お前、勇者おりろの段
後ろのガールだーれ。どうも、僕です。
おぶってやったが、案の定というか、全然筋力がない体つきをしてらっしゃった。
肩越しに伝わる骨の硬さと、やたらと軽い体重が、ありのままに生きるのを諦めた期間の長さを物語っている。
魔法に頼りすぎた典型的な現代人。
戦後生まれは、基本重たい荷物を運ぶのも、家を建てるのも、社会インフラを作るのも、全部魔法。肉体労働は底辺の証。
もうちょっと飯を食え。まずはそこからだと思うんだ。
背中にかかるその体温は、ぬるい息みたいな重さで、息苦しいほど静かだった。
「どこ行くの……?」
「どこでもいいさ。ひとまずは、公園かな」
僕は別に誰に見られてもいい人間だ。
外に出るっていう行動ができるだけで、人は多少マシになる。
「何しに?」
「何をするのかは行ってから考える」
「じゃあ、すぐ帰ろっか」
「お前は何を言っているんだ?」
ちょっと何を言ってるんだろうか、こいつ。
思わず足を止めた。言いようのない脱力感と違和感が背中を襲った。
「お前、よく言えたな。外に出たいだなんて」
呆れから口に出してはみたものの、すぐに理解した。
この子は、外に出る行為すらも初めてなんだから。
そもそも、外に出るって意味がわかってなかったんだろう。僕の型だけ真似してるに過ぎない。
「だって、なんにも知らないから」
「ふーん」とだけ相槌を打ってやる。
吐いた息がそのまま声になっただけの、間抜けな返事だった。
自分でも言っていいか分からなかった言葉を、ようやく吐き出したような声音だったからだ。
外に出たいのも本当で、帰りたいのも本当なのかもしれない。本人にも分かってないんだ。
本当に、自分の足で立つことの意味すら知らない者の、正直な悲鳴だった。
午後の陽射しが、無遠慮に僕らを照らした。背中の少女が、ほんの少しだけ縮こまるのを感じる。
えっほ、えっほ。団地の階段をゆっくり降りながら、僕はわざと大げさに歩く。
「えっほ、えっほ。この小娘うるさいって、大家に伝えなきゃ。えっほ」
「うるさい」
大家あっちの言葉知らねえから幾らでも言い放題。あ、そうだ。
僕という近隣住民に多大な迷惑をかけてらっしゃるのに、何をこの小娘は今更こんなしゃらくせえ言葉を発するのでしょうか。
ええ、僕には分かりませんよ。この天魔!増上慢!!
と、日本語で言ってやった。
「何言ってんの?」
「お前の知らない言語だよ。分かりたかったらここでの言葉を覚えるんだな」
よし、黙った。あー、小娘に悪口言えてハッピーハッピー。
もうこの際このお荷物どうでもええわ。
言いたいこと言えたので、うっきうきゃきゃ軽快な気持ちで階段を足早に降りる。
が、足元に響く僕のえっほリズムは、階段を降りきったあたりで止まることになる。
唐突に、髪の毛が、ビリっと強引に引っ張られた。
お猿さんの調教師みたくやつは痛みを与えて来やがった。
こいつ自分の安全が確保されるまでまってやがっていたのだ。
「いだだだだだッ!?」
なにごとだ、なにが起きた!?と思ったその瞬間には、すでに右後頭部の毛根たちが悲鳴を上げていた。
リアが、無言のまま、僕の髪をむんずと掴んでいた。
後ろをこれ以上振り向けば、更に髪が消える気がするので、表情は見えない。
けど、その指に込められた握力だけが、静かな怒りを明確に伝えてくる。
あっ……これ、バレてるな。
さっきの「天魔!増上慢!!」あたりがまずかったか。あれはちょっと過激だったか。彼女にとっては外国語だとしても、もしかして何か似た構造でもあったか?
「え?……あれ?お前……もしかして日本語とか分かってる系?」
返事はない。だけど、指先の力がじわりと強まった気がする。
「あ、はい、すみませんでした……ハゲにはなりたくないんですよ。毛根の彼等には罪はないので手加減してくださ……」
グッ。無遠慮にまた後頭部が持ってかれる。
やばいこのままじゃいつも僕がカツアゲしてた教会坊主どもとおんなじになっちゃう。
「いててててて!ごめんって!僕の毛根が死ぬ!あと五年分くらいの寿命が削れる!」
ようやくリアの指が離れた。僕はそっと後頭部を押さえる。禿げてるかな……。
たぶん何本かは本当に抜けた。
ふと、肩越しに彼女を見ると、彼女はやっぱり無言だった。ただ、その唇の端がほんの少しだけ上がっていたように見えた。
「早く進んで」
と思えば、いつも通りの気怠げな顔に戻ってる。はいはい、突っ込むとまたやられますな。
出来る大人な僕は黙ってリアを公園までおぶって行ったのだった。
公園は閑散としていた。良かった不審人物にならずに済んだ。ここに群生する主婦たちに僕は目をつけられているからちょっと心配だったのだ。
いつも座るベンチに彼女を降ろす。その横で僕は鳩如くどんぐり拾いに興じる。
ダメだ。今日は食料がない。ここで虫さんすら乱獲しすぎたのが問題かもしれぬ。
「ちょっと川、見てくるわ」
僕は立ち上がった。
そう、人間は手段を選んでいる場合ではない。
文明を捨て、野生に還ろう。盗賊モードが未だに解除できないのはなぜだ。
公園の奥には人工のちっちゃい川がある。そこに住み着いてる太った鯉の群れを、今日はちょっといただこうというわけである。
「……なにしに行くの?」
背中から聞こえた声は、抑揚がない。
じゃあ聞くなよ。
「今日の晩飯探しだよ。僕は労働してんです。見て分かるでしょ?」
「ふうん」
僕はため息をつくかわりに靴ひもを締め直す。しみじみ思うよ、こいつには翻訳機が必要だ。
「蚊に死ぬほど刺されて泣きを見たいなら連れてってやるよ。あーでも、やっぱうるせーからここにいなさい」
またも無反応だ。だけど、その態度は明確に違った。
背もたれに寄りかかることなく、きちんと背筋を伸ばし、両足を揃え、膝の上に手を重ねている。
じっと、僕を見送る準備をしてる。
仕草が整いすぎている。年齢に釣り合いが取れておらん。
そうか、なるほどな。
こういう演技が板につきすぎてて、本人もどっちが主人格なのか分かってないやつだ。口で返さないのは返す言葉が見つからないからだろう。
しつけが厳しい家に生まれたんだなこいつ。
僕はひとつだけ、まっすぐ彼女を見て言ってやる。
「戻ってくるまでどっかに行くな。いいな?」
「……はい」
やっと出た返事は小さくて綺麗だった。
その返事の直後に、彼女はほんの少しだけ、ズボンの裾を整えた。
僕がそんなもの気にしてるわけではないというに。
天は本当に面倒だが、いつも僕に正しいものばかりを押し付けて来やがる。
――――――――――――――――――――――――――
まぁ、今夜のメインディッシュは確保した。問題は、ガールがちゃんとその場にいるかどうか。
公園の入口に戻ると、案の定。そこに、彼女の姿はあった。
……が。
僕は一瞬、鯉を落としかける。
リアの隣に、もうひとりの影が座っていたからだ。
彼は制服姿のまま、片手に松葉杖をついていた。
ただ、隣に座っている男子生徒の佇まいに、どこか見慣れた冷たさと、懐かしい静けさを感じていた。
延々とその男はリアにしゃべりかけまくっていた。
短く刈り上げた黒髪、陽に焼けた浅黒い肌。どこか野性じみた雰囲気を纏っているくせに、仕草は妙に気さくで、周囲に壁を作らない。
口さえ開かなければ、モデルか何かかと思うほど整った顔立ち。
けれど本人はそのイケメンっぷりを無駄に軽口で台無しにして回るタイプである。
当然、リアがそんな彼に話しかけることない。何もないものに彼も言葉を返せない。
女がいればすぐ口説いてくるようなやつだが、リアのノーリアクションに少し苦笑していた。
僕も笑いそうになる。
と、僕が鯉をぶら下げて近づいていくのに気づくと、青年はのんびりとした仕草で片手を軽くあげて手を振ってきた。
「あ、来た来た」みたいな顔だ。
「おーおー、なんかすごいの捕まえてきたじゃん。食うのかそれ?」
それは、旧友じゃ軽すぎて。でも、戦友にはちょうどいいくらいの距離感。
軽口。いつも通りの、うさんくさくてどこか胡散臭い口調。
「お前なぁ……こんなとこで油売っても俺は興味ないけどさ。京と浩介はカンカンだったぜ?」
ああ、お前かぁ……南淳紀。
戦場で百以上の陣地を踏破し、僕と異世界で共に戦った斥候だ。
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