊かな尻尾と耳を持ち、顔を獣の姿に変化させることのできる獣人——『リカント』。
「今挙げた種族の以外にも、たくさんの種族がいるわ。中には『希少種』なんて呼ばれる存在もいる」
「ジェノバは何の種族?」
「私は人間よ。どこにでもいる普通の天才」
「じゃあ私は?」
ジルベッドにそう問われたジェノバは一瞬黙り込む。パチン、と薪がはぜる音がした。
「あなたの種族は…『アビスボーン』。このラクシア全体で見ても、希少な種族」
「そうなんだ」
「アビスボーンは人間から生まれてくる。ただ、生まれとしては少し特殊なの」
この世界には『奈落(アビス)』というものが存在している。暗く、大きな、どこにつながっているかも定かではない大穴。ここより海を挟んで反対側にある『アルフレイム大陸』の北部の存在しているそれは、約3000年前に大規模な魔神召喚儀式に失敗したことで生み出されたとされている。かつて、この奈落から強大な魔神たちの侵攻を受け、世界は蹂躙されたといわれている。
古代の魔法によって今は封印されているものの、強大な奈落の力は外部にも及び、各地に『小さな奈落』を作るに至った。突然現れるそれを、人々は『奈落の魔域(シャロウアビス)』と呼んだ。
「奈落の魔域は突然、どこにでも現れる。それは周囲の人族や蛮族を巻き込んで拡大し、自身の中へ閉じ込める。そしてその中に人間の妊婦が閉じ込められ、中で出産することで生ずる胎児への変化。結果として生まれてくるのが…『アビスボーン』。あなたのように、体の一部に魔神の兆候が現れた者のことよ、ジルベッド」
「この、右腕のこと?」
「そう。あなたの母親はきっと魔域であなたを出産するに至った。ゆえにあなたには魔神の右腕が生まれつき存在している」
「でも、それなら私はなぜあの町に?」
「わからない。あそこに魔域があったのかもしれないし、あの町にやってきたあなたが別の要因で記憶を失ったのかも。それと、これがあなたを放っておけない理由なんだけど」
そこまで言ってジェノバは少し目を伏せた。
「アビスボーンは…正直なところ、この世界ではあまり肯定的な目で見られないの」
魔神は出現するたびに深い傷跡を世界に残す。
人々は魔神を恐れ、憎み、忌避する。
それの憎しみの矛先は当然、魔神の特徴を身に受けるアビスボーンにも向く。
「私は人族に受け入れられない。そういうこと?」
「いいえ。少なくとも私は受け入れているし、理解のある人だっていると思う。でもみんながみんなそうじゃない。だからこそ、その包帯よ」
そういってジェノバはジルベッドの右腕を指さした。
「その包帯は私がマナを織り込んで作った特注品。汚れることもなければ、簡単に外れもしない。そうしていればあなたがアビスボーンと気づかれることはないでしょう。窮屈な思いをさせるけど少なくともあなたが、自分が何者か知るまではその方がいいと思う」
「‥‥」
ジルベッドは自分の包帯に包まれた右腕を見る。
魔神の腕。
自分はいったい何者なのだろう。
「なにも心配はいらないわ」
ジェノバはそう言った。ジルベッドは顔をあげる。
「言ったでしょう?あなたのことはもう私が受け入れてる。これから私と一緒に世界を回れば、あなたのことを理解してくれる人も現れるわ」
「そうかな」
「そうよ」
そういってジェノバはジルベッドの髪をなでた。
優しい、梳き方だった。
「一緒に探しに行きましょう。あなたの記憶と、生きる場所を」
ジェノバがそういってほほ笑んだ。
暖かい。自分の両手は触れていないのに、ジルベッドはそう感じた。
「‥‥うん」
ジルベッドはゆっくりとうなずいた。
焚火の炎が、二人の女性を暖かく照らしていた。
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