娘と息子

よこちん。

娘と息子

 タイムマシンに乗って女王様がやってきた。

 僕はマゾだからたとえそれがタイムマシンであっても宇宙船であっても乗っていたのが女王様ならば嬉しいし従わざるをえない。

 築50年の狭い六畳一間のアパートで僕はパンツ一枚の姿で未来からやってきた女王様に縛られ、吊るされた。僕の重みで梁がギシギシと音を立てて軋む。ギチギチに縛られて身動きとれないまま無防備に吊された僕に向かって女王様は厳かに告げた。

「私はあなたの娘なの。未来からタイムマシンに乗ってやってきたあなたの娘」


 僕はマゾだけど女王様が自分の娘だと言われるとさすがにちょっと素直に興奮はできない。いや、それはそれで新しいプレイとしてはありなのか。どうなのか。いやそれよりもこの未来の僕の娘を名乗る女王様はなんのためにタイムマシンに乗って父親である僕を縛りに来たのか。性癖なのか。そんな性癖はありなのか。だとすれば遺伝なのか。などと縛られ吊されたまま徒然に考えていると、未来から来たという僕の娘は言った。

「親殺しのパラドックスって知ってる? 私はそれを確かめるためにやってきたの」


 親殺しのパラドックスというのは聞いたことがある。

 タイムマシンで過去に戻って自分が生まれる前の親を殺したらどうなるか?という命題だ。親となる人物が死ねば自分は生まれなかったことになる。自分が生まれなければ親を殺しに行くこともできない。殺せなければ自分は生まれる。というパラドックス。


 僕は童貞だ。生身の女性とセックスをしたことがない。だから現時点でどこかに隠し子がいるなんてことはありえない。親殺しのパラドックスの検証にはうってつけってわけだ。OK。理解した。だけど、なんで女王様?

「それはあなたがマゾだという情報があったから。非力な女の私が普通にあなたを殺そうとしても返り討ちにあうだけでしょ? 女王様の格好をしてればマゾのお父さんはおとなしく縛られてくれると思って」


 なるほど。それは圧倒的に正しいやり方だ。現にこうして僕は無防備に縛られ吊るされている。そうすると、僕はこのまま親殺しのパラドックスの実験のために殺されてしまうのか。それはそれでプレイとしてはありなのか。切腹プレイなんかもそうだしSMの中には生死にかかわるプレイがたくさんある。寝取られ好き・裏切られ好きが高じて、遺書を書かされ殺されることを妄想し興奮するマゾの話なんかも聞いたことがある。

 でも、僕は違う。そのタイプのマゾじゃない。殺されるのはさすがに嫌だ。しかもタイムパラドックスの実験のためだなんて、興奮の要素がまるでない。


 未来から来たという僕の娘はナイフを取り出し近づいてくる。僕は吊されたまま必死になって逃れようともがく。が、縄はギチギチに心地よく肌に食い込んでほどける気配はまるでない。本物の女王様ではなかったとはいえ、縛り方はきちんと学んだようだ。

 それでも僕は必死にもがき続ける。縄を固定した梁が頭上でギシギシとひときわ激しく軋み、やがてバキッ!と音がして、真っ二つに折れた。僕は縛られた状態のまま未来から来たという僕の娘の上に落下した。築50年のボロアパートの腐りかけた梁が僕の命を救ったというわけだ。

 僕の下敷きになった娘はピクリとも動かない。鼻の穴から一筋の血。息をしていない。打ち所が悪かったのか。どうやらあっけなく死んでしまったらしい。


 親殺しのパラドックスの証明のために未来からやってきて、自分自身が死んでしまうとはなんという皮肉。いや、つまりこれは歴史が僕の命を守ったということなのか。どんな手を使っても僕は自分の子供には殺されることはないということなのか。それがこのパラドックスの答えなのか。ともあれ、死体をこのままにはしておけない。僕は縛られた後ろ手に未来から来たという娘の横に転がっているナイフを拾い上げ、なんとか縄を切ることに成功した。


 そのとき、ドアを叩く音がした。

「警察です。どうかしましたか? 大丈夫ですか?」

 築50年のアパートの壁は薄い。騒ぎを聞きつけた隣の住人が警察を呼んだらしい。カーテンの隙間から下の道路を見下ろせば、パトカーが止まってる。窓からは逃げられない。そうしている間にもドアを叩く音は続く。

「どうしました!? 大丈夫ですか!? ドアを開けてください!」

 僕は焦った。目の前には女の死体。未来から僕を殺してにやってきてもみあった末の正当防衛だと言ったところで信じてはくれないだろう。タイムマシンは娘が降り立った後、どこかに消えた。おそらく異空間にでも隠したか。僕には取り出す術がない。

 いや、それよりも、普通にこの状況ーー縄で縛られた跡の残ったパンツ一枚の僕。本物かどうかはさておき女王様の格好をした女の死体。折れた梁ーーを見れば、どう考えたってSMプレイ中の事故だ。シチュエーションはともかく事実そうなんだし、たぶん罪にはならない。死刑にもならない。社会的には死ぬかもだけど。


 そんなことを考えてる間にもドアの外にいる警官の声は大きくなる。

「どうしたんです? 中にいるんですか? いるなら開けて下さい!」

「ちょっと待ってください! なんでもありませんから!」

 とりあえずそう答えてはみたものの、ドアの外の警官は引き上げる様子を見せない。

「なんでもないなら開けてください!」

 ドアはますます激しく叩かれる。このままでは築50年のボロアパートのドアが壊れ警官がなだれ込んでくるのも時間の問題だ。どうする? とりあえず、この未来から来たという僕の娘の死体をなんとかしたい。どうする。どうする。考えろ。


 そこで僕はひらめいた。一瞬にしてこの死体を消してしまう方法を思いついた。ただし、それには多少のーーいや大いなる犠牲を伴う。常人ならば思いつきもしない、思いついたとしても実行などできるわけもない狂ったアイデアだ。だけど僕は常人ではない。マゾだ。普通に結婚して家庭を築こうなどとは思ってもいない。だいたい未来の僕に娘がいること自体が異常なことなんだ。それに、親殺しのパラドックスの答えにも少し興味がある。だったら、やるしかない。僕は決心すると、未来から来たという僕の娘が持ってきたナイフを拾い上げ、握りしめた。

 そして、それをーー


           *     *     *


 ドアを破って、警官が部屋に飛び込んできたとき、僕の足元には未来から来たという僕の娘のかわりに、本物の僕の息子が転がっていた。

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娘と息子 よこちん。 @momonochichi

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