5 ドラゴンと鞭のお値段

「――ああ、もうっ! なんて使えない従属なの! 簡単なおつかいもできないなんて!」


 辻に、女性の金切り声が上がった。


むちよ、鞭! 痛みで己の無能さをわからせてやりなさい!」


 アイリィの案内で菓子屋へ向かっていたジャンヌは、音のほうを振り返る。


「ジャンヌ様、見るべきものではありません」


 従者に忠告されたが、ジャンヌは従わなかった。

 豪華なドレスを纏った中年の女が一人と、そのすぐ前に使用人らしき男がいる。彼が鞭を振り上げ先には、石畳の上で身を縮める従属の姿があった。

 従属の垂らす長い髪は金色に輝いている。


「ベランジェ―ル!?」


 ジャンヌは思わず駆けだした。


「な、なんだおまえはっ!」

「ジャンヌ様!」


 使用人も自分の従者も無視して、うずくまっている少女に駆け寄る。


「ベランジェ―ル!」


 ジャンヌは膝をつき、彼女の小さな体を揺さぶる。


「……」


 従属の少女が顔を上げた。自分の黒いヴェール越しに見えたのは、緑ではなく青い瞳だった。


(……ひ、人違い)


「……?」


 見知らぬ黒装束にかばわれて、彼女は当然戸惑っている。


「ごめんなさい。知り合いに似ていたので、つい……」

「ど、どうして魔王のとこの従者が出しゃばってくるのよっ!」


 従属の女主人が再びきいきいと騒ぐ。


「行きますよ。ジャンヌ様」


 いつの間にか真後ろに立つアイリィが耳打ちしてきた。


「で、でも」


 従属の少女を見下ろす。ベランジェ―ルと同じくらいの年頃の従属が鞭打ちされるのを放ってはおけなかった。


「なりません」


 ジャンヌの胸の内を察して、アイリィはなお語気を強めた。


「あれは、あなたの従属ではありません」


 無理やり腕を引かれ、ジャンヌは立ち上がりその場から離れた。背後で空気を割くような鞭打ちの音と悲鳴が上がる。


「――っ」


 打たれたのは自分ではないのに、激痛に耐えるように目をぎゅっと瞑る。


「……?」


 現実から遮断させた視界の端が、火で照らされたように明るくなった。

 目を開ける。麦わら帽子を被った青年がふらりと隘路あいろに入っていくのが見えた。彼の背中が淡く光っている。


(あの人は……)


 従属商の競りがあった日に出会った青年ではないか。

 両翼を広げた鳥が思い出される。あのボタンはもう失くしてしまったが、青年と紋章のことははっきりと覚えていた。


 再び、激しい鞭の音が近くで鳴った。

 今度は従属の少女ではなく、獣の咆哮が上がる。

 横たわる灰色のドラゴンが道の端にいた。丸出しの腹部が忙しく上下している。例にもれず、両方の翼が切断されていた。ぎょろりととび出るような目は虚ろで、視線も定まっていない。

 

「ああーっ! くそおっ!」


 むちを手にする男がうなる。

 息絶え絶えとなった獣の体に向かって、彼は再び鞭を振りかぶった。しかし、悲鳴を上げたのは


「あっ、あぢいいいいいいっ!?」


 男のほうだった。


 彼が放り出した鞭は石畳の上でめらめらと燃えている。炎は鞭を炭にすると、何事も無かったかのようにすっと消えてしまった。


「ひーっ!」


 男は石畳に尻から落ち、顔を青ざめさせる。


「お尋ねしてもよろしいですか。そのドラゴンと鞭のお値段を」


 アイリィが鞭の燃えかすを指さしていた。子どものような身体は星に包まれたように発光し、内炎のような色のおさげが揺れている。


「な、なん、なんっ……」


 火傷やけどしたらしい手をもう片方の手で押さえながら、男が口をパクパクさせた。


「そのネズミの糞みたいな色の服……! おまえっ、あ、あの魔王のとこの……!?」


 商売道具が突然燃やされ、しかも犯人は魔王付きの従者だったのだから、驚くのも無理は無い。


「お値段は?」


 アイリィがもう一度訊く。炎が消えるように、彼女の身体の輝きがふっと止んだ。


「は、はあっ!? 値段なんか訊いてどうすんだ! 出来損ないのドラゴンだぞ!」

「『出来損ない』は語弊ですね。切られた翼の傷の治りが遅く、それが致命傷になっているのでしょう。もし健康だったら、きっといい仕事ぶりを見せてくれたと思いますよ。……80でどうでしょう」

 

 赤毛の従者は懐から紙幣を出した。男はごくんと喉を鳴らし、彼女の手から金をひったくる。


「と、特別だぞ! 特別に80で売ってやらあ! でももう関わらないでくれよ。魔族とやり取りしてるなんて噂が立ったら、商売あがったりだからな!」


 彼は立ち上がると指に唾を塗り、紙幣を数えながら逃げていった。置き去りにされたドラゴンが、横たわったまま「キュウ」と甘えるような声を出す。


「よかった……」


 ジャンヌは呟き、ほっと息をつく。


「この子は城につれて帰るの?」


 尋ねたが、彼女は答えない。


「あの従者の女の子も、買い取ることはできないかしら」


 視界の端がまたぴかっと輝いた。アイリィは自分の所有物となったばかりのドラゴンに歩み寄る。

 黒いレースの手袋をはめた手をドラゴンにかざす。


「な、なにを……?」


 夏の盛りは過ぎた。そうとはいえ、まだまだ日中は暑い。それなのに、背筋が冷たくなった。


 彼女が魔力で扱うのは「炎」。

 魔力の使い道は一人につき一種類である。


 つまり、アイリィは、


(このドラゴンを燃やそうとしている……!?)

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