第3話 眠れない夜は誰のせい

 眠るために明かりを消してベッドに寝転んだけど、目はさえていた、すぐに暗闇に順応して天井が視界にはいる。窓にはカーテンをしているけど、かすかに月明かりが漏れている。


 目を閉じる。少しだけ疲れていた目がじんわりと休息していくのを感じる。確実に退職する為に、休日となり外出可能となった瞬間から基地を出て、昼前にこの首都にたどりついた。もろもろの手続きをしても昼過ぎにはすべて完了した。

 昼寝をしたけど、前日が仮眠程度だったので睡眠は足りていないはずだ。そもそも軍人たるもの、眠れるときに眠れなければ体がもたない。どんな状況でも、寝るとなれば寝る。それができる。


 実際、目を閉じるとじわじわと眠気が込み上げてきた。うとうとしながら、だけど同時に体に染みついた習性が勝手に外の音をひろう。目を閉じて眠る時も、いざとなれば起きれるように、非常時に気が付けるように。感覚は鋭敏になって夢うつつながらもそれをやめない。

 自分以外の吐息が聞こえる。マリオンだ。窓がかすかに揺れる音。今夜は風が強そうだ。窓の外、かすかに聞こえる人の声。ここは繁華街から離れているけれど、それでも人の声というのはよく響くし耳に届きやすい。基地では誰もが声を潜めていたが、この街ではそんな必要がない。夜中でも繁華街は明るく、人の声がするのだ。不思議な気分だ。どこか遠い異国に来たような。ほんの半日移動しただけだ。

 前線を押し上げるため、そのくらいの遠征はよくやっていた。警戒して大した距離をすすめないし、丸一日移動しても私たちはどこまでも続く敵との闘いに数メートルも進んだ気にならなかった。ここが同じ国内で、同じような気候で、同じように暮らしているはずなのに。ここまで、空気が、世界が違うのだ。


 わかっていてもその温度差はすさまじく、なんだかおかしな気分だった。私だって以前はこの街にいたのだ。最初の新兵の訓練はここで行われるし、私の配属先は中央だったから。だけどたった五年で、前線以外のことは頭から抜け落ちてしまったようだ。

 昼間は逆に音が多すぎて、それこそ基地と全く違う環境だったからこそ、特有の緊張感を忘れて、辞めた開放感のまますんなり眠ることができた。だけど夜、静かな環境になると途端に体が、心が昨日までの環境を思い出してしまう。

 異常な職場だった。地獄のような職場。そう思っていた。だけど思っていた以上に、心身ともに疲れていたらしい。今、やめられてよかった。そう判断できるうちに退職できたのは幸運だ。マリオンもそう思っていればいいのだけど。


「!」

「……マリオン」


 ぱぁん、と遠くで何かが砕ける音がした。多分歩きながら飲んでいる酔っ払いが酒瓶でも割ったのだろう。些細な音だ。普通なら聞こえないくらいの音。だけど日常と違うその音をきいて、マリオンは飛び起きていた。警戒するようにベッドの下に伏せている。

 声をかけると、マリオンはバツが悪そうに顔をあげた。マリオンだって頭ではわかっているのだ。そう。私もだ。わかっていても、今の音で眠気はまた去ってしまった。


「ん……」

「ねぇ、一緒に寝ようか」

「……うん」


 気恥ずかしそうに立ち上がったマリオンをベッドに誘った。マリオンは静かにうなずくと入ってきた。ぎゅっと抱きしめる。そうするといやおうなく、マリオンの体の音を感じる。呼吸音、鼓動、衣擦れ。間近で発生する音は大きく感じられて、他の音をかき消していく。

 気持ちが落ち着いていく。一定のリズムを刻むマリオンの音。呼吸で上下する体。それらに意識は集中し、同時にそれが安全なものだと確信を持てる。


 途中からマリオンは私の部下だった。それでも実力が劣るわけではない。むしろ、魔法の使い方においてマリオンより勝る人はいなかった。遠距離での攻撃も、魔法をつかった防御も、搦め手さえも圧倒的だった。純粋に一対一なら私だって負ける気はないけど、背中を預ける相手としてマリオン以上に頼もしい相手はいなかった。マリオンがいれば大丈夫だ。そう私の脳みそは勝手に安心してしまう。

 情けない。マリオンの保護者を気取りながら、実際には私もまたマリオンに依存していたんだ。もしマリオンが何も言わずに私を見送ってくれたとして、果たして今日、一人で眠れただろうか。いつかは眠れただろう。でもそれは今じゃない。


 私はマリオンの存在をありがたく思いながら、静かに眠った。







 翌日、体は勝手に日勤時の起床時間に起きてしまったし、二度寝をする気にならないほど目は覚めている。体感では疲れは取れているけど、まだまだだろう。しばらくは体内リズムを整えるため、夜にきちんと眠れるように、日中は昼寝せずとにかく休憩することに決めた。

 と言っても丸一日ごろごろするのは逆に落ち着かない。マリオンと一緒に王都観光をすることにした。どうせここを出たらもう帰ってこないのだから、見納めだ。以前いたと言っても軍所属なのでゆっくり見回っている暇はそうない。

 最前線より時間的精神的余裕はあったが、新兵時代は訓練で毎日くたくただったし、貯金という目的があったのであまり目移りしないようにしていた。今は宿で持ち物を増やすわけにもいかないし、贅沢をしても食事だけだ。なら少しくらいいいだろう。

 これもまた、心の治療の一環だ。と自分とマリオンに言い訳をして私はマリオンと街に繰り出した。


 王都は確かに華やかだった。私たちが日ごろ殺している魔物の素材で作られた物も、私たちがいたところよりたくさんあって、こんな風にも使われているのか、と感心した。食べ物も、向こうがけしてまずいわけではない。基地内は軍人しかはいれないので食事も軍人がつくるが、もともとそれ用に採用された専門の人間が作っているので味は美味しかった。代り映えのない食材をいかに無駄にせず、飽きのないよう作ってくれていた。

 しかしこと、奇抜さ、華やかさ、目新しさという点では圧倒的だ。食材の種類の豊富さもかなわない。


 主食ではない甘味、これは到底かなわない。近くの町の喫茶店に行って薄いパンケーキにジャムをのせたものがご馳走レベルだった。それがどうだろう。同じパンケーキでもそれは分厚く、アイスや果物、生クリームまでのっている。ジャムやソースの種類も多様で、目から、選ぶことから楽しませるという気概を感じる。


「お、おお……おっきい」

「ねぇ」


 頼んだのはパフェだ。特大、と名前がついていたので思い切って頼んだのだけど、まさかマリオンの頭より高くなるほど大きいとは。二人で食べるとはいえ、食べきれるか不安になるほどだ。さすがのマリオンもびっくりしている。


「ま、食べよっか」

「ん」


 とりあえず一口。生クリームにチョコソースがかかっている。それだけでももう美味しい。その下のフレークもサクサクだ。果物があり、その下にアイスクリーム。さらに下にまたフレークで、果実たっぷりのジャムに一番下はまた生クリームだ。


「お、美味しいっ」

「美味しいね。どんどん食べて」

「うんっ」


 美味しいけど食べきれるかな、というのは杞憂だった。前から甘いものが好きなのは知っていたけど、マリオンは目を輝かせてどんどん食べてくれた。


 満足してくれたマリオンとぼちぼち町を見て回り、明日は何を食べようか、なんて言っていると一日は終わった。

 そんな感じで二日も過ごすと、体内時計はなんとなく戻ってきて、夜は普通に眠れるようになった。マリオンと一緒だからかもしれないけど、宿暮らしのうちはそれでいいでしょう。下手に別々にしてまだ駄目なんだって変に自信を失う必要はない。


 本当は一週間くらいゆっくりしたかったけど、ブラック生活をしていた私たちは社畜根性が身に染みているようで、なんだかちょっと落ち着かなくなってしまったので、ちょっと早いけど傭兵として活動開始することにした。

 言ってもまだ何も先が決まってなくて貯金を食いつぶしてる状況だしね。そりゃ落ち着かない。


 というわけで登録をしたのだけど、どうやらすぐにどんな仕事でも受けられるわけではなかったらしい。考えてみれば魔物を倒すだけならともかく、町から町の移動の護衛や魔物を倒して口に入る食料の調達なんかは人格的に信用できなければ依頼できるはずがない。まずは地道に町の中で下働きをしなければならない。実力に関係なく、そういった仕事でその人の人格を見極めるそうだ。


「にしても、ほんと、下働きって感じだよね」

「? よくわからないけど、そうなの?」


 というわけで初めての仕事は下水の掃除だ。上下水道があるのは生活においてとても便利だけど、下水がこんなに汚くて、病気などの対策に定期的に掃除や害獣退治をしなければならないとまで考えたことがなかった。


 私が得意な魔法は身体強化だ。一対一ならどんな魔物にも負けない自信がある。だけどこういう、手数が必要なものは普通に人並みにしかできない。


「魔法でぱーっとできればいいんだけど。マリオンの水魔法で汚れをとるとかできないの?」

「うん、やってみる」

「壁をこわなさい程度にね」


 マリオンは私と違って、自分の外に干渉する魔法が得意だ。マリオンは五歳で徴兵されるという非人道的なことをされちゃうくらいの才能の持ち主で、ありとあらゆる魔法がつかえる。私と会った時はまだ教科書通りって感じだったけど、一緒に戦ううちに融通のきく魔法をつかうようになったので、多分できるはず、がんばれマリオン!

 ということでやってもらった。完璧すぎてマジでびびった。


「マリオン、天才すぎない? すご。しかもネズミまでつかまえてるじゃん。どうしたの?」

「ん。雷をまぜてみた」

「マリオン……天才だね!」


 びっくりしてしまうくらい天才だった。


 私には前世の記憶があり、異世界の知識もあっていろいろ人より小器用に生きてきたつもりだけど、マリオンは天才すぎてまじですごい。この子私が保護者する意味あったのかなとすら思ってしまう。まあ、能力が高いからこそ利用されてきて、それしか知らないから今まで従うしかなかったんだもんね、保護者は必要だ。うん。


「……んふふ。それほどでもない」


 にまにましながら喜ぶマリオンの頭を撫でて褒めてあげた。

 そんな感じで雑用は汎用性のあるマリオン無双で一か月ほどで私たちは信用を得て好きに依頼を受けられるようになった。

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