第17話 押し寄せる荒波

 コールガは人身売買ブローカーの地下アジトを突き止めた。

 だが直ぐには突入せず、彼女は入口の前で思案しあんする。

 敵は何人いる? 広さは? 突入するリスクは計り知れない。

 けれども魔女の安否はコールガにかかっており、状況は余談を許さなかった。


 「先に憲兵に通報をするべきかしら……?」


 この街は治安が決して良くはないが、それでも最低限の治安はある。

 貴族の何人かが警察隊の設立に資金を出資し、街には治安維持を目的にした憲兵隊がいる筈だ。

 あまり仕事熱心という話は聞かないが、リスクはおかすべきではない。

 うん、まずは味方を増やすこと、それは定石だ。

 コールガは納得するときびすを返す――が。


 「うう、兄貴酷いよ、ちょっとはオデに楽しませくれたって……え?」

 「あっ……」


 入口から太った男が出てきた。

 コールガは鉢合わせてしまい、思わず声に出てしまった。


 「ああーっ! お前あの時の!」

 「ふっ!」


 コールガは迷わず低い姿勢で太った男の懐に飛び込んだ。

 そして彼女は素早い体術で男を滅多打ちにする。


 「やめ!? ぶべ!? かぺっ!」


 抵抗は許さない。コールガは男の腕を取ると背中側に回した。

 苦痛に悶絶する情けない姿にコールガはやってしまったわね……と運命の神様の意地悪に眉間を寄せながらもなるようになれ、と男に尋問じんもんを行う。


 「アジトには何人いる? 答えなければ指を折るわよ?」

 「ひ、ひいぃぃぃ! あ、兄貴とオデだけだよぉ!」


 簡単にゲロったわね、頭も悪ければ忠誠心もない。

 この街の人間はこんな奴ばかりかとコールガは嘆いた。

 これが勇敢な海の開拓者ヴァイキングなら指を折らせて、その隙にコールガの脳天にハンドアックスでかち割っていただろう。

 民族が違えば、考え方もやはり違う。

 コールガはベルナ族の流儀に従い、男を拘束しながら背中を小突く。


 「歩け、アジトを案内しなさい」

 「い、痛いのはやめてくれぇ……ひぃひぃ」


 情けない、女でもこんな情けない者はいないだろう。

 少なくともコールガは知らない。

 太った男は完全に怯えて、コールガをアジトへと案内した。

 コールガは緊張している。まだ太った男がコールガを罠に嵌めようとしている可能性を捨てきれないのだ。

 だがはっきり言えばそれは杞憂きゆうにすぎない。

 太った男は階段を降りると、地下の部屋にコールガを案内した。


 「こ、ここに兄貴が」

 「行きなさい、先に開けるのよ」


 コールガは怖い顔で太った男を睨みつける。

 絶世の美人といえるコールガだが、今はさながら鬼女のようだったろう。

 男は慌てて兄貴に助けを求めて走り出した。


 「《穿つアスパル……クオル……旗魚スピアフィッシュ!》」


 彼女は空に印を刻むと、彼女の目の前から氷の槍が顕現した。

 ベルナ族が伝統的に使う海神の槍トライデントを模した氷の槍は太った男に狙いを定めた。

 太った男は次に自分に降りかかる悲劇にも気づかず、ただ重たい身体を揺らして扉を開いた。


 「あ、兄貴ぃ……」


 その直後、コールガは男の後頭部を氷の槍でぶっ叩いた。

 男は目を剥くと、前のめりに倒れる。

 コールガはその目に捉えた。目の前で嬲られている魔女様の姿、そして眼帯を巻いた屈強な男を。


 「な、何者だ貴様!?」


 コールガはゆっくりと歩みだした。

 充分な広さの部屋に入ると、氷の槍を振る。

 すると、冷気が部屋に立ち込めた。


 「貴様に名乗る名前はない!」


 コールガはそう言うと槍を構えた。

 氷の槍は、周囲に光り輝くパーティクルを明滅させる。

 魔女は虚ろげな瞳でコールガを見た。

 その顔はどこか上気していて、目から光が失われかけている。


 「悪魔ね……魔女様にした報いを受けるがいい!」


 コールガは女であるが戦士だった。

 今は魔女様の弔い合戦に氷のような精神を熱く滾らせる。


 「ククク、活きが良い……それより貴様のその美しい銀髪、そうかお前が子分の言っていた!」

 「コールガ……どうしてお前が……?」

 「海神エーギルに誓って、非道は許しません!」


 魔女様は無事だ、無事と言っても良いのか疑問だが。

 女として恥ずかしめにされた屈辱、ベルナ族なら切り刻んで魚の餌にする所だ。


 「ククク……これは運がいい! お前も高く売れるだろうな!?」


 眼帯の男は、鎖を取り出すと、ジャラジャラ揺らしながら距離を測った。

 コールガは冷静にそれを見極める。鎖の先端にはなにやら錠が備えられている。


 「おら! おらおら!」


 眼帯の男が鎖を振り回した。

 その動きは正確で、コールガの槍に絡みつく。

 男は迷わずコールガを引っ張った。


 「くっ!」


 咄嗟に氷の槍を手放す事でコールガは難を逃れた。

 男は氷の槍を手繰り寄せると、興味深そうに手に持った。


 「魔法の装備か? しかしこいつは見たことがない……ん?」


 氷の槍はコールガの手元を離れると、溶けてただの水になった。

 だがオーグはその臭いから、奇妙な臭さを感じ取った。


 (なんだ? これも魔法なのか? しかしこの生物臭さはなんだ?)


 磯の香りを、海を知らぬ者に理解は出来ない。

 だがもしもこれが魔法なら危険だ。

 眼帯の男は魔法使いに対して切り札がある。


 「コールガ気をつけろ! ソイツは魔法使いに対して――!」

 「もう遅い!」


 男は鎖を再びコールガに放った!

 コールガは先端の錠を回避するように動くが、そこに男は急接近してくる。


 「こいつを喰らえ!」


 男はコールガの首にあの魔封じの首輪を装備させた。

 コールガは咄嗟に蹴りを放って距離を離すが、オーグはそれを見て「ああっ」と嘆く。


 「……?」


 しかしコールガは首輪に触れて不思議がる。

 とりあえず外せないか試してみたが、力技では難しそうだった。


 「ふはは! これで魔法は使えまい! 女にしてはやるが、それでも俺には敵うまい!」


 男は完全に勝ち誇った。

 魔法の使えない魔法使い等敵ではない。

 後はじっくりいたぶってやろう……と思わず舌舐めずりをしてしまう。


 「……奇妙な道具」


 しかしコールガは動じない。

 周囲からマナは感じなくなったが、だからどうした?

 コールガの美しい腕に刻まれた波と乙女の入れ墨は消えてはいない。

 だからこそ、コールガは迷わず両手で空に印を刻んだ。


 「《押し寄せるフォーリ……荒波ルガ……鱈の群れアトラコット!!》」


 《コールガ》とは押し寄せる荒波を意味する名前だ。

 それは彼女の代名詞であり、彼女の最大の紋章魔法。

 複雑な両手で描かれる紋様は大きく、コールガの入れ墨が光り輝く。 


 「な、なんだ魔法……なのか!?」


 男は戸惑った。魔法は使えない筈。

 だがオーグはコールガの中に魔力がある事に気がついた!

 オーグの知らない魔法、紋章魔法には、魔封じの首輪は有効ではないのだ。


 「こ、この臭い……なぁ!」


 空中に浮かぶ巨大な紋章から突如飛び出してきたのは体長二メートルの成体のタラの群れだった!

 凄まじい何百匹の魚群か、タラは勢いく飛び出すと、物量せ男を飲み込んだ。


 「なんで魚が!? この! うおぉぉぉ!?」


 男は必死に抵抗するが、タラの群れは無慈悲だった。

 タラは噛み付くことはない、ただビッチビッチと新鮮に跳ねて、男を一匹九六kgキログラムの重さで下敷きにしていく。

 やがて男の姿が見えなくなると、タラは部屋を埋め尽くしてしまった。


 「くっさ! は、鼻がっ!」


 さしものオーグもその強烈な磯の香りには悶絶してしまった。

 コールガの紋章魔法押し寄せる鱈の荒波はただ海の驚異を教えてくれた。

 ただ、ビッチビッチと跳ねる大量のタラは普通に気持ち悪い。


 「はあ、はあ……! 大丈夫ですか魔女様!?」


 コールガは疲れているのか肩で息をしていた。

 彼女の腕をにあった筈の波と乙女の入れ隅が気がついたら消えている。

 紋章魔法は事前に入れ隅などで魔力をストックする事で、詠唱の出来ない海中でも使用出来るように発達した魔法だが、当然外からマナを取り込めないなら疲れるのは必然だろう。

 現実を改変してしまう魔法でも、タラの群れを呼ぶなんて、召喚魔法使いでも思い浮かばないだろう。


 「コールガ、あなた何者なの?」

 「ベルナ族ラウを母に、海神エーギルを父祖に、我が名押し寄せる荒波コールガ


 コールガはベルナ族の名乗りを上げると、優しく微笑んだ。

 銀髪の絶世の美女、紋章魔法を使う勇敢な海の開拓者ヴァイキング


 「魔女様には恩義があります、そのお返しですわ」

 「お返しって……そんなに強いなら俺様の助けなんて」

 「そうではありませんわ。運命とは悪戯なれど、わたくしは貴方様を美しいと思えたんですもの」


 コールガの価値観はオーグには理解できなかった。

 ただ彼女もこの世界を生きる異なる価値観を持つ者。

 案外オーグと変わらない、アウトローなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る