第四章 ガドウィン家に挨拶を

第19話 エルフの姫君

 ある昼さがりベンの店はやや閑散としていた。

 閑散とはしているが仕事は幾らでもある。従業員のケイトはモップで床を水拭きしながら、夜の営業までの準備を進めている。


 カランカラン。


 そんな時間に珍しい来客があった。

 ベンは洗い場で食器を洗いながら入り口に振り返った。


 「いらっしゃ――アイエ?」


 扉を開いて入ってきたのは、軽装の鎧――いやエルフ族の戦装備に身を包んだ女性が入ってきたのだ。

 特徴的な長耳、紫水晶アメジストの凛々しい瞳、歩き方もどこか豪奢で、まるで上のエルフが絵画から飛び出したような美しさがそこにある。

 エルフの冒険者だろうか、エルフはキョロキョロと周囲を見渡すと、ベン達に声をかけた。


 「失礼、人を探しているのだけれど」


 エルフは響くような声でそう言った。

 ベンは顔を青くしているが、ケイトはいつものように笑顔で人懐っこく駆け寄った。


 「これは魔女さんとはまた違った美人エルフね」

 「あ、あわわわケイトさん、そ、その人は……」


 ベンはその高貴なエルフを知っていた。

 エルフの方はベンを見ても面識がないようで首を傾げた。


 「探しているのは、オーグという山のように大きな男なのだけれど」

 「オーグ?」

 「龍のキバの頭領だ」


 龍のキバが壊滅してから一ヶ月、徐々に彼らの情報は風化していた。

 凛としたエルフは、龍のキバが壊滅したことは知らないのか?

 否……知らないはずがない。でなければこんな人族の街になど、このエルフが出てくるものか。


 「龍のキバって壊滅したって新聞で――あ」


 カランカラン。


 再び来客の合図だ。入ってきたのは鼻から下を布で隠した浅黒い肌の少女だ。

 エルフは後ろを振り返ると、目を見開いた。

 それと同時にリンは迷わず腰のホルスターから短剣を引き抜いた!


 「貴様山猫! 生きていたか!」

 「フッ!」


 リンは迷わず短剣を投擲する。

 恐るべき精度でそれはエルフの顔面を狙ったが、エルフは優れた動体視力で頭だけを動かして流麗に回避する。

 ベンは「ヒイィィィ!」と情けない悲鳴を上げて、カウンターテーブルの下に身を隠した。

 ガシャアン! 酒瓶が砕けった。ベンは降り注ぐ酒の滝にも構わず、たた頭を抱えて震えている。

 リンと彼女が接触したら間違いなくこうなると予想出来ていたのに!


 「ハハハ! 流石だ! 殺意に迷いがない!」

 「シィッ!」


 投擲は牽制だ。リンは地面スレスレを滑るように駆けて短剣を一閃。

 これは流石のエルフもかわせないか、いや!

 エルフは腰から剣を抜くと、リンの一閃を力任せに弾き飛ばした!

 リンは力負けし、空中で曲芸じみた回転をすると、未使用の丸テーブルに着地する。

 その着地の隙、エルフはのがさなかった。

 エルフは両手で剣を握ると、剣から緑のパーティクルが点滅する。

 エルフは金属を使わない。しかし焼成した土セラミックは例外だ。その剣に謎の魔法文字ルーンが刻まれている。セラミック製の魔法剣だ!


 「山猫! 相変わらず素早いな!」

 「ハッ!」


 リンは取り合わない。短剣を投げる。弾かれる。連続で投げる。連続で弾かれる!

 ここはいつから戦場になった。少なくとも二人の女性は殺意を持っているようだった。

 なんの因縁が、一体なにが起きているのか。

 だが、ここがどこであるか二人は失念していた。


 「やーめーなーさーい! ここは酒場よ! 戦場じゃなーい!」


 ケイトはモップを旗のように振って、停戦を呼びかける。

 随分楽しそうに殺し合いをしていたエルフは「おっと」と本題を思い出し、剣を鞘に戻した。


 「山猫、確かリンだったな! 相変わらず殺意の塊のような奴だ!」

 「エルフの国の第一王女がなんで世俗に降りたの?」


 リンは極めて敵愾心を見せていた。

 あのリンにしては珍しい。オーグがその場にいたならそう答えたろう。

 だがこの上のエルフが相手なら無理もない。なにせ因縁の仇敵なのだから。


 「知らない者もいるのだろう? ならば自己紹介をしましょう! 私の名はエルミア・ミール・オーロット! エルフ国の王女だ!」


 ベンは怯えながら顔を上げて、店の惨状を確認する。

 器物破損多数、いやこの程度で済んでむしろ幸運だったのか?

 ともかくあのエルフ、エルミアはリンとベンにとっては不倶戴天の敵だった。


 「りゅ、龍のキバは壊滅したんだぞ? 今更戦争を再開するつもりか?」


 龍のキバとエルフの国が戦争をしていたのは覚えているだろうか?

 その戦争は龍のキバが勝利したが、その時戦争捕虜となったのは他でもない。この閃闘姫せんとうきエルミアなのだ。


 「戦争など父上は望んでいない!」

 「じゃあなに? 人族を下等種族とののしる貴方が?」


 エルフ族にとって人族こそが野蛮で低俗な下等生物である。

 戦争時それを敵の前でもはばからないエルミアを、リンは相当嫌っている。

 だがエルミアは王女の余裕か、ただ単に彼女がふてぶてしいだけか、嫌味もどこ吹く風。


 「ハッハッハ! 安心しろ。エルフが最優良種なのは確かだが、人族もそれなりにやるとは認めている!」

 「やっぱりムカつく」

 「それよりも山猫! オーグはどうした!」

 「お、お頭ならもう死んでるよ……」

 「そんな筈はない! 私が唯一手も足も出なかったあの男が、そんな簡単に死ぬものか!」


 エルミアはオーグを探している。

 ベンはすでに死んでいると言うが、エルミアはそれを信じなかった。

 龍のキバのアジトに先に向かったエルミアは、そこがもぬけの殻になっているのも知っている。

 それでもあの悪鬼のような大男の死は信じられないのだ。


 「なあ山猫、オーグはどこにいる?」

 「会ってどうするの?」

 「決まっている! 決闘だ! 今度こそ私が上と証明するのよ!」


 よーするにだ、この単純馬鹿はオーグと満足するまで戦いたいのだ。

 恐るべきいくさ馬鹿、リンは辟易へきえきしていた。

 エルミアは強い、リンでも敵わない。

 でもオーグと比べたら――。


 「貴方じゃお頭には敵わないわ」

 「この世に絶対はない!」

 「それに……もうお頭はいないもの」


 エルミアは目を細めて、リンを睨む。

 エルフは優れた視覚と聴覚を組み合わせて、相手の心さえも読むといわれる。

 そんなエルミアをして、リンは嘘をついているようには思えなかった。


 「本当にいないのか……確かにあの男が隠れるような玉の小さな男ではないが」


 エルミアはそう言うと悲しそうに首を振った。

 どうやら本気でオーグと心ゆくまで戦う気だったようだ。

 恐るべき戦闘狂バーサーカーね、とリンは断ずる。


 「と、ところでリンさん、こんな時間になんの用で?」

 「……おかしら来なかった?」

 「なに! お頭だと! やっぱり生きているんだな?」


 やっぱり面倒くさい。未練がましい女に捕まってしまった。

 エルフの耳年増を忘れていたのだ。

 ベンはお頭について慌てて訂正するが。


 「いや今のリンさんのお頭は女性でして、エルフの魔女ウィッチというんですが」

 「なに頭領ボスを変えたのか? ち……それは惜しいことをしたな」


 それはどういう意味なの?

 リンは不満げに口をバッテンにしてムッと頬を膨らませた。

 エルミアは頬に手を当てると、娼婦のように腰をくねらせる。


 「奴ならば、私の夫に相応しいのに」

 「やっぱり殺す」


 再び短刀に手を掛けるリン、多分に嫉妬が含まれているぞ。

 「おっ、やるか?」と、こっちの戦闘狂バーサーカーも大概だが、ケイトは2人に警告した。


 「それ以上店で暴れたら、警備隊に突きだすわよ!」

 「それは困る。外交問題は流石にな?」

 「うー、コイツ嫌い」


 そもそもお頭以外好きな奴いるのか、リンは不機嫌な猫のように唸った。

 さて、そもそもこんな大乱闘の原因を作ったオーグはどこにいるのか?


 「魔女さんはまだ見てないですよ」

 「そう……お頭どこで遊んでるのかな?」


 最近オーグは冒険に出ない日は、1人でどこかに出かけていた。

 リンはそれが少し心配だ。

 オーグに限って危険な真似はしていないと思いたいが、あの馬鹿にそれを期待するのは正しいのだろうか?

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