成就しない百合

下等練入

第1話

 大好きな先輩が泣いていた。

 初めバス停で彼女を見たときはただ座って仮眠をとっているだけかと思ったが、よくよく見ると肩が小さく上下して鼻をすするような音が聞こえている。


「あの先輩、大丈夫ですか?」

「だれ?」


 先輩は涙で真っ赤に腫れた目をしていた。

 涙はぬぐってもぬぐっても止まないようで、何度も必死に目をこすっている。


「えっと」


 そういえばなんて言ったらいいんだろう。

 思わず声を掛けてしまったけど、ずっと見ていたただけで今まで話したことなんか一度もなかった。


「まあいいや、その制服着てるってことは高校同じでしょ」

「あ、はい。2年です」

「そうなんだ。1個下だねって思ったけど、先輩って声かけてきたってことは私のこと知ってる?」


 なんで泣いていたのかわからないが、話して気がまぎれたのか先輩はいつも通りの笑顔で笑う。


「知ってますよ」

「そうなんだ。私ってそんな有名人だっけ?」

「有名人だと思いますよ」


 球技大会での先輩に惚れて、毎日部活を見に行くようになったとは絶対に言えない。


「そうなんだ。てっきり下級生で私のこと知ってるの貴女だけだと思ってた」

「え、なんで、ですか」


 さっきとは打って変わって、据わった目をした先輩がくっつくぐらい身体を近づけてきた。

 ふんわりとした甘い香りが感じられたが、今はそんなことを楽しんでいられる状況じゃないことぐらいわかる。


「なんでって。部活で私のこと見てたの貴女だけだったよ。わざと行き帰りのバスもあわせてたでしょ」

「バレてたんですか」

「まああれだけ露骨にやられるとね」


 うかつだった。

 一度ども目が合わなかったからバレてないと思ってたのに。

 バレてたから合わなかったのか。


「まあそれは気にしてないからいいの。それにむしろそっちがの都合がいい」

「え、都合がいいってどういうことですか?」

「私の家今日誰もいないの。わかるでしょ?」


 キスできるくらい近づいてきた先輩が、甘く囁いてくる。

 なにがあったか知らないけど、だめでしょ。

 だって先輩彼女いたじゃん。

 同じ部活で周りに見せつけるようにイチャイチャして。

 けどこんなチャンスもう二度とないかもしれない。

 それに彼女いるのに後輩に手を出したって噂が広まれば、私以外味方はいなくなるかも。

 そうなってくれたらいいなという願いも込めて、私は先輩とキスをした。


 ◇


 あの日関係を持ってから、私たちの関係は少しだけ最悪の方向へ進展した。


 先輩からの連絡が来た時だけ、私は先輩の彼女になれる。

 ただ呼ばれるのは基本家で、外では会ってくれない。

 彼女とうまくいかない時だけで、その鬱憤を晴らすかのように私は使われる。

 私はその間だけ先輩に認識してもらえるし、先輩は絶対に秘密が漏れないwin-winの関係。


 それは私が卒業しても終わることがなかった。


 大学入学して独り暮らしをするようになると、私の家に来るようになった。

 いつ来るかわからないのに歯ブラシも食器もすべて2人分置いてある。

 ただ高校までと少し違って先輩の身体に傷が増えた。


 ある時は腕に大きなあざがあったし、首に人の手で絞められたような痕が残っていることもあった。


「ねえ先輩。その腕の。なんですか?」

「ああ、これ?」


 先輩は一瞬だけ腕をいとおしそうに見つめるとすぐ目を伏せる。


「恋人とのつながりかな」

「どういう、意味ですか」

「大した意味はないよ。ただ彼女が私を傷つけるほど私の存在価値が増えてるってだけ」


 先輩の存在価値って。

 生半可にぶつけたぐらいじゃそんな傷できないことぐらい私にもわかる。

 そんなことしなくても先輩には価値があるのに。


「ねえ、私なら先輩を幸せにできます。私じゃダメなんですか?」

「ダメだよ。せっかく私なしじゃ生きられないようにしたんだ。あの子はこれからもずっと私を傷つけて私と一緒に生きていくの」

「どうして、そこまで」

「決まってるじゃん。好きだからだよ」


 じゃあなんであの時私に声を掛けたんですか。

 なんで私と関係を持つんですか。

 言いたいことはいっぱいあった。

 それを言ったら私たちの関係が消えてしまうことぐらい私にもわかる。


 先輩にとって私は彼女さんとの関係を維持するための鎖に過ぎなくて、それが私である必要性なんて微塵もない。

 ただこんな関係でも誰かに明け渡すなんかしたくない。

 あの日声を掛けられた時点で、私ももう先輩無しじゃ生きられないことぐらいわかってる。


「ごめんね。そろそろ行くね。多分不安で泣いてるだろうから」


 先輩は何度か私の頭を撫でたあと、苦いキスをしてきた。

 待って行かないで。

 今一番言いたいはずのセリフが声にならず、先輩に向けて手を伸ばす。

 ただ先輩はもうすでに彼女さんのことしか考えていないのか、まったく振り返らずドアを閉めた。


「私は先輩のこと大好きですよ」


 受け取り手のいない言葉が部屋の中で儚く消えた。

 今日も私は独りで先輩のことを待つ。

 これからもずっと。

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