【短編】夜釣り人
とりの
夜釣り人
世の中にはどうも不思議なことが依然として存在している、そう思ってしまうような出来事。
ある初夏の夜、私が体験した"それ"はあまりに荒唐無稽な出来事という他ない。
きっと誰に話したところで信じてはもらえないだろう。
もしかしたら、どこかで聞いたような話だ、と言う人もいるかもしれない。
それならそれでもいい。この体験が私だけのものではないという証明になる。
それは、じっとりとした暑さが増してきた初夏のこと。
陽の照っている時間に外に出ようものなら、思わずむせ返るほどの不快な湿気と熱気に包まれる。
最近急に暑くなった。梅雨はいつの間に明けたのだろうか、夏に切り替わっていた。
陽が落ちてから少しするだけで熱気は身を潜め、湿気の不快指数も格段に落ちる。
日中に出歩けなかった反動のようなもので、夜の散歩に出かけることにする。
私の住まいの近所はここ10年くらいで開発されて住宅街になっていった地区で、新築の住宅が立ち並ぶすぐ脇には広大な田園風景が隣り合わせとなっている。
いつの日かこの田んぼも住宅地になっていくのだろうか?
名前の知らない虫やかえるの声を聞きながら街灯の整備が進まない農道をふらふらと気ままに歩いていた。
灯りのない夜道ではあるが、うっすらとだけは周囲が見えるもので、人間の眼はすごいなと思う。
街灯どころか信号もない、見通しがいい十字路をいくつか通り抜けたところで、水路に竿を垂らす人影があることに気が付いた。
私は釣りをしたことはないが、夜にこういった水路でなまずを釣ったような話は聞いたことがある。
そういえばなまずって美味しいんだっけ?宴会の席でたまたま隣に座った彼はなんと言っていただろうか。いまいち思い出せない。
こんばんは、夜の散歩ですか?
彼、——声色を聞く限り彼—— に急に話しかけられた。
もしかしたら独り言かも、いや、私に話しかけている。
え、はい。そうです、日中はあまりに暑すぎて、出る気になれなくて。
私は立ち止まって彼に返答していた。
ああ、最近急に暑くなりましたよね。私もそんなところです。
彼は竿を水路に垂らした姿勢のまま言葉を返す。
ぼんやりとした姿形しか把握できないが、背格好は私と同じくらいだろうか。
何か釣れるんですか、この辺。
私はなまずを釣った話を意気揚々と語った職場の同期を思い出していた。
ああ、そうだね。なまずとか、釣れるみたいだよ。ボクは別なの狙ってたんだけど。
へえ、そうなんですか。何を狙っているんですか?
うん、今、釣れた。
そう言った彼が竿をすっと振り上げ、ちゃぽん、と大きな水音がする。
ボクはね、夜を釣っているんだ。
えっ、と私が口に出したときには彼はもうそこにはいなくて、それどころか私は自室で横になっている。
窓の外ではすでに太陽が昇っていた。
——————————— 夜釣り人
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