いつか助けを求められたら

 近畿地方最大都市のとある商業施設。訪れる多くの人間が知らない最奥に、そのプライベートルームは提供されていた。

 いくつもの間接照明によって照らされた広々とした空間は、僅かの妥協もないほどに素晴らしいサービスで埋め尽くされている。壁の一部を彩る光の芸術ライトアートなど、木々や生き物の動きで安らぎを与えてくれるようだ。

 そんな贅を凝らしたサービスを享受しながら、龍善は遠く離れた知人との会話を楽しんでいた。


「ははは、それで界理君に殴られた頭はどうだい? どうせジェルか何かで保護してただろうし、大したことはないだろうけど」

『ふざけんな白髪スーツ。あおたんできてしもうたわ』

「自業自得だと思うね」


 遠慮の必要ない気安い関係。はたから見れば、そう解釈してしまうことだろう。

 実際、蹴落としたり命狙ったりする関係に目を瞑れば、共に酒を飲む友であるとも言える。同じテーブルでもお互い全く違う酒を飲むところに、二人の感情が見える気もするが。


『カーッ! 馬に蹴られたようなもんやけど、冬馬界理男の娘も何が気に入ったんやろなぁ。遥ゆう奴、バケモノやんか』


 スピーカーから流れた最後の言葉を聞き、龍善は笑みを深める。


「数多の才能を育て上げた君が、育てる前から“バケモノ”と呼んだ天才は何人いたかな。ねえ、人虎じんこ


 人虎と呼ばれた男は、少しだけ考える無言を置いた。


『……6ってとこやな』

「遥君を含めるとそうなるね。それで? 資料は送ったけど、バケモノの中で遥君は何処に位置するかな?」

にそれを聞くんかい。愚の認めた最高峰と、神やなくて人が作った贋作を比べろっちゅうことかいな』

「はは、君の一人称の《愚》って、卑屈過ぎると思うよ。うんまあ、比べたらどの辺りかな」


 人虎の大きなため息が、通信の向こうから響いた。


『龍善のそれ、嫌いや。……で、遥やったっけ? 本来天才を愚らが測るのが烏滸がましいんやけど……そうやな、3か4やないか?』

「へぇ? 人虎のことだから迷いなく最下位にすると思ってたよ。僕らの中でもトップクラスに厳しくて偏屈だしね」


 龍善は本気で不思議がっており、人虎は鼻を鳴らす。


『知っとるやろ。いつやら流行った神のウィルス天の杯のおかげで、。活性化と不活性化した遺伝子、オーファン受容体の解明不足、アゴニストむずぅてリガンドに頼らへんといかんし、作られるタンパク質も個人差が広がっとるわ。わざわざ一から作らんでも、源石待っとる方が品質は良いし確実ゆうこっちゃ…………んやけど』


 一旦言葉を切った人虎は、感情ごと吐き出すように話を続けた。


『あんな才能見せつけられたらなぁ。愚でも流石に認めるわ。あれは、美しいやん』

「だろう? 遥君は、まさに奇跡だよ。より生存に特化した人類、生存の為に止まらない人類」

『人間的にも生物的にも、常に進化する。そのくせ、基準となる公式はアホほど少ない』

「おそらくは右脳と左脳の効率的活用。個人的に世界を表せる公式の発見」

『まるで一人やないみたいやん』

「他者に対し人格の価値観否定」

『くっはは、ふざけとるわ』

「はは、楽しいじゃないか」


 笑い合う。幼なげに、老獪に、声を重ね合う。

 満足するまで笑って、龍善から話を持ちかけた。


「遥君への干渉、人虎にも手伝ってもらいたいんだけど良いかな。正直僕だけじゃ担い切れなくなっていてね、美しく詠う者ロマンシアに断られて困っていたんだ」

『ハンッ、鼻っからそのつもりで見せたやろうが。いいで、やったる。人智が生み出した才能が何処まで光るか、愚が見極めたるわ』


 合意を得た二人は、心から楽しそうだ。

 その後二、三愚痴を言い合って、通話は切られる。


「ふー……。さて、次のプランは過去への揺さぶりの予定だけど、どう思うかな久遠君」


 龍善は自身の斜め後ろに立つへと、そんな問いを投げかけてきた。

 ああクソ、俺に話ふっかけてんじゃねえよ。


「……龍善様の思うがままに」

「そんなに硬く接されると、悲しくなってしまうよ」


 こうでもしなきゃ、お前を殺したくなるんだよ。

 龍善からの苛立ちを、俺は拳を握ることで鎮める。


「真面目な話、久遠君には遥君と殺し合ってもらうんだよ。どうかな? 実の妹に、混じりっ気のない殺意を向けられるかい?」

「お言葉ですが、混じりっ気のない殺意など存在しません」

「遥君は似たものを抱けるようだけど」


 まあそうだろう。だけど、これだけは言っておかなくては。


「あれは人間ではなく、化け物です。生存本能に基づいた殺意は、当然純度が高くなります」


 龍善は楽しそうにクスクスと笑い声を漏らした。

 俺にはわかる、龍善はこのやり取りすら予想していたのだろう。殺意が湧くな。


「久遠君は、遥君を人間と見ていないのか」

「化け物にしろ天才にしろ、人外に等しいことに変わりはありません。鬼才を冠する一人がいる以上、続く者達が人間だとは到底思えません」

「なるほどね。あらゆる訓練を受け、才能付与実験棟ジバーリアで最も優れた成績を出した君でも、そう思うのかい」


 湧き出す害意を、俺は冷静に心の底へと押し込んだ。

 焼けつく怒りも、ドス黒い侮蔑も、沸き立つ不感も、全て直視しないように感情をシャットダウンする。


「私はよくて凡才です」

「凡才が天才の妹に勝つと」

「勝つ……はい、殺せます」


 ぐるりと首を回して、龍善が俺に視線を向ける。

 龍善の泥のような瞳は、決して俺を見てなどいない。俺の造形か血を通して、遥を映していた。


「……いいね。その言葉が現実になることを、心から願っているよ」


 それだけ言った龍善は、ソファーベッドに身を預け目を閉じた。

 今なら、殺せるだろうか。喉を掴んで引き千切れるだろうか。


(しないがな。……クソ野郎が、心にもないこと言いやがって)


 すぐに聞こえてきた龍善の寝息を意識から外して、俺は半分血の繋がった妹に想いを馳せる。


(今回は生き残った、か。戦闘力では仕上がってきたな。だが、精神の柱が脆いままだ。龍善のプランを乗り切れるか……)


 しかも龍善のプランに、才能を探す鬼とも呼ばれる人虎が協力する。

 遥が何処まで耐えられるか、俺では想像できない。


(……そして、俺らは殺し合う)


 おそらくは刃物。条件は限りなくイーブン。

 それはもう、クソッタレに趣味が悪い。

 昏い炎が、胸の中を焦がしている。この世には、殺したい奴が多過ぎる。

 俺には何もできない。従う以外に何もできやしないだろうさ。

 でも、時々思うんだよ……


(遥が助けを求めたら、俺は応えるのか?)


 そんなくだらない考えを、いつも抱いている。

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