第6話 山猫と猫ちゃん

 軽やかに色付きの風が空を舞うように飛び上がった。

 浅黒の肌をし、鼻から下を薄い布で隠した線の細い少女。

 幼い顔ながら、その身体は山猫のようにしなやかな筋肉だ。


 元盗賊のリンは、背中に重たいバックパックを背負いながら、街を縦横無尽に駆け回る。

 配達の仕事はリンにとって大きなメリットがあった。

 老若男女、貴賤きせんに関わらず配達員は多くの人々に接触する機会がある。

 それはリンにとって最も重要な情報源になりえるものだ。

 

 大抵はどうでもいい日常会話や世間話。

 たまに意味深な話も聞けるけれど、それもリンにとってはお頭の為なのだ。

 山猫に喩えられるしなやかな身の熟しは、まるで舞踏でも披露するかのように華麗で美しい。

 リンは他人の評価に興味なんてこれっぽっちもないが、その瞳はいつだって鋭い。

 トン、と軽やかに狭いどこか貴族の家の塀に着地すると、「ニャ!?」と何かが驚いて逃げていった。


 「猫ちゃん?」


 山猫も猫が好きなのか、キョロキョロするが、生憎猫は山猫を恐れるものだ。

 猫は茂みに隠れてしまった。リンは器用に身体を曲げると茂みを覗き込んだ。


 「にゃー」

 「猫ちゃん」


 リンは子供っぽく目を輝かせた。山猫と喩えられても猫好きはいるのだ。

 リンは周囲に素早く目配せすると、人の気配を探った。

 誰もいないとわかると、音もなく茂みの前に飛び降りる。

 ここは地方貴族の別荘だ。勝手に私有地に入ったとなれば問題が起きる。

 だが今リンの好奇心は猫の方だろう。彼女は無表情だが、それでも傍から見て嬉々としている。


 「猫ちゃん……」


 触りたいな……けれどリンは手を出しはしなかった。

 少しでも手を差し出すと、猫はビクンと身体を跳ねさせ唸りだす。

 リンは昔から動物は好きだが、動物には好かれないというジレンマがある。

 猫からすればきっと、リンは山猫、優れたプレデターを前にして緊張しているのだろう。

 それが理解出来ているから手は出さない。猫の気を立てない距離で眺めるしかないのだ。


 「……人の気配」


 猫を微妙な距離で愛でていると、リンは突然アサシンのような顔つきに変わった。

 僅かな変化にも敏感な野生の猫は驚いてそのまま茂みの奥へと逃げていく、猫ちゃんは惜しいが、状況判断が最優先だ。


 「おい、殺人があったって本当か?」

 「ああ、向こうの通りに役人が集まっていたぞ」


 リンは塀の側で屈みながら気配を殺す。

 外の大通りを歩いているのは、兵士のようだ。

 今日も貴族街の警備中の様子だ。

 リンには流石に気付かないが、彼女は彼らの話を頭にインプットした。

 やがて気配は遠く離れていく。リンは音もなく起き上がると空を見上げた。

 暑い……真夏の太陽が大地を眩しく照らしている。

 リンは自分の体調に過信はせず、腰にぶら下げていた水筒を取り出した。


 「んっ、んっ」


 十分な水分を経口摂取すると、彼女は再び音もなく跳躍する。

 塀に手を掛けてパルクールの要領で、壁や手摺りも利用して着地と跳躍を繰り返す。

 やがてリンは塀や街路樹、建物の屋根を利用して彼女は兵士たちが言っていた事件現場にたどり着く。

 彼女は周囲を役人――警官のようなもの――が取り囲んでいるのを確認した。


 「殺されたのは貴族か?」

 「ああ、むごいもんだ、女子供もだぜ」

 「貴族に恨みを持つやつなんざごまんといるだろうが、子供までとはな」

 「で、犯人は? 捕まったのか?」

 「いいや、まだだ……最近多いよなぁ」

 「街が急発展し過ぎて治安警備が追いついてないんだよ」


 リンはまるでそこにはいないかのように、ゆっくりその場を通過した。

 役人達はリンを気にする様子はない。完璧な気配遮断だった。


 (貴族の殺害、ね……お頭と関係はなさそうかな?)


 もしもオーグを殺害したあの暗殺者がこの街にいるなら、早急にオーグを連れてこの街から逃げなければならない。

 殺しというワードにリンは些か敏感である。誰がどこで死のうが何も傷まないが、それがオーグに及ぶのはリンの逆鱗に触れるのだ。

 リンは関係なしと判断すると、その場を離れた。

 玉のような汗は彼女に纏わりつく、腕で拭うとまた走り出した。

 配達はまだ途中なのだ。

 パルクールをやらせれば、誰よりも優れた成果を上げるかも知れない少女は配達ルートを最短で進む。

 一刻も早く仕事を終えてお頭に会いたいのだから。

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